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パワードーム半田 その3

2009-02-26 21:50:02 | 店舗情報
パワードーム半田の3回目は、旧ネクステージ半田を取り巻いた環境の話。

パワードーム半田の前身「ネクステージ半田」がオープンしたのは、バブル景気真っ盛りの1990年9月。
当時の半田市長は、山田紡績社長(当時)の山田耕一氏でした。
山田氏は1987年の半田市長選で、3期12年を勤め4期目を狙った竹内宏氏を破り初当選。
そして1990年9月、山田紡績所有地に「ネクステージ半田」をオープンさせます。
しかしオープン前に、ネクステージ半田前の道路拡幅・駐車場入口の信号設置に関して半田市議会で問題になるなど、順調なスタートではありませんでした。

そして山田氏が2期目を狙った1991年の半田市長選。
当初は無投票で山田氏の再選かと思われていたのですが、急遽前市長の竹内氏が立候補。
市長時代にネクステージ半田をオープンさせた事が市民の反感を買ったのか、山田氏は落選。竹内氏が市長に返り咲きました。
その後1995年の半田市長選でも竹内氏と山田氏の3度目の対決繰り広げられたものの、竹内氏が2期連続当選。山田氏が市長に返り咲く事はありませんでした。

その後の1997年ネクステージ半田からヤオハンが撤退。
1998年にはネクステージ半田そのものが閉鎖に追い込まれます。
その後ネクステージ半田の建物を所有する山田紡績は、建物を競輪・競馬・競艇の3種の公営ギャンブルの場外発売所にする「半田スポーツドーム計画」を立てます。
しかし環境の悪化を懸念する周辺住民等から反対の声が上がり、JRA日本中央競馬会からも「周辺住民の合意がない限りウインズ(場外発売所)は作らない」と突き放され、計画を断念せざるを得なくなりました。

そして折からの紡績不況とネクステージ半田建設費の負債に耐え切れず、山田紡績は倒産。紡績工場の全従業員を解雇します。
しかしそれが不当解雇として労働組合から訴えられ、裁判沙汰になってしまいました。(その後和解が成立)

2002年9月、旧ネクステージ半田は「パワードーム半田」として再オープンし、現在に至ります。
山田紡績は不動産事業を主な事業として、現在も存続しています。






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