国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

「暑さ」を「熱さ」で相殺せよ!

2011年08月09日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
「心頭滅却すれば火もまた涼し」などというが、暑いものは暑い。
それだけは変わることの無い事実である。
残念ながらあちらこちらで「暑い」と言っていたり、
「猛暑」「酷暑」というワードが囁かれたりしていれば、
己も知らぬうちに取り込まれてしまっているのがオチである。
そして呟かずにはいられまい、「暑い…」と。

何がそうさせるのか分からないのだが、
「昼間はクーラーを付けてはならない」という思い、
息をするのも苦しくなったりもするのだが、
それでもこの「暑さ」を何とかやり過ごしたいという気持ちで一杯である。

そこでコルトレーンの『ヴィレッジ・バンガード・アゲイン』を取り出してみる。
「暑い」時には、「熱い」茶でという昔ながらの日本人の発想を生かして
「暑さ」を忘れるために「熱い」ジャズで対抗し、相殺してみる。

「夏場にコルトレーン」というのは勇気がいる。
しかも初期ではなく、永遠と吹き続ける後期はまさに「熱い」。
そもそもコルトレーンは何故こんなにまで吹き続けるのか。
このアルバムのころは共演していなかったのだが、
エルヴィン・ジョーンズは確か言っていた。
「演奏が終わったら、スーツは汗にまみれ、
 床にも汗やらヨダレやらでびしょびしょだった」
なるほど、サックスを吹くと、
リコーダーの如くヨダレが垂れてきてしまうことを思い出させる言葉だ。

コルトレーンは言いたいことが一杯あったに違いない。
一度音を出すと、終わりまでしゃべらないと気が済まない。
途中でその話がつまらないと気が付いても、
とりあえず言葉を紡いで何とかオチを付けたいと思っているのかも…

それはこちらの勝手な想像だが、
それにしてもこのアルバムの1曲目「ナイーマ」は、どことなく涼しげだ。
3曲目「マイ・フェイバリット・シングス」と比べてみると
穏やかなコルトレーンの語り口が、すんなりとした空気を運んでくれる。
対するファラオ・サンダースのヘタウマサックスが、「?」を灯らせるが、
コルトレーンの語り口はまさに静やかな湖面の如く。
思えば前夫人に捧げた曲でありながら、
それを今の夫人アリス・コルトレーンが余裕のあるピアノさばきで歌っているから。

「マイ・フェイヴァリット・シングス」になると周りも騒がしくなる。
するとコルトレーンの口にも熱がこもってくる。
「やっぱりこっちじゃなかったんじゃないの?」と言いたくもなるが、
コルトレーンは意に介した様子もなく、若き才能たちが燃え上がるのを眺めている。
こう考えてみるとコルトレーン自身は意外に冷静沈着で、
その対比として熱い人たちと一緒にやっているのではないかという考えになってくる。

熱かろうと風は風。
吹き抜ければ知らぬ間に涼も感じられるやもしれない…

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