国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

平岡正明氏、亡くなる

2009年07月09日 | 喫茶店に置いてある本
評論家の平岡正明氏が、お亡くなりになった。

当然のことながら面識もない僕が
氏の経歴を語ることは許されることではないだろう。
だが、氏の本を紹介するのはジャズファンとしての供養にはなるだろう。

『昭和ジャズ喫茶伝説』(平凡社)は、平岡氏の書き下ろしである。
ジャズ喫茶の全盛期は、1960年代から70年代で、
70年後半には勢いが衰えてきている。
平岡氏もちょうど学生運動盛んな時期に、
ジャズと出会い、そこからジャズを絡めた評論家の道を歩んでいる。
そのころはレコードも高価な物で、
ジャズを本格的に聴き込むにはジャズ喫茶が一番だった…そうである。
学生運動の高鳴りと共に過激な思想が世を闊歩するようになると
ジャズもより過激な音を求めて、コルトレーン隆盛期となる。
耳よりも頭で聴く時代だったわけだ。

平岡氏も文章を読んでみると、
ジャズを思想的に聴いていたように思われる。
だが、その自由闊達でぶっきらぼうな文章が、
ユニークであり、ただ思想的というわけではなく読みやすい。
(時代背景的なものは読み取りづらいが)

氏の文章を読むようになったのは
男の隠れ家別冊本『ジャズを巡る旅』の冒頭の文章がきっかけだ。
中国の古典『水滸伝』を絡めながら
セロニアス・モンクの「ジャスト・ア・ジゴロ」を
聴いた思い出を述べているものだった。
普通は『水滸伝』とモンクは結びつかないだろう。
でも、その情景がまざまざと浮かんでくるかのようであり、
説得力を十分に持ち得た文章が、とてもおもしろかった。

粋で気っ風のいい感じでありながら、どことなく優しさがある。
それが僕の持つ平岡正明像である。
どこまで正しいかは知ったことではないが、
ただ、今は1人のジャズファンを失ったことが残念である。

心よりご冥福をお祈りします。