ヘラートの金曜モスク(マズジェデ・ジャーメェ)は外観の色からブルーモスクとも呼ばれます。
ヘラートの金曜モスク(マズジェデ・ジャーメェ)。、多彩な青色のタイルが綺麗です。
金曜モスクの中では礼拝が行われていました。1万人以上の人が礼拝できるようです。
モスクの中庭の人は、靴を脱いで裸足です。
ヘラートのバザールで購入したアフガン風ターバンを早速に頭に巻いている私。
ターバンの生地は日本製とのことで、日本製が一番良い品とのことでした。この時代は繊維や家電はメイド・イン・ジャパンが世界を席巻していました。イスラム教の人々はコーランや音楽を聴くためにラジカセをよく持っています。そのラジカセも殆どが日本製でした。
したがって、日本という国の名前はよく知っていいますが、日本の国や人のことはあまり知りません。日本はアジアではなく、ヨーロッパにあると思っている人もいました。また、日本人は欧米人の様な顔をしていて、私の様なモンゴル系の顔の人種だと思っていない人もいました。アフガニスタンにはモンゴル系の人種でハザラと呼ばれている人々がいます。モンゴルがアフガンを侵略した時の末裔です。ハザラは比較的下層な人々が多く、その様なモンゴル系の人種が高品質な生地やラジカセを作れる訳がないと思い込んでいるのです。アフガニスタンではヨーロッパ系の顔立ちのパシュトゥーン族が支配階級で、以前の国王や現在のカイザル大統領もパシュトゥーンです。
さて、 ヘラートから南部のカンダハルを経由して首都のカブールに向けて出発です。アフガンは真ん中にヒンズークシ山脈があるため、西部のヘラートから東部のカブールにバスで行くのに砂漠地帯の南部を迂回していきます。山岳部を通って、マザリシャリフ経由でカブールに行くルートも有ったようですが、カンダハル経由の方が普通のようでした。
出発準備を進めるバス、出発時刻になっても人や荷物が一杯になるまで出発しません。
バスの切符は文字が読めない人が多いので、それぞれの都市のシンボルを書いてあります。左からヘラート、カンダハル、カブールです。
出発したと思ったら、エンストです。皆が降りて、押してエンジをかけます。
バスは礫の砂漠の中の道を進んでいきます。
道脇のキャラバンサライらしき建物
ラクダがのんびりと草を食べています。遊牧民が放牧しているのでしょうか?
遊牧民のテントも所々にあります。
カンダハル近郊の町の商店
カンダハルのバス停留所付近、カンダハルの崩れた城壁が見えます。カンダハルはアフガニスタンで2番目に人口が多い町です。カンダハルには停車・休憩しただけでした。
カンダハルは後にタリバンの本拠地になったところです。タリバンの主要構成人種であるパシュトゥーン人が多く住んでします。
カンダハル近郊
砂漠の中を通って首都のカブールに到着しました。
西瓜は字の如く西域から伝わった果物です。西瓜はペルシャ語でヘンダワネです。すぐに覚えました。イランやアフガニスタンの旅行中、安全な水分は果物とお茶です。但し、果物はカットしたものでなく、ホールのものです。バスなどで移動中には、このヘンダワネを丸ごと抱えてナイフで切り取って水分補給します。