こころの旅。。。一休み。、 休んでばかり

見上げれば青空、、、ならいいけど


こんな夜更けにバナナかよ

2020年12月06日 15時32分00秒 | 

字の大きさが。、
少しは直ったかな?
新しくなったのかな?

去年の映画だったか?
この前TVでやってました。
録画して見ました。
人工呼吸器も苦しいのね。ボランティアが500人くらい関わって助けてくれたとか
24時間見守りは大変なのだな〜と
映画だからあんな事ができてのかな?と思ったけど実在の人物像があったのですね。
最後に本人出てました。

いまいちお腹すけば美味しいかな〜

2019年12月01日 08時36分00秒 | 

昨日TV見てたら両足の無いモデルさんが出てました。
親に直ぐ捨てられて里親が育ててくれたとか。
綺麗な方でした。モデルをなさってると
脚がないので腕でなんでもしなければならない。
しょいしょいと椅子に登り、
台所の台の上に登り、棚から調味料を取ったり料理したり
チャーハンを作ったフライパンは直ぐに洗ってました。
スケートボードに乗りの移動。
タクシーにのりスケートボード練習場に向かう。滑る
友達もそこで増えたと。

もう一人
何かの病気が自立呼吸が出来ない事になり11歳から鉄の肺にお世話になり生きている。女性の話
ポンプで空気を圧縮したり戻したりで肺を膨らませたり畳めたりで
生きている。
72歳まで生きたのだったかな?
母親が付ききりで
大学まで行きと言っても講義が受けられるように特殊な機械をつけて貰ったみたいだけど、
寝ながら記者になってお仕事もしたとか。


 作家の戸川昌子さんが死去

2016年04月27日 15時28分41秒 | 
スポニチアネックス 4月26日(火)16時33分配信

作家の戸川昌子さんが死去 85歳 シャンソン歌手、コメンテーターで活躍

 推理作家でシャンソン歌手の戸川昌子(とがわ・まさこ)さんが26日午前5時47分、胃がんのため死去した。85歳。東京都出身。


息子でシャンソン歌手のNERO(38)が同日、フェイスブックで発表した。
葬儀・告別式の日取りは未定。

 NEROは「5年前に末期がんの宣告を受け、家族2人で何度も話し合った結果、最後までステージで歌い続け、戸川昌子らしく生きたいとの本人の意向を受け活動しておりました。
その意志通り、母が入院する前日まで、共にステージに立ち、一緒に歌って来れました。
戸川昌子の生き様を最後まで貫いた、立派な人生だったと思います。
母でありシャンソンの師であり、また仲間のようでもあった母の旅立ち。
その魂は僕の、そして皆様の心の中で生き続けることでしょう。
ありがとう、僕のママン」とつづった。

 所属事務所は闘病生活について「5年前に末期がんの宣告を受け、それを押して活動してまいりましたが、今年1月から痛みを発するようになり、病院にて緩和ケア治療に取り組んでまいりましたが、本日永眠いたしました」と説明した

戸川さんは1957年頃から、東京・銀座にあった日本初のシャンソン喫茶店「銀巴里」に出演。
シャンソン歌手として活躍した。

 62年、自身が住んでいた集合住宅「同潤会アパート」を舞台としたミステリー「大いなる幻影」で第8回江戸川乱歩賞を受賞。
翌63年には「猟人日記」を発表し、直木賞候補に。
夜な夜な女性を漁り、その様子を日記に記していた男性に起こる連続殺人事件というストーリーが話題を呼び、ベストセラーになった。

 64年に「猟人日記」が映画化された際には、自身も女優として出演。
以降、テレビドラマ出演やコメンテーターなど、幅広く活躍した。

 45歳の時にNEROを出産。当時の芸能人・文化人の最高齢出産として長く語り継がれた

野際陽子が隠し続けた「肺がん2年壮絶闘病」

2016年04月24日 22時04分32秒 | 

NEWS ポストセブン 4月24日(日)16時0分配信

 今年1月に傘寿を迎えた女優・野際陽子(80)は、いまだ衰えを感じさせない。
4月6日にスタートした人気ドラマ『警視庁捜査一課9係season11』(テレビ朝日系)に準レギュラーとして出演。
さらに同15日から始まったNHKの連続ドラマ『コントレール~罪と恋~』にも、主人公(石田ゆり子)の姑役として出演している。

 女優として、いくつになっても第一線に立ち続ける姿からは想像もできないが、野際は現在、大きな病と戦っている。
野際と親しいテレビ局関係者が明かす。

「野際さんは2年ほど前に肺がんを患いました。
当時、彼女は昼ドラの撮影に追われていたのですが、いつも脂汗を流すほど過酷な撮影だったそうです。

 早期発見ということもあり、治療は成功しましたが、昨年の4月頃に再発し、腫瘍の摘出手術を受けました。
術後、体中に管を通され、健康な人に比べると肺がかなり小さくなってしまったため、“はぁ、はぁ”と息苦しそうに喋る姿は非常に痛々しかった。
退院時には酸素吸入器を携行していたほどで、関係者の頭には“引退”の2文字が過ぎったそうです」

 その後、息苦しさは徐々に収まり、吸入器を携行する姿も見られなくなったが、憔悴した様子は隠せなかったという。
だが、昨年夏、抗がん剤治療に移ると野際は明るい表情を取り戻した。前出の関係者の話だ。

「“自分に合った抗がん剤が見つかったの”と喜んでいたのがその頃です。
薬物療法は体力を消耗しますが、大きな効果もあり、本人の気持ちが前向きになったようです」

 経過は良好で、病気を知る関係者の目から見ても、今の野際はまるで“完治”したかのように映るという。
とはいえ、野際は現在も都内の大学病院に定期的に通い、「治療と経過観察の検査を受けている」(同前)という。

 NHKの人気女子アナだった野際が、フリーに転身したのが1962年。
翌年に女優デビューすると、知的な雰囲気と抜群のスタイルで、たちまち世の男性を魅了した。
視聴率30%を記録した大ヒットドラマ『キイハンター』に出演し、1973年に共演した俳優・千葉真一と結婚。
一女をもうけたが、1994年に離婚した。以来、浮名を流すことなく、独身を貫いている。野際家と近しい芸能関係者が言う。

「現在、基本的には野際さん1人で自活しているようです。本当は手術や抗がん剤治療で精神的にも肉体的にも辛かったはずです。
でも彼女は弱音を吐くことは一切なかった。細身で楚々とした外見とは裏腹に精神力はとても強い女性なんです。

 がん発症後も仕事は休んでいませんし、仕事の関係者には内緒にしていたので、ドラマ共演者で彼女の病気のことを知っている人はほとんどいません」

壮絶な闘病生活をおくびにも出さない野際のプロ意識はさすがだが、ファンとしては体調が気がかりだ。野際の所属事務所に現在の様子を訊ねた。

「野際本人は様々な事情があり自身の健康問題を始め、個人的な事柄につきましては、何事も公にすることは避けたいとの意向です。本人は現在大変元気に日々過ごしております」

 がんを“克服”し、80歳になった今も第一線で活躍する野際の姿は、多くの人に希望と勇気を与えるに違いない。

※週刊ポスト2016年5月6・13日号

ある看護師の話

2016年04月06日 20時53分55秒 | 
加藤さんは石原医師にこう言った。
(○が完全に治って元気にまた日常生活が送れるわけではない
もうあと僅かなのに自分の生き方を否定されるのはつらいです。
医者は終末期の患者に「絶対にこうしなければならない」と押し付けないでほしい。これは私の遺言です。先生この事を世の中の医者に伝えてください)

治療するかしないか、それは個人個人の生き方あるいわ死にかたをどう考えるかに委ねられる
前者の○○医師は治療を拒否してもよい最期を迎えられルかどうか決めるのは患者の「覚悟」だとかたる
○○治療をしないと決めて幸せな最期を迎えた人とそうではない人の最大の違いは覚悟の有る無しです。

覚悟をもって○○を受け入れた人は後悔しません。
自分はもう決めたのだから大丈夫だと言いきれる。
そういう人は例え寝たきりなっても他人を感化します。
家族のため、誰かのために何かができる
勇気を与えることができる

藤圭子さん飛び降り自殺 数年前「話す人いなくて寂しい」

2013年08月24日 14時17分31秒 | 


 歌手宇多田ヒカル(30)の母親で、「圭子の夢は夜ひらく」などのヒット曲で知られる歌手の藤圭子さん(62)が22日午前、東京都新宿区のマンション前の路上で血を流して倒れているのが見つかった。心肺停止状態で病院に搬送されたが、間もなく死亡が確認された。28階建てマンションの13階から転落したとみられ、警視庁新宿署は現場の状況などから、飛び降り自殺を図ったとみて調べている。

 新宿署によると、22日午前7時ごろ、新宿区西新宿の28階建てマンション前の路上で、黒っぽいTシャツ、ハーフパンツ姿の藤さんが仰向けに倒れ、後頭部から血を流しているのを通行人の男性が発見し、110番。近くにはスリッパの片方が落ちていた。藤さんは頭を強く打っており、搬送先の病院で死亡が確認された。07年に離婚した音楽プロデューサーで、宇多田の父、照實氏が身元を確認した。

 同署は、藤さんが飛び降りたとみられる13階の30代の知人男性宅を実況見分し、転落時の状況を確認。2LDKの部屋のベランダに、足場にしたとみられるクーラーボックスとともに、スリッパの片方が残されていた。

 衣服の乱れや争ったような跡はなく、同署は事件性はないと判断。遺体からアルコールなども検出されなかった。知人男性は「6年くらい前から一緒に住んでいる。別の部屋で寝ていて転落に気付かなかった」と話しているという。男性と内縁関係はなく、遺書は見つかっていない。

 藤さんは1969年に「新宿の女」で歌手デビューし、70年に「圭子の夢は夜ひらく」が大ヒット。71年に歌手の前川清(65)と結婚するが翌72年に離婚。79年に引退表明して渡米し、その後、照實氏と再婚して83年には娘の宇多田を出産。96年には宇多田と一緒に曲を発表したが、近年は表舞台から遠ざかっていた。

 一体、藤さんに何があったのか。親しかったスポニチ本紙記者に「どうしても会いたい。相談したいことがある」と数年前、電話を入れていた。会ったのは亡くなった場所と同じ西新宿。「久しぶりに日本に帰ってきたけど、話す人がいない。寂しい。昔の知り合いに連絡を取ってみたいけど、電話番号もどこにいるのかも分からない」と、孤独感に襲われていることを吐露。手塩にかけてきた宇多田についても「このままではダメ」と厳しく言った上で「彼女は天才。私よりずっとずっと凄いんです。私がいたらもっとあの子のいいところを引き出せるのに」とアイデアを次々と語っていた。ただ、照實氏と宇多田とは10年近く疎遠になっていて、「もうずっと会っていない」と明かしていた。

 家族との愛憎は現役時代からで、金銭トラブルで母親とは絶縁。音楽界の生みの親で、3月に亡くなったプロデューサーの石坂まさをさんのことも憎んでいた。

 かつて藤さんは本紙記者に「感情を抑えることができない。パニック障害と診断された」と明かしていた。あまりにも研ぎ澄まされた感性が周囲とのあつれきを生み、孤独になっていった。時代の徒花(あだばな)とも言われた天才歌手ゆえの悲劇かもしれない。

泣き叫ぶ乳児にブチ切れてクレーム……さかもと未明の“搭乗マナー”が

2012年11月20日 18時09分51秒 | 
11月20日(火)12時44分

 テレビ番組などでコメンテーターとしても活躍するマンガ家のさかもと未明が雑誌「Voice」に寄せた「再生JALの心意気」と題した記事が、ネット上で物議を醸している。

 同記事は、さかもとが今夏に搭乗したJAL国内線の飛行機の中で起きた出来事を記したもの。記事によれば、さかもとは機内に同乗していた1歳くらいの乳児が泣き叫んでいたことに耐えられず「ブチ切れて」しまい、 「もうやだ、降りる、飛び降りる!」と、着陸準備中にもかかわらず席を立ち、出口に向かって走り始めたのだそう。そしてさらに、乳児の母親に「お母さん、初めての飛行機なら仕方がないけれど、あなたのお子さんは、もう少し大きくなるまで、飛行機に乗せてはいけません。赤ちゃんだから何でも許されるというわけではないと思います!」と告げたのだという。

 そして、飛行機が着陸した後もさかもとはこの一件について納得がいかなかったようで、JAL側に対応に関するクレームを入れるとともに、航空法や飛行機の現状を知るべく広報部に取材を申し込んだそう。整備中の機体などを見学しながら、広報担当者への取材を通じ、なぜ今回のようなことが起きたのかについて確認したという。
記事内でさかもとは、泣き叫ぶ乳児を隔離するために防音壁のある個室を設けることは航空法の規定によりできないことや、機内での乗客マナーの周知は冊子を配布して行なっていることなど、取材して得た情報を紹介するとともに、「搭乗マナーや機体の工夫について、議論すべき余地はまだまだあるはず」「航空法や搭乗規定、機内の装備だって数十年前につくられたそのままじゃなく、改善できるところはすべき」と問題提起した。

 さかもとが、記事を通して最も伝えたかったのは、おそらくこの「議論すべき余地」についてだろう。「いやだなあ。みんなに『嫌なおばさん』と思われる。でも、本当にそう思うんだもの」と、複雑な思いがありつつも、問題を提起して、議論が行われることを望んでの行為だった、と読むこともできる。

 しかし、さかもとの意に反して、ネット上ではさかもとの振る舞いに対する辛辣なコメントが多く上がっている。
「ただの『嫌なおばさん』じゃなくて『迷惑なおばさん』ですね」「これはひどい。
JALの問題にすり替えられているが、要は筆者の愚痴」「うわあ…。赤ちゃんの泣き声を許容できない心の狭さにも、赤ちゃんをあやすお母さんへの気遣いのなさにも驚くが、『私のようなクレーマーのわがままを聞くな』とか『航空法を改正しろ』とか意味がわからん…」などといった批判的な意見が多数見られたほか、

脳科学者の茂木健一郎氏も「さかもとさん、これはないよ。
無茶苦茶」「だいたい、1歳の赤ちゃんのふるまいを、コントロールできると思っている大人がいることが信じられない」と苦言。
弁護士の落合洋司氏も「気持ちはわかるが赤ちゃんが泣くのは仕方ないのでは。
昔から、泣く子と地頭には勝てぬ、いうくらいで」とコメントしている。

森光子さん死去、92歳…放浪記・時間ですよ

2012年11月16日 06時37分47秒 | 
読売新聞 11月14日(水)19時14分配信
 上演2017回を数える舞台「放浪記」や人気テレビドラマ「時間ですよ」などで幅広く活躍、文化勲章、国民栄誉賞を受けた女優の森(もり)光子(みつこ)(本名・村上(むらかみ)美津(みつ))さんが10日午後6時37分、肺炎による心不全のため、都内の病院で亡くなった。

 92歳だった。密葬は14日に近親者で行った。喪主はおいの柳田敏朗さん。本葬の日程は未定。

 京都市出身。いとこは映画スターの嵐寛寿郎で、京都府立第一高等女学校を中退して1935年に15歳で寛寿郎プロに入り映画に出演。
一時結核で療養し、大阪での喜劇の舞台やラジオ、テレビ出演を経て、58年に、東宝の重役だった劇作家の菊田一夫の目に留まり、東京に舞台女優としての拠点を移した。

 脇役が続いたが、61年に41歳で初めて主演を務め、作家の林芙美子役が生涯の当たり役となる「放浪記」(菊田一夫脚本・演出)を東京・芸術座で初演。8か月のロングランとなり、芸術祭文部大臣賞などを受けて才能が花開いた。
天性の明るい性格と庶民的な感覚で人気女優の座を射止め、テレビドラマ「時間ですよ」(TBS系)の出演のほか、ワイドショー「3時のあなた」(フジテレビ系)、NHKの紅白歌合戦の司会を務め、「日本のお母さん」と呼ばれた。
舞台ではほかに「雪まろげ」「おもろい女」などで人気を博し、「座長芝居」の黄金期を築いた。

 ライフワークの「放浪記」は全国で上演、2009年5月9日の89歳の誕生日に東京・帝国劇場で上演2000回を達成。同29日の千秋楽まで通算2017回を数えた。

 00年の第7回読売演劇大賞で大賞と最優秀女優賞を受け、05年に文化勲章を受章。「放浪記」などの功績で09年7月に国民栄誉賞を授与された。

 10年2月、健康上の理由から5~6月の「放浪記」公演の中止を発表し、舞台から退いていた。

記録

2012年09月24日 16時05分30秒 | 
カッコよく生きていたまりあさんの突然の病。

しかも進行が速い。

今まで出来ていたことが突然出来なくなる恐怖。

それでも真っ先に頭に浮かんだのがクローゼットの洋服が着られなくなるという切なる女心。


でも、マリアさんは最後までカッコよく生きられましたね。

ALSって、ある意味癌より怖いですね。

でも最後にホスピスの庭をベッドで散歩するまりあじさんが「来年まで生きていたいって、今思った。」って言われた言葉。本心なんでしょうね。

治療や介護の負担を考えると人工呼吸器を思いとどまったまりあさんの気持ちも分からなくないけど、これが子どもや夫だったら・・・と考えると、どんな形でも・・・と思うかもしれません。また自分だったら、迷惑がかかるからと拒むかも・・・とも。

いずれにしろ、番組、まりあさんの生き方を見て、今生かされている自分の命を大切にしようと思いました。

とりあえず健康で生きていられるのだから、交通事故を起こさないように運転に気をつけようとか、成人病や腰痛、ひざ痛など、誰もが悩まされるようなトラブルに対応できるように健康に注意しようとか・・・。

まりあさんの死を無駄にしないように、今生かされている命を大切に生きようと思いました。


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    ある  コメントより・・・



まりあさん。お疲れ様でした。。。テレビ拝見しました(*^.^*)沢山の愛情を受け、そして生きるとは何か。。。教えられた気がします。まりあさんをサポートしていた皆様にも頭が下がるおもいです。今まりあさんはどこにいるのかな。。。ブログ見てるかな?貴女がこの世を去った今でも皆の心に貴女の記憶が残ります。心配いらないよ。貴女の事を忘れません


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テレビであなたの人生のほんの一部を拝見いたしました。
家内と二人で見せていただきました。
人が生きるということの意味を改めて考えています。
良い友人、良い隣人、そしとボブさん。
それは、あなたが良い人に恵まれたからではありません。
あなたを知った全ての人があなたに魅かれたからです。
あなたに出会った人はみんな、何か大事なものを受け取ったことと思います。
私もその一人です。
ビデオの中ででしたが、あなたに会えて良かった。
ありがとう。


   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

90才人気ブロガー「若い人は何でもできます。前途洋々です」

2012年08月27日 15時34分14秒 | 
 
    絵を描くのは午前中。文章も朝起きて頭が冴えてるときにメモしときます。気をつけてるのは、他人に嫌な思いをさせる表現をしないことと、自慢するようなことは書かないこと。気持ちよう読んでもらわんとね。
 
絵は70才から習いはじめて、パソコンを買ったのは80才くらい。私は好奇心があるから何でも自分でやってみたい。毎日やることがあるから元気でいられる。することがなければ、頭も使うこともないでね。

 若い人へのメッセージ? 私、若い人嫌い(笑い)。配慮や謙虚さが足りないと思う。でも、ねたみもあるな。若い人は、これから何でもできます。前途洋々ですよ。

2012年06月13日 05時04分51秒 | 
  

     夕方  家事をしながら観た TV

    難病の人の事をやっていた。

    7年で 寝たきりに・・

    病気が解かった時に○も考えたとか言われるけど・・

     今は少しだけ動く 口でPCを打っていると・・

      一文字に時間が掛かるみたいですが・・

      一文字・一文字  子に元気に子育てをしている。

    お会いした人は  元気をもらえると・・

告知・

2011年07月14日 09時24分08秒 | 
宮尾すすむさん死去、がんを知らぬまま

デイリースポーツ 7月13日(水)21時2分配信

 司会やリポーターとして活躍したタレントの宮尾すすむ(みやお・すすむ 本名山口進=やまぐち・すすむ)さんが12日午後2時56分、肺炎のため都内の病院で亡くなた。
77歳だった。宮尾さんは6月中旬、体調不良を訴え、入院。
検査の結果、食道がんが発見された。
家族には余命3カ月が宣告されていたが、本人はがんに侵されていることを知らぬまま、入院生活を送り、先週末になって容態が悪化、そのまま帰らぬ人となった。

余命・

2011年07月14日 09時19分55秒 | 
余命8月いっぱい…入川保則 黄門様と“笑ってさよなら”

「その時は、笑ってさよなら」を発売した末期がんで8月までの命と宣告されている入川保則
Photo By スポニチ
 直腸がんで8月までの命と宣告されている俳優の入川保則(71)が24日、都内で著書「その時は、笑ってさよなら」の発売記念会見を行った。

 ユーモアを交えながら、71年の人生と死生観をつづっている一冊。
「20回ぐらい読んだけど、自分が書いたのに面白い。
実にいい人生だったと分かった」と笑顔。
悪徳商人役でゲスト出演する今秋放送のTBS「水戸黄門」の撮影を20、21日に京都で行い、「(黄門役の)里見(浩太朗)さんと“さようなら”と手を固く握って別れてきた」。
来月は主演映画の撮影も控える。
「持久力は衰えてきているが、食欲があるうちは死なないと言われている」と明るく話した。

児玉 清さん・・

2011年05月19日 06時33分18秒 | 
児玉清さん、胃がんのため死去
オリコン 5月17日(火)20時24分配信


 俳優の児玉清(本名・北川清)さんが16日午後0時28分、胃がんのため都内の病院で亡くなったことが17日、所属事務所の発表によりわかった。
77歳だった。
通夜は20日、告別式は21日に都内・護国寺桂昌殿で営まれる。


 児玉さんは今年2月下旬に体調不良を訴え、検査の結果、胃がんが発見された。
3月下旬より入院し検査と治療に努めてきたが、がんは肝臓にも転移しており、先週末より容態が急変。
帰らぬ人となった。


 所属事務所は「本人は最後まで仕事に復帰できるよう頑張っておりました。
ファンの皆様、関係者の皆様にはこれまで温かいご声援をいただきまして、心より御礼申し上げます」とコメントしている。


 児玉さんは1934年生まれ。東京都出身。
東宝映画のオーディションで芸能界入りを果たし、映画『悪い奴ほどよく眠る』などに出演。テレビドラマ『ありがとう』、『HERO』など数々の作品に出演し、テレビドラマに欠かせない存在となった。
2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』では郷士坂本家3代目当主で福山雅治演じる龍馬の父・坂本八平役を好演。
読書家としても有名だった。


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