東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

イギリス

2021-08-25 20:44:12 | 日記
 人を食ってるですか・・・。
 
 吉田茂という人は太平洋戦争の後に日本の総理大臣を5回務めたみたいだけど、吉田茂は竹内家から吉田家に養子に行ったようだ。吉田茂は吉田健三という人の養子になったようだけど、吉田健三はジャーディン・マセソン商会の横浜支店の支店長に就任し、その後は実業家になって横浜で富豪になったようだ。
 
 安政6年(1859年)に横浜にジャーディン・マセソン商会の横浜支店ができたようだ。長州藩の藩士だった長州五傑といわれる人たちはジャーディン・マセソン商会の協力でロンドン留学したようだ。長州五傑の中には伊藤博文も含まれてるらしい。
 
 幕末にグラバーというイギリスの商人が日本で武器を売ってたようだけど、グラバーという人はスコットランドの出身のようです。グラバーはグラバー商会という会社を立ち上げたようだけど、ジャーディン・マセソン商会の長崎代理店として設立したようだ。
 
 明治維新の頃の上海は東アジア最大の西洋文明が発展してた土地らしい。詳しく知らないが、ウィキペディアに、そう載ってる。ジャーディン・マセソン商会の上海支店があったようだ。
 
 ジャーディン・マセソン商会の設立当初の主な業務はアヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出らしい。ウィキペディアに、そう載ってる。
 
 ジャーディン・マセソン商会ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

キリスト教

2021-08-25 20:30:46 | 日記
 神の国ですか・・・。
 
 清では1851年から1864年の頃に太平天国の乱があって、カルト化したキリスト教の人たちの反乱があったみたいだ。
 
 太平天国の乱の首謀者の洪秀全という人は客家の出身らしく、清の役人の試験に何度も落ちて、寝込んだ時に夢を見たらしく、儒教を捨て、キリスト教を自分の宗教にして、キリスト教を独自の解釈をして拝上帝会という組織を立ち上げたようだ。洪秀全は天王を自称して太平天国を建国したらしい。1864年に洪秀全が亡くなり、太平天国の乱は1870年代に、ほぼすべて鎮圧されたみたいです。
 
 太平天国ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

2021-08-25 20:14:55 | 日記
 アヘンですか・・・。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、日清戦争の後に台湾は日本の統治になって、台湾総督府が置かれたみたいです。
 
 後藤新平は台湾総督府の民政長官に就任してアヘンの撲滅も行おうとしたらしいけど、その一方で、杉山茂丸という人とアヘン利権に関わってたようだ。ウィキペディアに、そんなかんじで載ってる。
 
 1840年にアヘン戦争があって、清はイギリスに負けて、1856年にあったアロー戦争では清はイギリスとフランスの連合軍に北京まで攻め込まれたみたいです。
 
 アロー戦争の後にキリスト教の宣教師が中国大陸の内地に入って布教活動をして、信者を獲得していったようだけど、地元の人たちとのトラブルも起こしていったようだ。
 
 1900年には義和団の乱が起こったようだ。もともとは清の民間人の人たちのキリスト教の人たちや外国人の排斥運動のような乱だったようだけど、清の王朝が他国に宣戦布告をし、8ヶ国の連合軍が鎮圧に動いて北京まで侵攻してったみたいです。その連合軍の中に日本もいて、日本が兵を一番多く出したようだ。ウィキペディアで調べて書いてるんですが、こんなかんじで、いいんでしょうか?。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、辛亥革命が1911年から1912年にあって、清が滅びたみたいです。
 
 清ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

三井

2021-08-25 20:05:37 | 日記
 右翼ですか・・・。
 
 明治時代に玄洋社という右翼団体ができたようだけど、黒龍会という玄洋社の海外工作機関といわれる右翼団体もあったようだ。玄洋社も黒龍会も太平洋戦争の終戦の後にGHQによって解散させられたみたいです。玄洋社は福岡藩の藩士だった人たちが中心になって結成されたことになってるみたいです。
 
 杉山茂丸という人は玄洋社の財政基盤確立のための資金調達のため、安場保和を福岡県知事に就かせたようだ。福岡県令が福岡県知事になったようだけど、ウィキペディアで調べると、安場保和が福岡県知事だった期間は明治19年(1886年)から明治25年(1892年)のようです。
 
 杉山茂丸という人は筑豊炭田の取得のために安場保和を福岡県知事に就かせたみたいだけど、九州に行ったことないし、九州のことについて詳しく知らないんですよね。
 
 麻生さんの麻生家も炭鉱絡みみたいだからなあ。
 
 九州にあった三池炭鉱は明治時代に三井財閥に払い下げになったみたいだけど、ウィキペディアで調べると、明治22年(1889年)に払い下げになり、明治25年(1892年)に三井鉱山が創立されたようだ。
 
 團琢磨という人が三井三池鉱山社の事務長になり、三井鉱山の会長になって、三井財閥の総帥にも就いたようだ。團琢磨という人は昭和7年(1932年)の血盟団事件で暗殺されたみたいです。
 
 三井鉱山の利益は三井銀行を追い抜いて三井物産と肩を並べるようになったとウィキペディアに載ってる。三井財閥は日本最大の財閥になったようだ。三井鉱山と三井銀行と三井物産が三井財閥の三本柱だったようだ。
 
 三井財閥ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

水沢

2021-08-25 19:40:32 | 日記
 奥州市は蘇民将来の人たちに征服されてるみたいだからなあ。
 
 明治時代に玄洋社という右翼団体ができたようだけど、黒龍会という玄洋社の海外工作機関といわれる右翼団体もあったようだ。玄洋社も黒龍会も太平洋戦争の終戦の後にGHQによって解散させられたみたいです。玄洋社は福岡藩の藩士だった人たちが中心になって結成されたことになってるみたいです。
 
 杉山茂丸という人は玄洋社の財政基盤確立のための資金調達のため、安場保和を福岡県知事に就かせたようだ。福岡県令が福岡県知事になったようだけど、ウィキペディアで調べると、安場保和が福岡県知事だった期間は明治19年(1886年)から明治25年(1892年)のようです。
 
 明治維新の後に岩手県奥州市の水沢の街には胆沢県庁が置かれたらしい。安場保和という人が大参事に就いたみたいだけど、安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたみたいだ。その中の1人が後藤新平で、後藤新平は安場保和の娘を妻にしたみたいだ。
 
 この人は本当に奥州市に来たんだろうか?。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、日清戦争の後に台湾は日本の統治になって、台湾総督府が置かれたみたいです。
 
 後藤新平は台湾総督府の民政長官に就任してアヘンの撲滅も行おうとしたらしいけど、その一方で、杉山茂丸という人とアヘン利権に関わってたようだ。ウィキペディアに、そんなかんじで載ってる。
 
 奥州市の水沢の中野というところに菅原道真公の息子の菅原淳茂が住んでいたらしい。淳茂公は播磨に左遷されて、播磨を抜け出して岩手県に来たみたいです。奥州市の隣の一関市にある配志和神社にも淳茂公の伝説があります。
 
 京都にある北野天満宮は菅原道真公を祀ってるようだけど、 北野天満宮は日月星の三辰信仰の神社らしい。日月星の信仰を三辰信仰や三光信仰というらしく、星は北極星のようです。
 
 奥州市の水沢の街に日高神社という妙見宮だった神社があって、境内に留守氏の祖霊社の瑞山神社があります。日高火防祭か知らないけど、火と水だってさ。
 
 日高神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか