TRASHBOX

日々の思い、記憶のゴミ箱に行く前に。

J・エドガー

2012年01月29日 | 映画とか

FBIの初代長官となったジョン・エドガー・フーバーは、
共産主義やテロリズムへの断固とした対応とともに、
歴代大統領や有力者達の秘密情報を手に
アメリカを影から動かそうとした存在だった。

ま、その程度の前知識ではあったけれど、
クリント・イーストウッドの手にかかった日には
えらく重々しい物語になりそうだな、というのは覚悟の上だった。
(実はそれが嫌でもなかったりするのだけど……)

なのですが、見終わった心持ちは「あれ?」みたいな、あっさり感。
作った料理を味見したときの、何か調味料を入れ忘れたような感覚。
正直思ってしまいました。さすがにクリントも歳なのかなぁ、と。

でも不思議なことに、静かな余韻がずっと後を引いていて、
ときどき思い返して反芻してしまっている。
エドガーが望んだ正義にはどこか歪なところがあって、
それは当人の隠れたパーソナリティに寄るところもあるのだろうけれど、
実は普遍的なメッセージを含んでいるような気がしてくる。

「地獄への道は善意で敷き詰められている」
という言葉があるけれど、
(出典については諸説ありますが、たとえばこの辺など。
解釈については誤用との見解もあるようです)
正義のような公明正大で堂々とした概念は、
ときに磁石のようにさまざまな成分を引きつける。
それが雪の坂を転がる玉のように膨らみ始めると、
止めることは予想以上に困難かもしれない。

人間は、こんな歩き方もしてしまうこともあるのだ--
そう感じることで身近な出来事のことを考えさせられるし、
そこにこの映画のリアリティがあるのだと思う。
81歳の新境地、結構なお点前でした。
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