「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

宗教とは?信仰とは?生きるとは? Long Good-bye 2022・11・15

2022-11-15 05:05:00 | Weblog



  今日の「 お気に入り 」は 、田原総一朗・佐藤 優 共著 「 人生は天国か 、
  それとも地獄か 」から 、佐藤 優 さんの 文章のひとくだり 。愚脳の体操 。

  引用はじめ 。

  「 ・・・ 私にとっての信仰とは 、キリスト教とは何か ? それは 、
   『 人間の力は限定的なものであると知り 、神からの恩恵によって
   のみ救われるということを 、心の底から信じること 』です 。
    ちなみに 、・・・ 、仏教の考え方は 、基本的に『 因果論 』で
   す 。原因があって結果がある 。だから幸福も不幸も 、それまで
   本人が積んできた行いが『 業 ( ごう ) 』となり 、その報いが
   いま現れている 。そう考えます 。つまり仏教の考え方のなかに
   は 、自分の行い次第で運命を変えられるという『 自力 』の精神
   が 、どこかに潜んでいるのです 。
    対してキリスト教では 、人間は運命を決められない 、だから運
   命のすべては 、因果ではなく神にゆだねる 、という『 他力 』
   の考え方をします 。
    これらのどちらが良いというものではなく 、あくまでもその人が
   信仰を選択するということでしょう 。
    キリスト教においては 、神という超越的なるもの 、目に見えな
   いものを 、私たち人間の限定的な知識や経験によって知ることは
   できません 。しかし神様のほうは 、われわれ人間の髪の毛の本数
   まで知っている 。そして 、神が地上に派遣したのが独り子のイエ
   ス・キリストであり 、イエスによって目に見えないものが見える
   ようになった 。キリスト教の凄さは 、そこにあるのです 。
    すなわち 、目に見えないものが見えるようになったことで 、人
   間は自分自身が小さい存在であり罪深い存在であることを知り 、
   神の前で悔い改める 、というわけです 。
    キリスト教では 、人間は原罪を負っていると考えます 。人間は
   善を志向しながらも悪を行ってしまう 、弱く悲しい存在というこ
   とです 。
    ではどうすればいいか ? まず自分の罪を自覚するところから始
   めなければなりません 。
    こうして罪を自覚することで 、ひとは傲慢にならず 、頭を垂れ
   ることができるようになり ます 。そして他人の罪に対しても寛容
   になれるのです 。
    いまの世の中は 、自分の罪を自覚せず 、他者の罪を攻撃し 、
   それによって自分を正義の側に置いて安心するという傾向が 、多
   く見られるように感じます 。
    加えて 、いま多くの日本人が 、信じるつもりはないのに信じて
   しまっている三つの宗教があると思います 。
    一つ目は『 拝金教 』 。お金さえあれば幸せになれるという信
   心です 。
    二つ目は『 出世教 』 。こちらも出世することが一番重要だと
   いう信仰 。衰えつつありますが 、まだまだ多くの人が信心し
   ています 。
    三つ目は『 受験教 』 、あるいは『 偏差値教 』。少しでも偏
   差値の高い学校へ行くことが幸せなことだと信じている人のなん
   と多いことか 。
    人間は何かを信じなければ生きていけないものです 。であれば 、
   宗教であれ 、主義であれ 、『 まやかし 』ではなく 、まとも
   なものを信じたほうがいい 。
    年齢を重ねるごとに 、『 老 』や『 死 』に向き合うことにな
   ります 。そのときに自ら信ずるものは何なのか 、それを人間は
   突き詰めることになるのかもしれません 。


   引用おわり 。

   お見通しよ 。
   「 9条教 」なんて 、信じるだけでは救われない 、
   誰も助けに来てくれないのもありましたっけ 。
   天は自ら助くるもののみ助く 。



  
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