今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「人を被害者と加害者にわけて、自分はいつも被害者なら、さぞよかろう。大衆は自分を被害者という安全地帯におきたがる。
被害者なら潔白にきまっているから、他をとがめる。新聞の投書は、たいていこれで、つねに口をとがらして、世の中を、政治を難じる。私はあれを『投書の言葉』と呼んでいる。
たとえば、投書は常に社用の酒を難じる。けれども社用族を難じるのは、失礼ながら社用族になりたくて、なれない人である。
ただの酒ほどうまいものはないという。なんならためしに、ながく抵抗できるかどうか飲んでごらん。できる人はそれだけの性根のすわった人で、つまりは別人だと私はみている。」
「大衆の潔白は不本意の潔白である。その証拠に、上役になれば豹変する。そしてあらゆる上役の不正は、下役の正義のなれの果てである。
嫉妬はしばしば正義を装う。にせものの潔白は、本ものの潔白だと主張する。
この世は、この種の正論に満ちている。私はこの種の正論からは何ものも生れないと思うが、まじめ人間は思わない。そしてまじめ人間は大ぜいで、大ぜいなら衆寡敵しない。」
「私は、正直者は馬鹿をみるという言葉がきらいである。ほとんど憎んでいる。まるで自分は正直そのものだと言わぬばかりである。この言葉には、自分は被害者で潔白だという響きがある。悪は自己の外部にあって、内部にはないという自信がある。
『へーえ、そんなら貴君は正直自身かね』と問うと、男は一瞬たじろぐが、女はたじろがない。人みなジキル博士とハイド氏だと私は思っているが、まじめ人間は思わない。そしてこの世はまじめ人間の天下なのである。嗚呼。」
(山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
「人を被害者と加害者にわけて、自分はいつも被害者なら、さぞよかろう。大衆は自分を被害者という安全地帯におきたがる。
被害者なら潔白にきまっているから、他をとがめる。新聞の投書は、たいていこれで、つねに口をとがらして、世の中を、政治を難じる。私はあれを『投書の言葉』と呼んでいる。
たとえば、投書は常に社用の酒を難じる。けれども社用族を難じるのは、失礼ながら社用族になりたくて、なれない人である。
ただの酒ほどうまいものはないという。なんならためしに、ながく抵抗できるかどうか飲んでごらん。できる人はそれだけの性根のすわった人で、つまりは別人だと私はみている。」
「大衆の潔白は不本意の潔白である。その証拠に、上役になれば豹変する。そしてあらゆる上役の不正は、下役の正義のなれの果てである。
嫉妬はしばしば正義を装う。にせものの潔白は、本ものの潔白だと主張する。
この世は、この種の正論に満ちている。私はこの種の正論からは何ものも生れないと思うが、まじめ人間は思わない。そしてまじめ人間は大ぜいで、大ぜいなら衆寡敵しない。」
「私は、正直者は馬鹿をみるという言葉がきらいである。ほとんど憎んでいる。まるで自分は正直そのものだと言わぬばかりである。この言葉には、自分は被害者で潔白だという響きがある。悪は自己の外部にあって、内部にはないという自信がある。
『へーえ、そんなら貴君は正直自身かね』と問うと、男は一瞬たじろぐが、女はたじろがない。人みなジキル博士とハイド氏だと私は思っているが、まじめ人間は思わない。そしてこの世はまじめ人間の天下なのである。嗚呼。」
(山本夏彦著「毒言独語」中公文庫 所収)
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