まずオープニングから、不穏な空気が醸し出されていた。その一因は、『Drive My Car』で「意気投合」した石橋英子氏の音楽にもあるのだろう。決して強く主張するものではないのに、一見素朴な自然の風景に、不安定な予兆を与えて知らん顔をしている。
その空気は、音楽とともに全篇を通じて流れ続ける。しかしチューニングが合ってくると、その不穏が自分のなかで共鳴しはじめる。筋書きを述べずに書くと分かりにくいのだけれど(あるいは自分の筆力不足か)、これは不穏と向き合うことで開かれる扉についての語りだと感じた。
ただし、その扉の先も相変わらず暗く、ようやく次に展開したかと思えばエンドロールであったりする。やられた。自分はちゃんと観られてなかったんじゃないか、と考えたりもした。
でも、そういうことではないのだろう。見せかけの解を拒否するような空気が、この一本には張り詰めていた。悪は存在しない。でも不穏は常にそこにあるものなのだ。その不穏と歩み、口あたりの良い「物語」に巻き込まれるな——それがこの映画の底に流れている、地下水のようなものかもしれない。
※唐突だけど、ちょっと『落下の解剖学』を思い出した。こちらはあくまでリアリズムの世界をはみ出さないけれど、本作の境界は、そこにこだわっていない。
その空気は、音楽とともに全篇を通じて流れ続ける。しかしチューニングが合ってくると、その不穏が自分のなかで共鳴しはじめる。筋書きを述べずに書くと分かりにくいのだけれど(あるいは自分の筆力不足か)、これは不穏と向き合うことで開かれる扉についての語りだと感じた。
ただし、その扉の先も相変わらず暗く、ようやく次に展開したかと思えばエンドロールであったりする。やられた。自分はちゃんと観られてなかったんじゃないか、と考えたりもした。
でも、そういうことではないのだろう。見せかけの解を拒否するような空気が、この一本には張り詰めていた。悪は存在しない。でも不穏は常にそこにあるものなのだ。その不穏と歩み、口あたりの良い「物語」に巻き込まれるな——それがこの映画の底に流れている、地下水のようなものかもしれない。
※唐突だけど、ちょっと『落下の解剖学』を思い出した。こちらはあくまでリアリズムの世界をはみ出さないけれど、本作の境界は、そこにこだわっていない。