「すべてがお与え」と思うようになりました。
ある僧の言葉です
「要るものはお与え下さる。
要らぬものは捨てさして下さる」
私にとってどうしても必要ならお与え下さるし、仏道を歩む上に、私にとって不必要なら、すてさして下さるのです。
私たちがこうなってほしいとどこまでも欲しても、仏さまから見ると「お前には必要ない」とおっしゃっているのです。
しかし、人間は「自分にとって都合のよいものだけ受けとろう」とします。
お釈迦さまは「一切皆苦」とおっしゃいました。
一切が苦なのです。
しかし、よく考えてみてください。
病気になることは苦です。
しかし、健康であっても他の苦しみは出てきます。
お金はないのは苦しいです。
しかし、お金があっても骨肉の争いになります。
子どもに恵まれないのは寂しいでしょう
しかしその子どもが苦悩だという人もおられます。
それが転ぜられて、一切がお与えであるとうけとらしめるものが
南無阿弥陀仏なのです。
今あることは「お与え」なのです。
病になれば、自分だけがなぜ苦しまねばならぬのかと、他をうらみ、家族のものに当たりちらして愚痴しかでない暗いものになってきます。
暗闇の中に閉じこもっていくのですか?
それがお与えであったのだなと気づいた時、はじめて仏法に出会っていきるのです。