スイーツとワンコたち・・・駄菓子屋ともちんへようこそ!

現在 アトリエさくらは活動休止中です。次のステップに向けて準備しております。

母のタンス

2011年04月14日 | Ma Famille (家族)

こんばんは…

旭川も暖かくなりました

アトリエの庭にはクロッカスが

咲き始めました

よく見ると去年植えた

行者ニンニクも芽を出しています

 

母の死は

時を同じくして家族を失った

沢山の方々の悲しみと

私の中では

どこかで繋がっていて

被災地の映像を見ては泣く日々ですが

それでも春は巡ってくると

その花咲くころに母は居ないと

また泣き…

     

 

父は家具職人でした

母は父の仕事を手伝っていました

二人とも家具を見る目は確かでした

初婚の時

二人が選んでくれた重厚な旭川家具

とてもとても気に入っていたのですが

離婚のときに 置いてきました

家をリフォームしたために

物理的に出せなくなっていたのです

そのことを 母に泣いて詫びました

母は そんな私を不憫に思ったのでしょう

自分が最後まで使ったタンスを

お母さんが死んだら

持って行きなさい…と

 

そのタンスを妹が送ってくれました

母と一緒に引っ越しをした

とても素敵なタンスです

私の娘でさえ欲しいと言うような

立派なタンスです

妹が言いました

タンスを見ても泣かないでよ

母があんなに行きたがっていた

アトリエに

せめてタンスを置いてあげたいから…と

     

夫が初めて母に会った時に

撮ってくれた写真を飾りました

母が残した服の一部は

そのまま引き出しに入れてあります

いつか私が着ようとおもって…

あとはゲスト用のタオルやリネンを

入れておきました

     

とてもしっかりした作りのタンスです

大切に使って

娘に譲り渡そうと思います

 

私の家では

父を オトーコさん

母を オカーコさんと

変わった呼び方をしていました

     

オカーコさん…

アトリエの居心地はいかがでしょう

やっぱり本人に来てほしかった

一緒に庭を作ったり

美味しいものを食べたり

まだまだ教わることが

たくさんあったのに…

涙は涸れそうにありません

あなたはドライに見えて

とてもウエットなんだから…

そう言っていたオカーコさん

素敵なタンスを残してくれて

ありがとう…

 

     


感謝…

2011年04月02日 | Ma Famille (家族)

 

旭川に戻りました

母の看護に東京へ向かった頃

真っ白だった旭川も

春を迎える気配が

色濃く漂う季節へと

移っていました

 

師匠、 momijiさん、 鰊曇りさん、

メンカさん、 yasuko …

暖かい励ましのお言葉をありがとうございます

今はまだ

お一人お一人に返信できるだけの

心のゆとりがありません

 

母が切望していたアトリエ訪問

実現できなかった痛みは

なかなか乗り越えられないでいます

けれど

母は死の床にあって

最後まで果敢に闘い

笑顔と感謝の気持ちにあふれ

たった一度しか

私には涙を見せませんでした…

  

いつまでもめそめそしていたら

叱られそうです…

 

沢山の人たちに愛されていた母

美しく若い母が

子供のころから自慢でした

授業参観が楽しみでした

友達の賞賛の言葉の後には

決まって

お母さんには似ていないんだね…

そう言われましたけど。

  

 

父も、母も、私も、育った上野では

オオカンザクラが満開になり

ソメイヨシノも咲き始めました

これから先

何度 春を迎えるのかはわからない

けれど

さくらを見るたびに

美しく生き

美しく散った母を思い出すのでしょう

 

今 しみじみと

母の娘に生まれてこれて

本当に良かったと

感謝の気持ちでいっぱいです

 

ありがとう…

  

 

 


別れ

2011年03月23日 | Ma Famille (家族)

いつも暖かい励ましを

コメントやメールで寄せて下さるみなさま

ありがとうございます

 

最愛の母が

3月22日 23:45 永眠しました

 

元気なお母さんに会いたかったら

早く来て…と言われて

急きょ上京したのは 1月31日でした

あと余命2週間と言われた母は

でも、とてもそんなに弱っているとは

思えないほど しっかりしていました

ただ

食欲が極端に落ちて

口に合うものが限られていたので

母の望むものを調達するために

あちこち奔走した 2週間でした

食べたいものであれば

少しは食べられるようになったので

私は 一時 旭川に戻りました

が、戻ったその日から

母は嘔吐に苦しむようになりました

一人では心細い…と妹からメール

結局 家には5日しかおらず

また東京へ…

 

二度目の東京では

いかにしたら母が気分良く過ごせるか

それを模索する日々でした

モルヒネと症状緩和の薬を

あれこれ試して

効果があるのは 3~4日

また薬を変えて…

その繰り返しでした

3週間が過ぎ

家を長期にわたって空けている

私の心の負い目と

滞在先の妹夫婦への遠慮と…

誰も何も言わないのに

私は一人で苦しくなってきて

いつまで続くか分からない闘いに

どうしたら良いのか分からなくなり…

 

東北関東大震災があった頃は

母は驚くほど 食べられるようになっていて

今から思うと

あれは神様が最後に残してくれた

楽しみだったのでしょう…

 

元気になれたから

一度 旭川に帰るね…

辛くなったり会いたくなったら

すぐに連絡してね

そう言って東京を後にしたのは10日前

 

ところが私が去って間もなく

母は転んでしまい

寝たきりになってしまいました

 

二度までも私を呼び寄せた

東京の家族は

今回は早く来て…とは言えなかった

歯切れの悪い電話の応答に

状態が見えない私は焦り

兄や妹の様子から

三度目の上京を決めたばかりでした

既に母は昏睡状態でした

 

結局 私は自分の全ての

肉親の死に目に会えずに終わりました…

遠方に嫁ぐと言うことは

こういうことなのでしょうか…

 

けれど

今回は夫や両親の暖かい励ましがあり

母の最期の時間の殆どを

同じ部屋で過ごすことができました

母が一番 私を必要としているときに

ずっと居てあげることができました

母のベッドの傍で

母の好きな軽音楽を聴きながら

ハワイアンキルトを一針一針

他愛ないおしゃべりをして

こんなに長い時間を母と過ごしたことは

かつてなかった気がします

 

幼いころから 私は

母の希望通りの人生を歩んできました

結婚に破れ 心配や迷惑を

いっぱいかけてしまったけれど

母は私の生き方を応援し続けてくれました

私の夢は母の夢でもあり

私が作るお菓子の一番最初のファンでした

 

父がいないと何もできないような母は

父の死後

どこでどう開き直ったのか

一人で生きる晩年を選び

自分で終の棲家を探し

がんに冒されてからも

果敢に闘い

遂に治療の道が断たれてからも

ターミナルケアの施設を自ら探し

明るく生きていました

子供の負担になったり

子供の芽を摘むことだけはしたくない

いつもそういって

少しは甘えればいいのに

いつの間にか

戒名や葬儀の段取りまで済ませて

そして

子供のころから一番派手な喧嘩をしてきた

妹にみとられて

父のもとに旅立ちました

結局 母が弱い部分を見せられるのは

妹だったのでしょう…

 

今日 また上京します

母を送ってきます

きっと 相当めげてしまうだろうと

何もする意欲がなくなっちゃうだろうと

本当は そう思うのだけど

私に夢を託した母のために

苦しくても前向きに

人に喜ばれる仕事を始めなくてはって

そう思って

とても眠れそうにない長い夜

ブログの更新をすることにしました

 

長々と読んでくださって

ありがとうございました…

 


お知らせ

2011年01月29日 | Ma Famille (家族)

 

               お知らせ

 

    

 

母の体調が思わしくなく

月曜日から上京します

 

     

ブログの毎日更新は

今年の目標の一つでした

     

でも

そんなことより

母との時間を大切にしたいから

     

パソコンは持参しないことにします

私の作るケーキの

一番のファンだった母が

再び 大好物のフルーツケーキを

口にできる日が

奇跡でもいいから

巡ってきたら…

     

 

     


まい泉のお節

2011年01月02日 | Ma Famille (家族)

今日も青空暖かい…

神社2軒をはしご初詣して

温泉に入って

昨日までの慌ただしさとは裏腹に

のんびりお正月 

 

長男は青山まい泉のコックだった

まい泉がサントリーの傘下に入り

新たにホームページからの販売が始まった

立ち上げたのは 我が息子

サントリー側からの大抜擢だ

現場とパソコンに詳しい故の人事異動

 

今年 まい泉は 初めて

お節のネット販売をした

試作を重ね、試行錯誤して

販売にこぎつけた

母として 発注した

蓋を開けるのが ドキドキだった

 

     

     

母親のひいき目もあるのかもしれないが

行き届いた美味しそうなお節だ

     

     金箔・銀箔で飾られたつやつやな黒豆

     

     

我が家の今晩の夕食は

息子も3日間工場に缶詰めになって

作り上げた まい泉のお節だ

息子は もうすぐ 28歳になる

優しい長男だ…

 

今年の年末 

お節を作るのが大義になったら

思い出してほしい

フォローの充実した

まい泉のお節を…

         

    

まい泉謹製おせち《一段重》

伊達巻、豚ヒレかつ、焼豚、紅白蒲鉾、銀鱈西京焼、紅鮭柚庵焼、

真鱈煮付、豚そぼろ、車海老芝煮、海老芋六方煮、栗きんとん、

椎茸エビすり身詰、肉詰め蒟蒻、錦玉子、豚肉昆布巻、いくら

醤油漬、百合根甘露煮、柚子甘露煮、味付ゆば、姫竹煮、

金時人参煮、味付数の子、黒豆松葉(金箔、銀箔入り)、

紫蘇巻寒干大根、くらいオランダ煮、そら豆甘露煮、田作り、

添付(とんかつ用ソース、マスタード)

 

《三段重》もあります

 

とんかつまい泉

東京都渋谷区神宮前4-8-5

0120-482-485

営業時間 11時~22時45分

ラストオーダー 22時

http://mai-sen.com/  (PC・携帯共通)

 

 

この佳き日に

2010年12月22日 | Ma Famille (家族)

1985年2月16日

娘は産声をあげた

動物好きで運動神経が良くて

兄と弟にはさまれた一人娘だから

気性はサバサバ

私を反面教師にして

しっかり者の娘に育ちあがりました

 

そして

2010年12月18日 晴れの日を迎えた

     

     

         

花婿も娘も

親に無心することもなく

全て自分たちで段取りをした

式場は阿佐ヶ谷の馬橋稲荷神社

     

     

     

     

まっすぐに育ってくれてありがとう

     

     

今日からはなんでも相談して

仲良く寄り添って

母のような苦しい選択をする日が

決して来ないことを祈ります…

     

きっとこの人となら大丈夫だと信じてる

 

娘は よく会社に私のケーキを持って行っていた

みんなで食べていたのだろうけど

時々 「まきさん」という人から

今日のケーキには この紅茶が合いそうだから…

と、 素敵な香りの茶葉や

大好きな(そして高価な)ゴディバのチョコレートが

お礼にと届くようになった

ソムリエの資格も持っていると言う「まきさん」

素敵な女性なんだろうな…って思っていた

 

まさか それが娘とのデートを

願っている男性だったとは… 

将を射んと欲すれば…の馬だったわけだ、私は 

いきさつはともかく

彼が空気を読むムードメーカーであることは

疑いようもない

よそ様が心をこめて育て上げた青年が

私の息子として加わった 

やったね 

     

     

まきさん、 ふつつかな娘ですが

よろしくお願いします

     

     

イケメンの花婿 

花嫁もきれいだよ 

     

 

素敵な時間をありがとうね  

 

     

 


Preserved Flower ... 美しい贈り物

2010年12月13日 | Ma Famille (家族)

またしても

筋トレ・有酸素運動の雪が降ってきました…

 

アトリエで迎える二日目の朝

夫くんは毎日様子を見に来てくれます

昨日は忙しい私に代わって

除雪までしてくれました 

 

娘に頼まれたケーキ類も

八割方できあがり

あとは仕上げとラッピング

これが意外と手間かかるんだけどね…

 

一人で奮闘していると

宅配便が届いた

送り主は関西に住む従妹姉妹

 

     

プリザーブド フラワーだ 

    

    

アレンジの素敵さはもちろんのこと 

どうやったら 花たちの色を

こんなに鮮明に留められるんだろう…

    

       

   

大好きなアジサイで縁どられているところも 

モダンな容器もアトリエの雰囲気にバッチリ 

水やりの心配もなく

枯れる心配もない

それでいて ちゃんと本物 

 

さっそく飾りました 

     

 

ありがとう 

遊びに来てくれるのを

腕を磨いて待っているからね 

 

   


焼き立てパンで朝食

2010年09月27日 | Ma Famille (家族)

9月24日 早朝 西の空

     

仲秋の名月の名残…

 

東京で暮らす道産子の娘の口癖

北海道は空が違う

     

そんな娘と一緒に

とても9月とは思えないほどの寒さの中

ワンズと早朝散歩

     

     喜ぶマイロ

     

早朝からたっぷりとお散歩して

用意しておいたパンを焼いて 朝食

     

     

天然酵母で作った全粒粉のパン

     

こちらはフランスパン

こだわって谷口農場の発芽小麦粉で焼きました

     

これは美味しかったですゥ

 

ホントはウッドデッキで…って思ったけど

余りの寒さに断念

けど予想以上にパンの評判が良くて

安心しました 

 


老後

2010年09月16日 | Ma Famille (家族)

東京から戻ると

旭川は初秋の空気…

置いて行ったワンズの熱烈な出迎え

どんなに忙しくても送迎をしてくれるパートナー

美味しい夕食を用意してくれていた家族

待っていてくれる人のいる幸せ

        

 

今回の上京は母の引っ越しの手伝いが目的だった

それが大幅に変わったのは 上京の前日だった

        

母の様子がおかしい

妹からそういうメールが届いた

当然できることができない

自分の家のトイレの場所がわからない

水の出し方がわからない…

 

え…?

 

人手は足りているから孫の出番はない

そういうことになっていたはずなのに

娘が羽田まで迎えに来ていた

       

母の住む町までは羽田から直行の電車がある

       

立派なマンションが何棟もあり

公園まで有する居住性のよさそうな一角

       

                             桜並木

       

母は この町に住んで8年になる

横浜に住んでいた2年半

私は 月に3度くらいの割で この道を通った

       

       

       

外も中も 常に業者によってきれいに保たれている

母の住んでいた棟は ライフケア付き

守られた世界だった

マンションから外に出なくても

娯楽も用も足りる

部屋にはセンサーとナースコール

フロントに通じる電話がある

       

       

でも 入居者は自立していることが条件だ

65歳以上でなければ入居できないのに

自立が条件なんて…

だから母をはじめ入居者の殆どは

それまでの住まいを保持したまま

この場所で自立できなくなるまでの歳月を

快適に過ごしている

 

自立できない=認知症

そんな風に考えていたところがある

今回 母は肝臓がんで闘い抜いて

精根尽き果てて引っ越しを考えた

ホスピスを希望していた

が、 これがなかなか空きがない

やっと見つけたターミナルケア付きの

有料老人ホーム

 

資料集めから契約

経済的な処理など一人で頑張っていた

そんな頭のしっかりしていた母が

トイレの場所が分からなくなったって…

 

私たちの到着を待って

妹が母を病院へ連れて行った

肝臓にアンモニアが溜まり

それが脳に回って脳炎を起こしていたそうだ

入院し、安静と点滴で母はいつもの母に戻った

私は滞在予定を延長し付き添った

母の食欲が戻り 

生きる希望を口にするようになって

安心して帰途に就くことができた

 

それにしても…

私が子どもの頃

80歳を超えた親が

自分で自分の最後を決めるなんてこと

そんなむごいことはなかった

そういうことは子どもたちの責任だったはずだ

私たちの親世代

戦後の高度成長の時にバリバリ働き

定年間際が あのバブル時代

そして私たち

さあこれからという時にバブル崩壊

働き盛りはリストラの嵐

親世代のほうがはるかに経済的に豊かで

だから子どもに迷惑はかけられないと

本来なら『御隠居』として

暢気に暮らすべき人たちが

最後の最後まで自分たちで乗り切ろうとする

どうしてこんな世の中になっちゃったんだろう…

 

そういいつつ

やはり子どもの世話になるのは

極力避けたいと考える自分がいる…

 

 


ご心配なく…

2010年09月09日 | Ma Famille (家族)

     

       お知らせ   

 

   

   

   青い池

 

明日から4日間上京します

母が引っ越しをするからです

高齢で闘病中ですが

自分の最後は自分で決めたいと

勇気ある決断です

     

 

引っ越し先で

母が心の穏やかに暮らせることを

願ってやみません

 

しばらくブログの更新はお休みします

 

 

    

    忠別ダム 

 

涼しくなった旭川から愛をこめて…

 

                            駄菓子屋ともちん