国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

「今」が燃え上がる! それがライブなのだ!

2009年07月12日 | マスターの独り言(ライブのこと)
僕のとても音楽的に影響を与えてくれた古い友人がいる。
彼は、高1の社会科見学のバスの中で、
海援隊の『贈る言葉』をただ1人熱唱して注目を浴びた。
しかも金八先生のセリフ付きだ。
これがきっかけで、僕は海援隊を聴くようになった。
その後、サザンにワイヨリカ、ザバダックと
彼の聴く音楽を後追いするように聴いてきたわけだ。

大学卒業後だったと思う。彼は英語の歌をカラオケで歌った。
「ライク・ア・ブリッジ・オーバー・トラブル・ウォーター」
邦題で「明日に架ける橋」、サイモン&ガーファンクルだ。
それまで教科書でしか知らなかった
サイモン&ガーファンクルの世界がここから開いた。

生でその歌手の声を聞くことができるのは幸せである。
ジャズではよく「CDで聴くか、ライブで聴くか」と論争する。
僕はCDで聴く派なのだが、
それでもライブへ行けば「やっぱりライブは燃えるよなぁ」と思ってしまう。

今回のサイモン&ガーファンクルのライブは、
やはり年齢層が高かったように見える。
もちろん1960年代を青春で過ごした人が多いのは当然だろう。
だが、会場全体は熱かった。
年齢が高かろうと、ライブはめちゃくちゃに盛り上がり、
いや盛り上がらざる得ないような状況だった。

僕はライブは結構冷めた目から入ることが多い。
途中ガーファンクル組、サイモン組と分かれて演奏に入ったら、
「う~ん」と会場の盛り下がりを感じた。
会場にいる人たちは、往年の名曲を心待ちにしているわけだ。
だが、やはり2人にとって別々のバックを置き、
今の自分たちの活動を見せることも必要なことだろう。
ここは明らかに2人と会場の感じ方に多少のずれが在ったように思われる。

ところが2人が揃い、演奏が始まるとやはり違うのだ!
「明日に架ける橋」が流れると会場の盛り上がり度が一気に上昇。
ガーファンクルの歌声はかすれ、CDのような声は出ない。
でも、それがどこか力強く、しっかりと土台に足をつけたような声なのだ。
時を越えた今の声が、2人の今までの活動の濃密さを醸し出す。
過去のCDに無い、今の2人の目指す別々なものが
ライブという場を借りて、全てプラスの方向へと働いているのだ。
ガーファンクルのメロディーとサイモンのリズムが、
今しか作り得ない音楽を作っていた。

アンコールは「サウンド・オブ・サイレンス」と「ボクサー」
どちらも名曲だ。
まるで上物のワインをひたすら寝かせて、熟成されたような芳醇な音楽だった。
そりゃあ、拍手は鳴りやまないのは当然だ。

ダブルアンコールとなり、最後は「いとしのセシリア」!
とにかく会場が一体になり、手拍子。
当の2人もかなりの盛り上がり度に驚いたようであり、
何度も手を振り、答えてくれた。

確かに往年の名選手が、当時の力を望むのは難しいかもしれない。
でも、一方で「今」にも何か素晴らしいものがある。
「スカボロー・フェア」の美しいハモりを聴いた。
「ミセス・ロビンソン」のノリノリのリズムを身体に刻んだ。
「コンドルは飛んで行く」の異国情緒を心で感じた。
「明日に架ける橋」の声とピアノのハーモニーに涙が出そうになった。などなど
おそらく今回の公演が最後で、
もう2度と生のサイモン&ガーファンクルには会えないかもしれない。
でも2人の音楽は、確実に僕の中に何かを残してくれている。

そうだ! たまには僕も「オールド・フレンド」に連絡を取ってみよう…