寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

大平、日守境の狩野川水門撤去のこと。

2011年09月11日 09時57分26秒 | オンライン古書店
◎前稿の追記で書き始めましたが、あらためて新規投稿としました。

地元(三島沼津周辺)の人は国道136号線の抜け道として誰でもご存知であろう。
沼津市大平(おおひら)地区と田方郡函南町日守(ひもり)地区との行政境にあった水門が昨秋撤去され、県道の幅が大いに拡張、ドライバーはこの場所で「交互通行」のストレスから解放された。今日を生きる私たちには水門撤去は交通事情からみて当たり前のこととして片付けられるが、それは豪雨災害時の狩野川放水路絶対という過信の裏返しであり、先人たちの生活苦心の産物である『水門』の撤去という事態にどうも単純には心が晴れない。(以下画像はいずれも昨年10~11月撮影)


日守側から大平方面を見る。そもそもは大平山から伸びた尾根の末端を開削した県道139号(原木沼津線)に水門を取り付けたもの。今回の改修工事では、画像右側の尾根が大きく切り払われている。なおこの尾根の終端は狩野川堤防に接している。


この県道は国道136号線の抜け道として行楽シーズンには首都圏ナンバーもさかんに通行しているが、水門の手前では必ずどちらかが一時停止して道を譲らなければならなかった。右側の赤枠が撤去された水門の位置。


大平から日守方面を見る。左側が大きく開削されている。
●この水門は昭和8年に築かれてオカズイモン(陸甲)と言う。コンクリート製の水門の溝に24本の角材を上から二重にはめ込み、その間に土俵200俵余を詰めて堤防決壊の洪水を堰き止めた。前稿の狩野川台風時には対岸の函南町塚本地区の堤防が先に決壊した為、水位が下がり奇跡的に大平・日守地区は水害を免れている。昭和40年の放水路完成以降近年ではこの水門も閉められることはなかったと聞いている。


《ブログ内関連記事》
前稿(9/8)台風災害から、狩野川台風誌と狩野川放水路工事誌

《追記》9/23
◎22日伊豆日日新聞より台風15号記事

●修善寺橋~氾濫注意水位(警戒水位)を超えて増水する狩野川(21日16時)


●沼津市口野の狩野川放水路出口(21日16時10分)

伊豆日日新聞22日によると、22日午後3時現在、三島・田方地区の降り始めからの雨量は伊豆市大字筏場(いかだば)入天城で384mm、同湯ヶ島で290mmに達しており、狩野川は昭和33年の狩野川台風以来、過去最大の増水となり、今年初めて狩野川放水路のゲートを開放した。もしも先の台風12号が紀伊半島に降らせたような想像を絶する2400mmの雨量が狩野川水系に降ったならば、狩野川放水路絶対神話はたちまち崩壊するだろう。

《追記2012/9/26》


●日守水門撤去後の拡張道路を走ってみた。
随分とヌケが良くなり交通渋滞の緩和にもなったが、近年見られるようなゲリラ的集中豪雨で川が氾濫すれば、もう防ぎようがない。

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