国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

暴走機関車 登場! 

2009年07月26日 | 他店訪問
ここ近年のジャズメンは、
腑抜けだとか、今一歩だとか、
サラリーマンのようだとか
いろいろと言われていて評価は芳しくないのだが、
まずまずでジェイムス・カーターの名が出てくる。

そのジェイムス・カーターを間近で見られるというのだから、
行っておいて損はないだろう。
場所は東京岩本町にある「Tokyo TUC」である。
世界の名門ジャズ・クラブ100店にも選ばれていて、
小さいながらも有名なジャズメンの出演と
もう一つが超至近距離からの鑑賞ができるという何とも幸せなサービスがある。
値段もそこそこで有名なジャズメンの演奏を聴けるし、
料理等も強制ではないため、気軽にジャズを楽しむことができるわけだ。

前回のジミー・コブの時も超至近距離から聴いたが、
今回も当然超至近からのチケットを購入。
管豪と言われるジェイムス・カーターの凄まじさを
十二分に味わう準備はオーケーである。

僕は「Tokyo TUC」では、できるだけドラム側に座る。
真っ正面が良いように思われがちだが、
ジャズの基本はリズムであり、
ドラムの近くでそのリズムを身体に感じることができるし、
斜めからだとメインの人の演奏様子を観察しやすい。
また、ピアニストの表情も見やすいのがいい。
それにジャズメンは他のソロの時にドラムの方に寄ってくる。
何かとドラム側の方がいいのだ。もちろん、僕にとってだが…

ジェイムス・カーターは、登場時にバスクラリネット、テナーサックス、
ソプラノサックス、フルートを小脇に抱えてきた。
とにかく長身なのには驚いた。
トランペッターのコーリー・ウイルクスだって僕ぐらいの身長はあるのだが、
カーターがそれ以上だから並んでみると
お子様のような感じに見える。
それぞれが持ち場について、いよいよ暴走列車に点火の時が来た…

ジャズ活再開!!

2009年07月25日 | 他店訪問
この7月の頭から煩わされてきた仕事も一段落。
何分忙しい時というのは、
どんなにいい音楽であったとしても
それをちゃんと聴き、判断をすることが難しくなってくる。
まぁ、何はともあれ、少し時間に余裕ができそうなので、
再びジャズの日々に戻れそうな感じである。
聴きたいアルバムも山ほどたまっていることだし……

昨日は久しぶりに神保町の「BIG BOY」に行ってきた。
平日に「BIG BOY」に行くのはほとんど無いのだが、
普段と変わらぬさっぱりとして、清潔な店内に流れる
大音量のジャズを耳にすると
全身の血が沸き立つような感じになってくる。
マスターの林さんにも「ひさしぶり」と言われ、
忘れられていなくて、ほっとした気分である。

チック・コリアの『トリオ・ミュージック』がかかった。
このアルバムは、僕が初めて「BIG BOY」に
入った時に流れたものでもある。
「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」はさすがにチックで、
周りのお客も本を読む手を止めて聴き入っていた。
ミロスラフ・ヴィトウスのベースもグーンと響いていて
やはりジャズ喫茶の音響設備は並ではない。

次にスタン・ゲッツとビル・エヴァンスの
『バット・ビューティフル』がかかった。
すごい2人のライブ共演盤だが、このライブではいろいろとあったようだ。
ゲッツが予定になかった曲を吹いて、エヴァンスがへそを曲げてしまったり、
エヴァンスの誕生日にちなんでゲッツが「ハッピーバースディ」を吹いたり、
と、エピソードに事欠かないのだが、
何よりもその演奏の全ての美しさ、
やわらかでありながら芯のある音色が、心をとらえて放さない。

ひさしぶりに林さんとも話ができて、徐々にジャズエンジンがかかり始めた。
そしてこの後、管豪ジェイムス・カーターのライブへと向かった…

仕事のため

2009年07月21日 | 休業のお知らせ
仕事のため今日は臨時休業にします。
ちょっと遠方への出張になるため、
明日も更新はありません。

ちょうど世間の学生は夏休みも来たようですし、
ここはゆるりとジャズに静かに耳を傾けては…

とりあえず、2日間はお休みですので、
また時間がありましたら、ぜひご来店を

地中海の風は、愛の歌?

2009年07月20日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
『アルハンブラの思い出』という曲がある。
アルハンブラは、グラナダにイスラム教徒たちが作った宮殿であり、
レコンキスタでスペイン人たちがその領土を回復した時、
一緒にその宮殿を手に入れたという歴史を持っている。
だから『アルハンブラの思い出』は、
どこか杜甫の「春望」に近い雰囲気を持っていやしないか?
「国破れて山河在り 城春にして草木深し」である。

そんな異文化同士が混じり合ったアルハンブラに
この度ジョン・ゾーンまで加わってしまった。
ジョン・ゾーンの『アルハンブラ・ラブ・ソング』である。
あのジョン・ゾーンが「ラブ・ソング」であるから驚きだ。
とはいえ、ジョン・ゾーン自身は演奏に加わっておらず、
コンポーザー&アレンジャーとして参加をしている。
ピアノトリオであり、非常に聴きやすい。
ある程度までの物悲しさもあったりする。
そういう情緒と異国感を忘れないのがジョン・ゾーンなのだ。

ジョン・ゾーンは、いろいろな実験的音楽をやるから、
ジャズだけに限定するのでは狭すぎる。
毎回ジョン・ゾーンを聴くと思うのだが、
いつも「これはイケルだろう」という耳残りのいいメロディーが出てくる。
ジャズはアドリブだと思っていても
結局は一瞬で耳をキャッチしてくれるメロディーには
「カッコイイ!!」と痺れてしまうのだ。
よくテーマだけに惹かれてしまうだろう。そんな感じだ。
そういう意味でもこのアルバムは適度に聴きやすく、
また耳に残るメロディーも目白押しだ。
しかもピアノトリオだし…
演奏をしていなくてもそれはジョン・ゾーンの音楽なのだ。

ジョン・ゾーンの音楽は、
時に激しく破滅的でありながら、時にしっとりと胸に響き物悲しい。
だが、そこには「音」を楽しむ!
ということを基にして「音楽」を創っていることを感じるのだ。

白いくちなしの花をその髪に

2009年07月19日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
コルトレーン死去の1967年より
遡ること8年前の1959年、7月17日
「レディ・デイ」こと、ビリー・ホリデイ死去。
有名な話は、昏睡状態で病院に着いても一時間以上待たせられ、
麻薬中毒とアルコール中毒者として処理され、治療を拒否されている。
そのため麻薬患者も受け入れ可能な病院に転送されるも
ストレッチャーに乗せられたまま廊下に放置されるという状況だったそうだ。

まぁ、この影響ですぐに死んでしまった的に書いてあるものもあるが、
実は入院をしたのが5月31日であるようだから、
それから1ヶ月以上の入院生活があったわけだ。
だが、この入院騒ぎから、当時のアメリカの状況や
黒人に対する差別的態度を読み取ることもできる。

ビリー・ホリデイというとその名の有名さに反比例して
実際に歌を聴いたことがないという人も多い。
今日の『ラヴァー・マン』は、デッカ・レコードで録音したものである。
軍隊に入隊中にジミー・デヴィスが、
ビリーに書いて送ってきた『ラヴァー・マン』。
ジミーは二度と戦地より戻ることはなかったが、
その曲を気に入ったビリーは、デッカで吹き込んだ。
その際にビリーは、デッカに頼み弦楽器をバックに入れてもらっている。

とかく悲劇的なその一生で有名になってしまうビリー・ホリデイであるが、
このアルバムを聴いてみれば、
その悲劇の陰を感じるという人は少ないのではないか?
じっくりと情緒豊かに歌うビリーの声は今でも僕らの胸を打つ。
時にタメを作り、時に囁くように
ゆったりとメロディーに乗るその声はどこまでも柔らかい。
一語一語をはっきりと発する歌い方は歌に対する優しさを感じられる。

確かにビリーの生涯は波瀾万丈だったかもしれない。
だが、そんなことを微塵にも感じさせない声を彼女は永遠に残してくれたのだ。

参考文献 『奇妙な果実-ビリー・ホリデイ自伝』 
           油井正一 大橋巨泉訳   晶文社