女社長のブログ《伴海日記》

おかげさまで今年は10周年を迎えます
伴海エンタープライズ株式会社の社長であり歌手
浜砂伴海の日記

『銀鏡神楽』出版記念祝賀会

2012-09-10 | 宮崎

 

父の故郷で歌います。

美しい空と山、清らかな水、温かい人々に、逢いに行きます。

「浜砂」という名前に誇りを持って、歌って来て良かった。

懐かしい人、まだ見ぬ人との出逢いを、楽しみにしています。

どうぞ、出版のお祝いに、そして私の歌を聴きに、いらしてください。

銀鏡からポスターが届きました。

ライブは、"ミニ” じゃ無くなると思います!

 

注:問い合せ先の「浜砂」さんは、私ではありません。

  浜砂さんだらけですので(笑)どうぞご注意を。

 


ドラムサークル初体験

2012-09-08 | 音楽

天王洲銀河劇場で体験した"drumstruck" あれは何年前だったろう。

劇場に入ったとたん目に飛び込んで来たのは、

シート一つ一つ、全席に置いてある太鼓(ジェンベ)。

それだけでもうハイテンション。そして、ステージ上も客席も

一体となり繰り広げられるパフォーマンスに、血が騒いだ。

太鼓の音というのは、血が覚えている何かに訴えかけて来る。

懐かしい、というような生易しいものではない。強烈に感じるのだ。

 

それから数年、何となく気になっていた

「ドラムサークル」というものに、今日初めて触れた。

“drumstruck” は、一体となるといっても、やはりステージの上と下。

こちらはその名の通り、サークル。輪になって太鼓を叩く。

ここで奇妙な現象が起こる。自分が一体誰なのか。ここは何処なのか。

太鼓の音の渦の中で、心身がバラバラになりそうになる。それが

次第に行きつく場所に辿り着く頃、不思議な快感に包まれる。

ミュージシャン頭(耳)でやってると、非常に肩が凝る。

けれど、手探りで「解放」のボタンを見つけることに成功すると、

あとはもう心は自由だ。何にでもなれるし、何処へでも行ける。

 

ここでは何でもアリだ。音楽の変なルールは無いし、

間違いなど無いのだから、恥ずかしがる必要も無い。

けれど、自分が自分を縛っちゃうんだな。

本来頭カタイ&恥ずかしがり屋(ほんとよ)の私には、

良い準備体操(生きて行くための)だと思った。

 

歌を歌うということは「解放」する(素っ裸になる)ことだと思う。

ドラムサークルで感じたことはまさにそれだった。

私が歌を歌って来た道のりは、即ち

私が私をぶっ壊しながらもがいて来た道のりだ。

ここには、ぶっ壊したい人が一杯居るんじゃないかなと思った。

 

最後はオープンマイク。私もステージへ。

皆さんの太鼓の音聴いてたら、歌いたくなった。

G.ベコーの "Et maintenant"「そして今は」

伴奏者は居ない。アカペラだ。

そこにあのボレロのリズムがうねりながら絡む。

ああ。シャンソンなんて自由なんだよなぁ。Merci!

 

素敵な出逢いをありがとう。

前半のセッションで、大小さまざま、蛙の形の木魚。

ポクポクポク。ケロケロケロ。キャラキャラキャラ。

田んぼの真ん中で、私は蛙の子供。歌いながら眠ってしまいそうだった。

また逢いましょう。ありがとう。

また逢う日まで。ケロケロケロ。。。

 

 

 

 


最強の二人

2012-09-05 | 映画

映画「最強の二人」(UNTOUCHABLE)を観た。

フランスでの大ヒットのニュースを聞いて、気になっていた。

首から下、全身麻痺の大富豪と、スラム街出身の黒人男。

芸術や文学の素養も、介護の経験も全くない、下ネタ炸裂のこの男が、

「生きる」ことを教えてくれている。

身分を飛び越えて、厚い友情と絆で結ばれてゆく二人。

イニシアチブをとっているのは、雇い主の方ではなく、この黒い男だ。

私は彼から「生きる」ということ、そして

「品格」というものを教わったような気がする。

人の、人としての品格とは何か。

それは生まれや育ち、教養や身分ではなく、

偽りの無い気持ちと、優しさと、潔さ。

黒い肌と瞳が、とても美しかった。

ありがとう!を、いっぱい言いたい気持ちだ。

~生きる勇気が湧いて来る~

キャッチコピーは正解だった。

乾いた土に恵みの雨が降るように、

冷たい部屋にストーブの火が点くように、

暗い道に街灯が灯るように、

しみじみと、じんわりと、泣かせてくれる映画だった。

Merci beaucoup !!!

心から。

 

公式サイトはこちら 

《最強の二人》

 

 

 


「銀鏡神楽」書評

2012-09-03 | 宮崎

8/26読売新聞に、「銀鏡神楽」の本の書評が載った。

ちょっと遅れてしまったが、こちらにご紹介する。

朝吹真理子氏の評。好感触。嬉しい。

この方の評には、大げさな言葉は無いが、

静かに、確かに、銀鏡の山里の息吹を感じて、

書いてくださってるのがわかる。有り難い。

 

電子新聞でも読めるので、良かったらご覧ください。

 → 《YOMIURI ON LINE》

少しでも多くの人が、この本を手に取ってくれたら嬉しい。

 

 

私も前に、このブログで紹介した。

  伴海日記7/21『銀鏡神楽–日向山地の生活誌』


著者は銀鏡神社、権禰宜の浜砂武昭氏である。

この本の中にも「浜砂」という姓が沢山出て来る。

神楽を舞う人は浜砂姓が多い。

その名の通り、私にとってはもう他人事ではない。

自分のことのように嬉しく、本を抱いてみたり、

表紙を手のひらでさすってみたり、ぺらぺらめくっては、

独りいい気分になっているのである。

 

そしていよいよ今月、銀鏡に行く。

9月22日。銀鏡での出版記念会で、歌を歌う。

夢が叶う。それもこんなに目出たい日に。

父が居たらなぁ。。。

まだそんなことを言っている。

しっかり歌声を山に響かせるよ。

 

 

 

 

 

 


9月には帰らない

2012-09-01 | 音楽

9月になると、思わず口ずさむのは、

ユーミンの「9月には帰らない」

きっともう何度も、ブログのタイトルにしたような。

私の青春は、ちょっとばかり「すねて」いて、

人と群れるのも苦手だったし、

中途半端な年頃は、大人も嫌いだったし、

海なんか眺めながら、独りで居た方が良いと思っていた。

そしてノートに勝手気侭な言葉を並べ、

今となってはその引き出しから、詞や文を書いているのだと気づく。

恐ろしいことだ。何の進歩があるというのだろう。

あまり代わり映えしていないのだよ。

 

そんな頃に聴いていた歌を、やはり今聴いてもいいと思う。

この歌の一番好きな歌詞は、

 

 無口な人は 夏の日の儚さを

 うまく言えずに バスの窓おろす

 

きっと前にも書いたっけな。

今日、バスで前に住んでいた家の前を通った。

街の風景は刻々と変わる。

バスの窓からちらりと見えたその家は、静まり返っていた。

儚さか。。

 

さて。

夏の疲れをいたわりながら、秋に向かう時。

あなたは何を想うのだろう。

 

よかったら、聴いてみてね ↓

「9月には帰らない」(松任谷由実)