スイーツとワンコたち・・・駄菓子屋ともちんへようこそ!

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老後

2010年09月16日 | Ma Famille (家族)

東京から戻ると

旭川は初秋の空気…

置いて行ったワンズの熱烈な出迎え

どんなに忙しくても送迎をしてくれるパートナー

美味しい夕食を用意してくれていた家族

待っていてくれる人のいる幸せ

        

 

今回の上京は母の引っ越しの手伝いが目的だった

それが大幅に変わったのは 上京の前日だった

        

母の様子がおかしい

妹からそういうメールが届いた

当然できることができない

自分の家のトイレの場所がわからない

水の出し方がわからない…

 

え…?

 

人手は足りているから孫の出番はない

そういうことになっていたはずなのに

娘が羽田まで迎えに来ていた

       

母の住む町までは羽田から直行の電車がある

       

立派なマンションが何棟もあり

公園まで有する居住性のよさそうな一角

       

                             桜並木

       

母は この町に住んで8年になる

横浜に住んでいた2年半

私は 月に3度くらいの割で この道を通った

       

       

       

外も中も 常に業者によってきれいに保たれている

母の住んでいた棟は ライフケア付き

守られた世界だった

マンションから外に出なくても

娯楽も用も足りる

部屋にはセンサーとナースコール

フロントに通じる電話がある

       

       

でも 入居者は自立していることが条件だ

65歳以上でなければ入居できないのに

自立が条件なんて…

だから母をはじめ入居者の殆どは

それまでの住まいを保持したまま

この場所で自立できなくなるまでの歳月を

快適に過ごしている

 

自立できない=認知症

そんな風に考えていたところがある

今回 母は肝臓がんで闘い抜いて

精根尽き果てて引っ越しを考えた

ホスピスを希望していた

が、 これがなかなか空きがない

やっと見つけたターミナルケア付きの

有料老人ホーム

 

資料集めから契約

経済的な処理など一人で頑張っていた

そんな頭のしっかりしていた母が

トイレの場所が分からなくなったって…

 

私たちの到着を待って

妹が母を病院へ連れて行った

肝臓にアンモニアが溜まり

それが脳に回って脳炎を起こしていたそうだ

入院し、安静と点滴で母はいつもの母に戻った

私は滞在予定を延長し付き添った

母の食欲が戻り 

生きる希望を口にするようになって

安心して帰途に就くことができた

 

それにしても…

私が子どもの頃

80歳を超えた親が

自分で自分の最後を決めるなんてこと

そんなむごいことはなかった

そういうことは子どもたちの責任だったはずだ

私たちの親世代

戦後の高度成長の時にバリバリ働き

定年間際が あのバブル時代

そして私たち

さあこれからという時にバブル崩壊

働き盛りはリストラの嵐

親世代のほうがはるかに経済的に豊かで

だから子どもに迷惑はかけられないと

本来なら『御隠居』として

暢気に暮らすべき人たちが

最後の最後まで自分たちで乗り切ろうとする

どうしてこんな世の中になっちゃったんだろう…

 

そういいつつ

やはり子どもの世話になるのは

極力避けたいと考える自分がいる…