寅の子文庫の、とらのこ日記

本が読みたいけど本が読めない備忘録

赤瀬川セレクション・岩波写真文庫が届いた。

2007年10月03日 21時11分18秒 | 岩波写真文庫
待望の復刻版岩波写真文庫/赤瀬川セレクション全10冊が届いた。
気になる値段は5冊づつ函入りセットで各共3,675円。
一冊735円の勘定だが、バラ売りしているかどうかは分からない。


◎社会篇全5冊
・南氷洋の捕鯨(初版1950/6/10~No003)
・ソヴィエト連邦(〃1952/9/30~No065)
・戦争と日本人(〃1953/8/15~No101)
・一年生-ある小学教師の記録(〃1955/3/25~No143)
・日本-一九五五年十月八日(〃1956/4/25~No183)

◎科学篇全5冊
・汽車(初版1951/4/20~No021)
・蛔虫(〃1951/10/5~No044)
・馬(〃1951/12/1~No048)
・石炭(〃1951/11/25~No49)
・自動車(〃1953/9/30~No94)

どれも初版の復刻で大きさも当時のままB6判64頁。
本文の前後に見返しのような形で解説頁(前後各1枚2頁)を設けている。


本文前の解説ページには[選者からのメッセージ]~赤瀬川原平さんの談話。


本文の後は、[写真文庫ひとくちばなし/編集部]と、[50年代を感じる/当時の宣伝文を拝見!]として、『岩波写真文庫目録』1957年9月1日版または『図書』各月号から当時のコピーを掲載している。手元に温存してある初版・重版本と比較すると、掲載写真の解像度はどれも精度が良さそうだ。このあたりの復刻判製版の苦心は、No065『ソヴィエト連邦』の「ひとくちばなし」に興味深く書いてあるので必見。

ひとつ例を取って『No003南氷洋の捕鯨』を念入りに見比べてみる~手持ちの1951年11月1日3刷と並べてページをめくると~復刻版9頁上の「積荷整理」が別アングルの写真に変更してある。本文最後64頁の1枚「魚河岸についた冷凍鯨肉(上写真)」は3刷では鯨を撃つ「頭の平らなモリ先」となっている。その他、『No021汽車』 『No049石炭』の本文中にも差し替え写真が2ヵ所ずつ確認できる。今回は10冊だけの復刻となったがこんな形で良いから、「○○さんが選んだ10冊シリーズ」みたいな形で今後も復刻を続けてほしい。

半世紀という時を隔て、改めて当時の「記録」を見つめたとき、我等の生活態度は反省の上に新しい展望の余地が若干残されているような気がして憂鬱は晴れた。この国の未来もまだまだ捨てたもんじゃない、見通しが明るければ意気も上がる。復刊ドットコムを見れば岩波写真文庫全286冊揃いの応募も出ていて人気の裾は広い。ひょっとすると全冊復刻は以外と近い日に訪れるのかもしれない・・・そしてそのとき、寅の子文庫の役割は終了する。

岩波写真文庫『赤瀬川原平セレクション』復刻ナンバー決定。

2007年08月25日 22時35分22秒 | 岩波写真文庫
小冊子『岩波書店の新刊』2007年9月号によると、岩波写真文庫の復刻版『赤瀬川原平セレクション』の10冊が次のとおり決定、9月27日に全国書店に並ぶことになった。

科学編全5冊セット
・汽車(No21)
・回虫(No44)
・馬(No48)
・石炭(No57)
・自動車の話(No94)

社会編
・南氷洋の捕鯨(No3)
・ソヴィエト連邦(No65)
・戦争と日本人(No101)
・一年生~ある小学校教師の記録(No1439
・日本~1955年10月8日(No183)

◎B6版68ページ定価各共3,675円(本体3,500円)
今回の復刻では、1987~90年にかけて9シリーズ全114冊の復刻をみた『A5復刻ワイド版』ではなく、原版通りB6判を踏襲した。写真文庫は通常どれも中綴じ64ページと決まっている。しかし今回の復刻は68ページで原版より頁数が増しているのでこの点を注目したい。定価は共にセット価格で3,675円(本体3,500円/1冊あたり700円になる)。もう今から店頭に並ぶのを指折り数えて待っている。今後とも継続して『○○さんが選ぶ岩波写真文庫10冊』という企画で次々復刻してほしい。

岩波写真文庫、赤瀬川セレクションで復活。

2007年08月19日 07時36分03秒 | 岩波写真文庫

一念叶い、岩波写真文庫の大口入荷がある。
盆休み返上で254冊を本棚にUPし終えたとき、携帯が鳴った。
数日前、『金印の出た土地~北九州の歴史』をお買いになられた福岡のSさん。
Sさんは50数年前、同級生等とこの冊子の製作に携わり、
その記念に皆して表紙の写真に収まったそうだ。
懐かしくて更に在庫の2冊もお買い求めになられた。
元気なうちにこの冊子を持って仲間を訪ね歩きたいとお話になった。

『野球の科学~バッティング』の入荷を待っていた横浜のHさんには
「マイ永久保存用の揃い」からコピーを取って急場を凌いで貰っていたが、
今回入荷の中に状態の良いナンバーを見つけて早速昨日、発送することができた。
この286冊シリーズは発刊から半世紀を経てなお、人の心に残る。

今朝、岩波書店のホームページから嬉しいニュースを拾った。
赤瀬川原平さんが286冊の岩波写真文庫から10冊を選び
『赤瀬川セレクション』として復刻を予定している。
どのナンバーが甦るか、現時点ではまだ分からないが、今からとても楽しみ。
余計なことで恐縮だが、寅の子文庫が選ぶ10冊は次のとおり。

・034【電話】
・044【回虫】
・094【自動車の話】
・101【戦争と日本人-あるカメラマンの記録】
・111【熊】
・114【地図の知識】
・184【練習船日本丸】
・188【離された園】
・190【家庭の電気】
・266【軽井沢】

さらに選外5冊を追加すると、
・003【南氷洋の捕鯨】
・085【伊豆の漁村】
・113【汽車の窓から-東海道】
・124【水害と日本人】
・148【忘れられた島】

《紹介したいサイト》
岩波書店のホームページから、岩波写真文庫復刊の記事
↑画面右上にある「只今,進行中」をクリック、
↑「戦後腹ペコ時代のシャッター音/岩波写真文庫再発見」をクリック。

岩波写真文庫の本棚~286冊全て揃いました。

2007年02月15日 15時27分41秒 | 岩波写真文庫


殆ど全ての日本人は敗戦という重い荷物を背負い、焼け野原から立ち上がった。
岩波写真文庫は1950年6月10日【木綿】に始まり、
1958年12月20日【風土と生活形態】を最後にシリーズ286冊を完結した。
半世紀を経て今なお、色褪せない庶民の明るい笑顔の中に生きる逞しさをみる。
岩波写真文庫に出会い20余年、店主になった今も自分の為に好きで集めている。

同じようにこの冊子を愛する方に全286冊を本棚に揃えることが出来てうれしい。
人気ナンバーの中には法外な価格設定もあるが「並上」の保存状態はすこぶる良く、蒐集家の厳しい目にも耐えられると思う。

主なナンバーから~

【南氷洋の捕鯨/003】並中/初版 1,200円
【かいこの村/084】並中/初版 1,000円
【伊豆の漁村/085】並中/初版 1,000円
【自動車の話/094】並上/初版 1,800円
【戦争と日本人/101】並上/初版 1,500円
【汽車の窓から・東海道/113】並上/初版 2,000円
【水害と日本人/124】並上/初版 2,500円
【一年生・ある小学校教師の記録/143】並上/初版 1,200円
【忘れられた島/148】並上/初版 5,000円
【村の一年・秋田/177】並上/初版 1,000円
【離された園/188】並上/初版 3,000円
【子供は見る/199】並上/初版 1,200円
【日本・1957年4月7日/237】並上/初版 2,000円
【風土と生活形態/286】並上/初版 1,200円


岩波写真文庫のことなら買い取りも古本寅の子文庫


※追記(2/19)上記ナンバーのうち以下売り切れました。
[南氷洋の捕鯨]
[戦争と日本人]
[汽車の窓から~東海道]
[日本・1957年4月7日/237]
[風土と生活形態]

影山正雄(光洋)の写真

2006年09月14日 07時28分57秒 | 岩波写真文庫
岩波写真文庫101番【戦争と日本人】影山正雄さんの写真に拠るところが大きい。
棚に数冊並べてあった保存状態の其々違うこのナンバーも、復刻ワイド版の1冊を除き全て売れてしまった。残りの1冊はもはや売り物でない。

今日、偶然にも入手したある一冊の本【太平洋戦争/日本歴史シリーズ21/世界文化社/昭和44年】に影山さんが撮影した写真が出ていた~影山さんは昭和5年東京高等工藝学校写真部を卒業、朝日新聞東京本社に入社、写真部に配属となった。職務として戦争を伝える報道写真と戦時下に生きる庶民の暮らしを撮り、終戦とともに辞表を出して新聞社を去った~その後の消息については定かでない。本書巻末には図版目録として収録されている全ての写真にその撮影者氏名とタイトル(題)が記してあり、影山さんの写真を拾うと52枚に及んだ。岩波写真文庫101番【戦争と日本人】とも併せ見て、影山さんの従軍カメラマンとしての足取りを追いかけてみた。(カッコ内の年数は昭和、1行コメントは本文及び他より写真と照合した)

・朝陽に向かう自動車部隊(満州事変/日本陸軍)
・古北口に入城したどくろ部隊(満州事変/日本陸軍)
・満州国皇帝溥儀来朝(昭和10年)
・東北凶作救済会議/凶作にあえぐ東北の極貧農家(10年)
・永田鉄山暗殺現場(10年)
・戒厳令下の雪の東京(10年/2・26事件)
・第2次上海事変勃発(12年8月)
・四川路の犠牲者たち(同上)
・徐州作戦(13年5月)
・南京入城(12年12月)
・避難する南京市民(同上)
・七・七禁令(15年/贅沢は敵だ)
・ブキテマ高地の攻防(16年12月~17年1月、開戦初期)
・ツラギ沖夜戦で炎上する敵甲巡(17年8月*ウィキペディア掲載の写真)
・新宿繁華街の焼け跡(20年頃?)
・原子爆弾投下(20年8月9日/キノコ雲)
・マレー沖海戦(16年12月10日/炎上する英戦艦POWとレパルス/航空写真)
・牟田口廉也中将(年不詳/作戦の合間)
・予科練生(年不詳/土浦海軍航空隊の予備学生)
・特攻隊夜間出撃(年・撮影場所不詳)
・天津を死守する日本海軍陸戦隊(年不詳)
・天長節観兵式(9年/馬上の昭和天皇・代々木錬兵場にて)
・チチハルの多門師団長(年不詳)
・日満議定書調印(7年9月)
・満州国皇帝溥儀来日(10年4月)
・虐殺におびえる南京市民(12~13年頃)
・英霊の帰還~(岩波写真文庫101・戦争と日本人の表紙)
・上海天長節祝賀会(7年)
・斉藤実海軍大将一家(年不詳/挙国一致内閣の誕生)
・靖国神社春季大祭(14年4月)
・出征兵士(年・場所不詳)
・軍国モードの七・五・三(年・場所不詳)
・家庭の主婦は大日本国防婦人会を結成(年・場所不詳)
・女学生の体操・学生の軍事教練(年・場所不詳)
・靖国神社で清掃奉仕(年不詳/靖国神社)
・銃を持って訓練を受ける主婦(年・場所不詳)
・隣組工場(年・場所不詳)
・米の隣組配給(年・場所不詳)
・コークス拾い・木炭バス・本場コーヒーの飲みおさめ(年・場所不詳)
・家庭菜園・国民服の結婚式(年・場所不詳)
・衣料切符で買い物(年・場所不詳)
・なんでも行列(年・場所不詳)
・建物の強制疎開(年・場所不詳)
・灯火管制~(岩波写真文庫・戦争と日本人に一連の写真あり)
・空襲を受けた家屋(17年4月18日/帝都初空襲)
・焼け出された人々・有楽町の惨禍(戦争末期)
・浅草仲見世通りの被害(戦争末期)
・集団疎開した学童(戦争末期)
・防空壕で空襲警報解除を待つ(戦争末期)
・集団疎開した学童(戦争末期)
・バラック住い・銀座のヤミ市(終戦時)
・米軍の帝都進駐(終戦時)

影山さんは15年戦争を通じて中国大陸、仏領インドシナ、また遠くソロモン海域まで従軍カメラマンとして同行、歴史の断面をフィルムに残した。昭和12年の南京入城、17年1月のマレー沖で当時世界最新鋭を誇った英戦艦プリンスオブウェールズを沈めたとき、またシンガポール陥落で山下中将が敵将パーシバルにイエスかノーかを迫ったとき、終戦間際の長崎市上空に炸裂した原子爆弾の巨大なきのこ雲など・・・そのいずれの場面にも歴史の証人としてファインダーを覗いていた。戦争末期には内地にあって銃後の暮らしの変貌をもカメラに捉えた。戦後、昭和28年(1953)8月15日、岩波写真文庫【戦争と日本人~あるカメラマンの記録】がシリーズ101番目に刊行されたとき、私たちは初めてこの一報道写真家の名前を知った。影山さんは忠実な報道カメラマンであると同時に戦禍を生き抜く一市民としても苦渋の体験をされている。その内容は写真文庫に詳しいが、26年4月、三男の賀彦さんを亡くしたとき(~死亡診断書は心臓衰弱症とある)食べるものもなく当時の日本人の生活が殆どそうであったように、『所詮賀彦には敗戦の風は厳しすぎた』と言う。戦争は庶民の夢や希望、家庭の団欒までも容赦なく粉砕した。影山さんの写真を見る度にあの時代はいったい何だったのだろうと考える。15年という暗く長いトンネルの中を彷徨い歩いた日本人の陰影が胸に突き刺さる。今、私たちは平和な社会の中に居る。平和な心で影山さんの写真を見つめたい。


夕べ読んだ本
【太平洋戦争/日本歴史シリーズ21/世界文化社刊/昭和44年】

今日から後半戦~岩波写真文庫の本棚から。

2006年07月01日 18時12分40秒 | 岩波写真文庫
岩波写真文庫の本棚を若干更新しました。
148番【忘れられた島】と188番【離された園】はどちらも手持ちの最後の1冊。
復刻版の本棚からは新風土記シリーズ49冊を一括セット~ファイル付きと、
都会の記録シリーズ1952-1957、こちらは6冊組みをバラしてUP。

さあ、今日から折り返しの後半戦です。


懐かしい昭和30年世代から。

2006年06月30日 05時48分30秒 | 岩波写真文庫
昭和30年世代の記憶に焼き付く東京オリンピックとエキスポ70。
寅の子店主には東洋の魔女の記憶は無いが、太陽の塔と月の石は見に行った。

岩波写真文庫を買ってくださった横浜のUさんも同じ30年世代。
ご自身のホームページをご紹介してくださいました。
題して、昭和30年代のアルバム

勿論私も含めて、
みんなお腹に回虫が居た時代の腕白坊主・・・




そして、こちらは写真文庫の隠れた秀作~No44回虫

岩波写真文庫、お譲りください。

2006年04月10日 20時32分08秒 | 岩波写真文庫
岩波写真文庫の本棚は寅の子文庫の屋台骨。好きでもう20年以上集めています。インターネットを始める以前は日曜朝の電車で神田まで買出しに出かけたこともありました。大好きなことをコツコツ積み上げていると思わぬご褒美を頂くことがあります。グーグルとヤフーで各々『岩波写真文庫』と検索をかけてみます。グーグルでは20,100件のヒットがあり寅の子文庫のお店が1番に出てきます。ヤフーでは771,00件のヒットで、寅の子文庫のページが1番と2番に出ています。特にSEO対策もしていませんがほんとうに有難いです。お父さんの本棚で眠っている岩波写真文庫、是非寅の子文庫で買い取りさせてください。

●お問い合わせは、mail@toranokobunko.com


雨ニモマケズ~岩波写真文庫【戦争と平和1955】から。

2006年04月06日 19時25分53秒 | 岩波写真文庫
岩波写真文庫復刻ワイド版51【戦争と平和1955】がまた、売れました。
見開いた最初の頁に大好きな写真が出ています。
50年前の田植え風景には人も馬も一緒になって、汗水垂らして働いていました。
この写真は同じ写真文庫48【馬】にも掲載されています。
背景に白抜きで、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』が載っています。

~アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニ~

そんな生き方ができたら、
ケンカヤソショウ、も起こらずどんなにか良いだろうと思う。


今日、払込通知が届きました。
福岡のSさんいつも有難うございます。

グラフィックレポート~二つの日本・八月十五日

2006年02月08日 20時45分07秒 | 岩波写真文庫

終戦後11年、岩波写真文庫は8月15日をテーマに写真を公募した。
日本列島の隅々から総数千六百余枚の応募があり、編集部は厳選した172枚を掲載して一冊の写真文庫が発刊された~No209【日本~一九五六年八月十五日】



【グラフィックレポート/二つの日本・8月15日】

本書では前半に【日本~一九五六年八月十五日】を復刻、30年を隔てた1986年8月15日の列島模様を後半に収めている。いずれの日本も8月15日は焼けつくように暑く蝉の声が耳の奥に響いている。そして最後の頁には読者も参加せよと写真を1枚貼るセレモニーが用意されていた。読者自身が貼ることで写真集は封印され平和の祈りを込めたタイムカプセルとなる。




グラフィックレポートの本棚から~日本人のふるさと

2006年02月07日 00時54分20秒 | 岩波写真文庫

岩波写真文庫は1958年(昭和33年)12月20日、
No286【風土と生活形態】を最後にシリーズを終了した。グラフックレポート【日本人のふるさと】は37年の空白を受け、286冊の写真文庫の中から選りすぐりの写真を174頁の紙面に余すことなく掲載して写真文庫のフィナーレを飾った。編著者であり社会地理学の権威であった、故竹内啓一氏の言葉を借りれば、『本書の趣旨は1950年代の写真を提供して、1950年代の風景を読んでいただくことであった』と言う。1950年代の風景に庶民の暮らし向きは見事なまでに溶け込んでいる。父母たちが額に汗して懸命に働いた後姿を忘れてはならない。今宵暫く、あの時代を懐かしむと同時に、それら写真の1枚1枚が日本人の今後歩むべき道に警鐘を鳴らしていることに私たちは気がつかねばならない。


日本人のふるさと―高度成長以前の原風景 グラフィック・レポート
クリエーター情報なし
岩波書店


岩波書店のグラフィックレポート本棚できました。

2006年02月05日 20時41分40秒 | 岩波写真文庫

【昭和史の消せない真実】を読んだ。
・731細菌戦部隊
・使い捨てられた労働者の墓標=万人坑
・血都の都=南京大虐殺
・枕木は見ていた=泰緬鉄道

自衛隊の海外派遣、国際協力は世界第2位の経済大国からすれば当たり前かもしれない。
しかし戦争中、日本軍がアジア諸国で1700万人の犠牲者を出させた史実はどうなるのか。
その国の人たちから見れば再び軍備された日本の海外派遣は脅威のほか、何ものでもない。
学校で、教科書で教えられなかった戦争の傷痕がここにある。
15年戦争の歴史を今、もう一度正面から見据えなくてはならない。

岩波書店から二つの写真集~
【グラフィックレポート】と【ビジュアルブック】の本棚作りました。

オンライン古書店 古本寅の子文庫





岩波写真文庫の本棚を更新しました。

2006年01月22日 23時42分57秒 | 岩波写真文庫


岩波写真文庫本棚1・2・3・(4)を更新しました。

No3【南氷洋の捕鯨】
No85【伊豆の漁村】
No101【戦争と日本人・あるカメラマンの記録】
No113【汽車の窓から・東海道】
No124【水害と日本人】
No143【一年生・ある小学校教師の記録】
No148【忘れられた島】
No165【やきものの町・瀬戸】
No184【練習船日本丸】
No209【日本・1956年8月15日】
No248【十勝平野】
No266【軽井沢】
~など人気のナンバーを一挙237冊公開。
ご注文メールへの返信確認は1月24日以降、発送は1月25日から開始です。
~ご期待ください。

(上の写真はイメージにつき今回お届けする本ではありません)

岩波写真文庫買取します。

2006年01月14日 03時08分11秒 | 岩波写真文庫
メールで岩波写真文庫の大口買取依頼を受ける。
昼間現場で携帯に連絡があり、お近くなので今夜伺いたいとのお話。

箱を開けると、お父様が大切にされていた写真文庫が198冊、
全て1冊ずつ吟味、15年戦争の歴史書籍37冊と合せた合計が、〆て46,790円。
たった今、メールでご案内、精一杯のお見積もりです。

どうか吉報お待ちしています。

岩波写真文庫の整理が一段落しました。

2005年10月08日 03時21分04秒 | 岩波写真文庫


岩波写真文庫、全286冊ならびに 岩波写真文庫復刻ワイド版、全114冊の整理が一段落した。
どれも吾が子のように感慨深い冊子たち。

*左/No101【戦争と日本人~あるカメラマンの記録】
仮に全タイトル中、1冊だけ選ぶとしたら即座にこのナンバーを選ぼう。もう12~13年以上も経つと思う、当時アサヒカメラか日本カメラだったか、この[あるカメラマン・影山正雄氏]の特集を掲載したことがあり、不注意にも無くしてしまったその雑誌を今でも捜し求めて古本屋を彷徨う歩いている。以前にも、とらのこ日記に書いたことがあるがー。→101番・戦争と日本人売り切れ

*中/No148【忘れられた島】
286冊中、人気度No1のナンバー。寅の子文庫でも以前、復刻ワイド版を出したことがあったがわずか、3時間も経たず売れてしまった。何故それほど人気が高いのか? タイトルにある、「忘れられた~」という響きの中に己が存在を世の中の雑踏に埋もれさせまいと、無意識的な反発心が多分にこのタイトルをめ贔屓しているのではないのか。物語は薩摩半島の南、約50kmに位置する三島村(さんとうそん)の生活を克明に描写している。終戦間近い昭和20年3月、本土鹿児島との連絡が途絶え、電話も無線も無い生活の中、8月の終戦も知らずグラマンの機銃掃射を恐れて山中でじっと生きていた人たちの過疎地の村作りの記録。

*左/No188【離された園】
写真文庫編集部をはじめ、この冊子の製作に携わった全ての人たちに最大の敬意を払いたい。22年前、神田の古本屋で初めて写真文庫を手にしたとき、巻末目録にこのタイトルを見つけて以来探し続けた結果、ようやく入手したのが3年前、札幌の古書店から取り寄せる。このナンバーに掲載している写真は163枚、しかし製作にあたり国立多磨全生園をはじめ全国11の国立、3つの私立療養所の協力を得て、延べ4000枚もの写真が撮られたという。その労苦に頭を垂れ、病気に対する偏見と、園に生き続ける人たちの本来有るべき人権回復を願って止まない。この一冊がハンセン氏病と閉ざされた社会の闇を照らしゆく灯台の役割を果たし、50年の歳月を微塵も感じさせない先見性と困難に立ち向かう勇気に注目せずにはいられない。286冊の製作の意義は全てこの一冊に凝縮され、この一冊から286冊に光彩は正に解き放たれていると思う。

*ガラクタ箱、のサイトから【岩波写真文庫188・離された園】の全ての頁が公開されている。

岩波写真文庫がひとりでも多くの人の目に留まることを願って止まない。


忘れられた島 (復刻版 岩波写真文庫―森まゆみセレクション)
クリエーター情報なし
岩波書店


離された園 (復刻版 岩波写真文庫―森まゆみセレクション)
クリエーター情報なし
岩波書店