シラーズのシシカバブにあたって体調が充分ではないなか、テヘランからアフガニスタンに向かって出発しました。先ずは、イラン北東部のシーア派の聖地メシェッドに向かいました。
テヘランからのメシェッド行きのバスは夜行バスでした。テヘランから、標高3000m級の山が連なるエルブルズ山脈を超えてカスピ海沿岸に出ました。夜中ですが、カスピ海が微かに見え皮膚は湿度でベタツク感じでした。イランにも日本の様な気候の場所が有るとは思いませんでした。
翌日の昼ごろにメシェッドに到着、メシェッドでアフガニスタンのビザを取得しました。何とかアフガニスタンに入国できそうである。実は、この年の7月にアフガニスタンでは、国王のザヒル・シャーがイタリアで目の治療中をしている時に従兄弟のダウド元首相がクーデターを起こして王政から共和制に移行しました。入国できるか少し不安でしたが、2週間ほど前に国境が開いたそうでした。
シラーズからテヘラン、テヘランからメシェッドと夜行バスの旅は体調不良もあり、かなり疲れており写真は全く撮っていませんでした。
メシェッドに宿泊後、イラン・アフガニスタン国境に向かい簡単な検査でアフガニスタンに入国できました。アフガニスタンでは先ずヘラートに向かいました。
アフガニスタンに入国
バスの旅は夜行のことも多く、疲れます
ヘラートに到着、ヘラートの主要交通機関は馬車です。クーデターがあったような雰囲気は感じられませんでした。シャー(王様)が変わったぐらいしか思っていないようでした。しかし、この時が王政の終わりで、この後は国内が少しずつ不安定になっていくことになりました。
ヘラートのメインストリート、ヘラートはアフガニスタンで3番目に人口が多い町です。
着飾った馬
ヘラートの街並み、女性はチャドリを着用していて顔は見えません。トルコやイランとはかなり違いました。
ヘラートの靴屋さん
ヘラートの町外れにあった古い風車、小麦を挽いていたのでしょうか? ヘラート地方の風車の歴史は古く、中国やヨーロッパの風車に影響を与えたそうです。
ヘラートの町外れにあった古い壊れたミナレット。13世紀のモンゴル軍の侵略の時のものでしょうか?廃墟の中に遊牧民がテントを張っていました。
ヘラートの子供たち