誰だって忙しい日常から「夢の国」に行って、
全てのことを忘れたいと思うことはあるだろう。
そんな都合の良い「夢の国」が日本の某県にあるわけなのだが、
僕は残念ながら中学校の卒業旅行以来行ったことがない。
「夢の国」の歴史を紐解いてみれば、
どうやら古いようで1955年にアメリカのカリフォルニアにできたそうだ。
創始者であるウォルト・ディズニーが1年前からテレビで
宣伝と共に資金提供を受けてまで創りたかったまさに「夢の国」である。
さて、ジャズだ。
1955年といえばまだ、
マイルスの『カインド・オブ・ブルー』でさえこの世に存在していない。(1959年)
ジャズで最も売れている1枚よりも「夢の国」の方が古いわけだ。
元々ウォルト・ディズニーは、アニメメーターであり、監督でもある。
おそらく多くのアメリカ人がその映画を見て、その音楽に酔いしれたのだろう。
そこで聴いた曲を「よし、ジャズでやってみるか」と
多くのジャズ・ミュージシャンたちが演奏している。
その中でも有名な1枚がデイブ・ブルーベックの
『デイブ・ディクス・ディズニー』である。
録音日が1957年ということで「夢の国」創立から2年後のことである。
そもそもデイブ・ブルーベックはカリフォルニア出身である。
「夢の国」もカリフォルニアにできている。
となれば自然とディズニーに関わるようなアルバムが生まれてもおかしくない。
デイブ・ブルーベックといえばポール・デズモンドとつながるように
ウエストコースト・ジャズの代表ピアニストである。
明るく豊かな曲想は、東部ニューヨークを中心としたジャズとはまた色合いが違う。
デズモンドのアルト・サックスは心地よいほどに包容力があり、
ジョー・モレロのドラムは軽やかだ。
そんな一団がディスニーの曲をやるのだから、その雰囲気は十分に合っているだろう。
「アリス・イン・ワンダーランド」や「サムディ・マイ・プリンセス・ウィル・カム」
のようなジャズになった代表的な曲だけではなく、
『ピノキオ』の「ギブ・ア・リトル・ホイッスル」や
『白雪姫』の「ハイホー」のようなあまりジャズで取り上げられないものもある。
夢を見ることができると信じて止まない「夢の国」。
当時の人々が見た「夢」の1つがこの結晶であろう。
※著作権の都合上、今日はジャケ写は無しです。
気になる人は、ぜひCDショップで!
全てのことを忘れたいと思うことはあるだろう。
そんな都合の良い「夢の国」が日本の某県にあるわけなのだが、
僕は残念ながら中学校の卒業旅行以来行ったことがない。
「夢の国」の歴史を紐解いてみれば、
どうやら古いようで1955年にアメリカのカリフォルニアにできたそうだ。
創始者であるウォルト・ディズニーが1年前からテレビで
宣伝と共に資金提供を受けてまで創りたかったまさに「夢の国」である。
さて、ジャズだ。
1955年といえばまだ、
マイルスの『カインド・オブ・ブルー』でさえこの世に存在していない。(1959年)
ジャズで最も売れている1枚よりも「夢の国」の方が古いわけだ。
元々ウォルト・ディズニーは、アニメメーターであり、監督でもある。
おそらく多くのアメリカ人がその映画を見て、その音楽に酔いしれたのだろう。
そこで聴いた曲を「よし、ジャズでやってみるか」と
多くのジャズ・ミュージシャンたちが演奏している。
その中でも有名な1枚がデイブ・ブルーベックの
『デイブ・ディクス・ディズニー』である。
録音日が1957年ということで「夢の国」創立から2年後のことである。
そもそもデイブ・ブルーベックはカリフォルニア出身である。
「夢の国」もカリフォルニアにできている。
となれば自然とディズニーに関わるようなアルバムが生まれてもおかしくない。
デイブ・ブルーベックといえばポール・デズモンドとつながるように
ウエストコースト・ジャズの代表ピアニストである。
明るく豊かな曲想は、東部ニューヨークを中心としたジャズとはまた色合いが違う。
デズモンドのアルト・サックスは心地よいほどに包容力があり、
ジョー・モレロのドラムは軽やかだ。
そんな一団がディスニーの曲をやるのだから、その雰囲気は十分に合っているだろう。
「アリス・イン・ワンダーランド」や「サムディ・マイ・プリンセス・ウィル・カム」
のようなジャズになった代表的な曲だけではなく、
『ピノキオ』の「ギブ・ア・リトル・ホイッスル」や
『白雪姫』の「ハイホー」のようなあまりジャズで取り上げられないものもある。
夢を見ることができると信じて止まない「夢の国」。
当時の人々が見た「夢」の1つがこの結晶であろう。
※著作権の都合上、今日はジャケ写は無しです。
気になる人は、ぜひCDショップで!