40になっても今未だ女っ気なしの男やもめ『紀男』
今日は朝から雨が降っている、この社宅もかなり老朽化が進み二、三箇所雨漏りがする
その度に洗面器やバケツで雨を受けるこの音が、素材や大きさによって音が違う
ポッチャンポッチャン、カンカン、トントンと、この音が耳に付き気になってなかなか寝付けない事がある
初めは布なんかを敷いて置くからいいものの、雨水が溜まってくるとこんな音がしだす
そんなこんなんで朝起きて見ると洗面器は表面張力で一杯水が溜まっているので、少しずつ鍋にお玉ですくい流しに捨てる
このまま今日1日降り続くようなら昼休憩の時にまたすくいに来なければならない、参った事です
来年には今はとたんの屋根を瓦に葺き替えてくれるそうだが・・・
紀男は工場の施錠担当だから出社はいつも一番乗り、タイムカードを押して持ち場の旋盤の用意をする
「社長おはようございます」
「お〜おはようさん、雨漏りはどうや」
「も〜最悪ですよ、社長、昨日夜中に4回ほど気になって起きましたよ」
「すまんな、もう少し辛抱してか」
「おはようございます」と次にやって来たのは隣部屋の郁夫
「郁夫の部屋の雨漏りはどうやった」
「はい、先月大きなバケツを買ってたんでおかげさんでこぼれずに助かりました」
「おいおい、そんな嫌味言わんでもえ〜やろ、もうちょと待って、今業者に葺き替え頼んでるからな」
「おはようございます」と次に来たのは信雄だ
「おはようさん、信雄雨漏りどうやった」
「あ〜、昨日また新たに一箇所増えましてね、朝起きたらちょうど股間の辺りがびしょびしょになってましたわ」
「え〜、それって寝小便じゃなくって」
「まさか、この年になってそんな事しませんよ」
「そらすまんすまん、まさかな、今もみんなに言うてたんやけどもうしばらく待ってくれって」
「わかりました」
そして全員持ち場に行き、工場が動き出した
前島家
「洋子ちょっといいか」
「なあにお父さん」
「前から言っていたお見合いの事やけどな、朝日工業の社長、誠司君知ってるわな」
「はい」
「その誠司君に誰かいい人がいたらとお願いしてたんや、そしたらそこの従業員さんでとてもいい方がいるから、もしお前さえ良かったら見合いさせてもらわれへんかと連絡があったんやけどな〜」
「従業員さん?、別に私はいいけど、でもお母さんが何と言うか」
「そうだな、お母さんは結構世間体を気にするからな、ワシの見合いの時もどんな経歴の人って親に聞いてたらしいからな」
「へ〜、そうなの」
「しかし結婚は当人同士が決めるもんで親が勝手に決めるものじゃないからな」
「私もそう思うわ、好きでもない人と無理矢理なんて絶対嫌だもん、だってこれから共に生きる人生だからね」
「そうだな、じゃ〜この話進めていいんだね」
「え〜」
「わかった、母さんには私からちゃんと話をしておくからね」
「はい」
朝日工業
グワ〜ン、旋盤で鉄パイプを切りながら加工する緻密な作業
他の部品との組み合わせの際、100分の1ミリ単位で削らなければならないこの作業は、朝日においては元々手先が器用な紀男が入社3年目で習得した
精密部品の加工を得意とする朝日工業が生き残れてきたのもこの完成度の高さが評価されてきたお陰だ
元々先代の社長が頑固なまでの製品作りにこだわって来た技術を二代目である社長に厳しく伝えてきた事が、時代と共に信頼され今日に至っている
そんな製品作りにおいて朝日社長は1日の半分は工場に入り一人一人の作業をチェックしながらアドバイスをしている
「紀男君、ちょっと話があるんや、手が空いたらでえ〜から事務所に来てくれるか」
「はい、もうちょっとで終わりますから」
紀男は手に付いた油と顔を洗い事務所に向かった
「社長、何でしょうか」
「ちょっとこっちの会議室に来てくれるか」
「は〜」
「あのな〜、この前の話やけどな」
「はい」
「あれから郁夫がな、友達へ連絡入れてくれたんやけどな」
「は〜」
「びっくりせんとってよ」
「は〜」
「実はな、その桐島さんやったかな」
「はい」
「子供がおるらしいわ」
「えっ」
「でもな、旦那さんはだいぶ前に亡くなったらしいんや」
「は〜」
「それで今はお母さんと三人で暮らしているそうなんや」
「・・・・・・・」
「ワシもその話聞いてビックリしたわ」
「・・・・・・・」
「だから、もし、紀男君がそれでもえ〜と言うならやで、その桐島さんの気持ちを改めて聞いてもらおか、と郁夫と相談したんや」
「・・・・・・・」
「紀男君もまさかこんな展開になるとは思わなかったやろ、どうする、と言うより暫く考えてみてはどうかな」
「・・・・・・・」
「社長、いいです、それでも僕は構いませんので聞いてもらって下さい」
「えっ、いいのかい」
「お願いします」
「わかった、そしたら郁夫に聞いてもらうわ」
次回はいよいよ最終回
紀男と早苗の行方はどうなるのだろうか・・・・