「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・06・08

2005-06-08 05:40:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「人を被害者と加害者にわけて、自分はいつも被害者なら、さぞよかろう。大衆は自分を被害者という安全地帯におきたがる。
 被害者なら潔白にきまっているから、他をとがめる。新聞の投書は、たいていこれで、つねに口をとがらして、世の中を、政治を難じる。私はあれを『投書の言葉』と呼んでいる。
 たとえば、投書は常に社用の酒を難じる。けれども社用族を難じるのは、失礼ながら社用族になりたくて、なれない人である。
 ただの酒ほどうまいものはないという。なんならためしに、ながく抵抗できるかどうか飲んでごらん。できる人はそれだけの性根のすわった人で、つまりは別人だと私はみている。」


 「大衆の潔白は不本意の潔白である。その証拠に、上役になれば豹変する。そしてあらゆる上役の不正は、下役の正義のなれの果てである。
 嫉妬はしばしば正義を装う。にせものの潔白は、本ものの潔白だと主張する。
 この世は、この種の正論に満ちている。私はこの種の正論からは何ものも生れないと思うが、まじめ人間は思わない。そしてまじめ人間は大ぜいで、大ぜいなら衆寡敵しない。」


 「私は、正直者は馬鹿をみるという言葉がきらいである。ほとんど憎んでいる。まるで自分は正直そのものだと言わぬばかりである。この言葉には、自分は被害者で潔白だという響きがある。悪は自己の外部にあって、内部にはないという自信がある。
 『へーえ、そんなら貴君は正直自身かね』と問うと、男は一瞬たじろぐが、女はたじろがない。人みなジキル博士とハイド氏だと私は思っているが、まじめ人間は思わない。そしてこの世はまじめ人間の天下なのである。嗚呼。」

   (山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
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