今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「学歴さえ同じなら、新入社員は同じ給与をうける。一年目にはいくら、五年目にはいくらと、昇給率まで同じである。
けれども、人には凡と非凡、能と無能がある。その凡と非凡を、給料で区別できないから、賞与で区別した時代がある。十何年前のことで、当時の金で三百円、五百円の差をつけたら、金額そのものより、どこからその差が生じたか、それはだれのさしがねかと悩んだり怒ったりするものが多かった。結局、差をつけるのをやめたという。
能は能なしより、非凡は平凡より多くもらうのが公平だと、使うものは思っても、使われるものは思わない。非凡の人数は少なく、平凡の人数は多いから、多い平凡がそんすることは承知しない。労働組合は多いほうのためのものだから、少ないほうに沢山払うことには反対する。
生きがいというものは、他と区別することによって生じると私は旧著のなかで書いた。だから、能と無能の給与に差をつけると、能は満足するが無能に不平が生じるから差がつけられない。能には能の自覚があって、自分は少数派でこの世は多数派のものだとあきらめているから、差をつけなくてもがまんするが、無能は大ぜいで、したがって無能の自覚がないから不平を鳴らす。」
「私はおしゃれが、他人のおしゃれに寛容でないのに興味をもっている。趣味のいい人が、他人の趣味を認めたがらないのに興味をもっている。
おしゃれは、ひとりおしゃれして満足するものではない。他とくらべて、他のおしゃれが自分以上でないことを発見して満足する。
たとえば、一流のおしゃれと二流のおしゃれが、銀座街頭で鉢あわせするのを見ることがある。いい年をした二人の男は、何食わぬ顔で相手の品定めをする。そして一流のおしゃれは、二流のおしゃれの二流ぶりを見て、はじめて一流なのである。二流はたぶん三流を見て、はじめて二流なのだろう。」
「私は若い男女に、給料は能力と能率に応じて払われたほうがいいか、年功序列によって払われたほうがいいか聞いたことがある。そして年功によって払われたほうがいいという答えを得た。何度も聞いて何度も同じ返事を得た。平等だからという。故にどの企業も年功によって払っている。能力によって払おうと試みた企業もあるが、今はやめている。
それでいて若者たちは、生きがいがないと嘆く。生きがいは自分と他人を区別することによって生じる。他が低いことによって生じる。私は人間はすべてそういうよからぬ存在だと認めた上で話はすすめたほうがいいと思うが、思わぬものが多い。それなら人はどれだけ偽善を欲するか、この世はどれだけの偽善を必要とするか、公開の席で論じたらいいと思うが、人はそれも欲しないようである。論じられないで今日にいたっている。」
(山本夏彦著「かいつまんで言う」中公文庫 所収)
「学歴さえ同じなら、新入社員は同じ給与をうける。一年目にはいくら、五年目にはいくらと、昇給率まで同じである。
けれども、人には凡と非凡、能と無能がある。その凡と非凡を、給料で区別できないから、賞与で区別した時代がある。十何年前のことで、当時の金で三百円、五百円の差をつけたら、金額そのものより、どこからその差が生じたか、それはだれのさしがねかと悩んだり怒ったりするものが多かった。結局、差をつけるのをやめたという。
能は能なしより、非凡は平凡より多くもらうのが公平だと、使うものは思っても、使われるものは思わない。非凡の人数は少なく、平凡の人数は多いから、多い平凡がそんすることは承知しない。労働組合は多いほうのためのものだから、少ないほうに沢山払うことには反対する。
生きがいというものは、他と区別することによって生じると私は旧著のなかで書いた。だから、能と無能の給与に差をつけると、能は満足するが無能に不平が生じるから差がつけられない。能には能の自覚があって、自分は少数派でこの世は多数派のものだとあきらめているから、差をつけなくてもがまんするが、無能は大ぜいで、したがって無能の自覚がないから不平を鳴らす。」
「私はおしゃれが、他人のおしゃれに寛容でないのに興味をもっている。趣味のいい人が、他人の趣味を認めたがらないのに興味をもっている。
おしゃれは、ひとりおしゃれして満足するものではない。他とくらべて、他のおしゃれが自分以上でないことを発見して満足する。
たとえば、一流のおしゃれと二流のおしゃれが、銀座街頭で鉢あわせするのを見ることがある。いい年をした二人の男は、何食わぬ顔で相手の品定めをする。そして一流のおしゃれは、二流のおしゃれの二流ぶりを見て、はじめて一流なのである。二流はたぶん三流を見て、はじめて二流なのだろう。」
「私は若い男女に、給料は能力と能率に応じて払われたほうがいいか、年功序列によって払われたほうがいいか聞いたことがある。そして年功によって払われたほうがいいという答えを得た。何度も聞いて何度も同じ返事を得た。平等だからという。故にどの企業も年功によって払っている。能力によって払おうと試みた企業もあるが、今はやめている。
それでいて若者たちは、生きがいがないと嘆く。生きがいは自分と他人を区別することによって生じる。他が低いことによって生じる。私は人間はすべてそういうよからぬ存在だと認めた上で話はすすめたほうがいいと思うが、思わぬものが多い。それなら人はどれだけ偽善を欲するか、この世はどれだけの偽善を必要とするか、公開の席で論じたらいいと思うが、人はそれも欲しないようである。論じられないで今日にいたっている。」
(山本夏彦著「かいつまんで言う」中公文庫 所収)