女社長のブログ《伴海日記》

おかげさまで今年は10周年を迎えます
伴海エンタープライズ株式会社の社長であり歌手
浜砂伴海の日記

宮崎(2012/04/16)撤饌

2012-04-26 | 宮崎

武昭さん。なんてチャーミングな方なんだろう。

(父の尊敬する人をそんな風に言ったら怒られちゃうけど)

本当に魅力的な人だ。お話まだまだ聞き足りないけど、行かねば。

すると、武昭さんがのし紙に筆で何やら難しい字を書き始めた。

読めません。。。「撤饌」:てっせん。

これを神棚にあった「黒霧島」にくるりと巻き付け、くださった。

撤饌とは、神様に献じた飲食物をいただくこと。神様のお下がりの飲食物のことなんだそうだ。

「東京にも黒霧島はあるが、撤饌の黒霧島は何処にも無いじゃろ」

わわわわわわわ。ありがとうございます!

 

のち、仲間が家に来たとき、一升ぺろりと空にしました。

「有り難いお酒なんだから心して飲みなさい!」「ははぁーっ」

と、皆でありがたく頂戴いたしました。

 

もう1本は銀鏡会に持って行こうーっと。

 

 

 

もう1本は、銀鏡会に持って行こう。)

 

 

 

 

 

 

 


宮崎(2012/04/16)宿神三宝稲荷神社

2012-04-25 | 宮崎

銀鏡神社で思いもかけずの大歓迎を受け、身も震えるほどの感動を抱えつつ、

もう一つお参りしたかった「宿神三宝稲荷神社」へ。

この日どうしてもお逢いしたかった「浜砂武昭」氏。私の父の最も尊敬する人物だ。

彼は、銀鏡神楽を支える長老、銀鏡神社の権禰宜であり、その境内外末社宿神社の神主なのである。

武昭さんは、銀鏡神社でスーツをお召しで、私たちを迎えてくださったのだが、

私たちが宿神社の方へもお参りに伺いたいと言うと、急いでお戻りになり、

着替えて待っていてくださった。そしてこちらでも、またもやご祈祷いただいた。

そしてその後、時間の無い私たちに、「直会(なおらい)だけでも」と

お神酒をすすめてくださった。それがなんと、芋焼酎。

(このあたりでは “酒” と言ったら芋焼酎。お神酒もだ。日本酒のことは “清酒” という)

しかも、その一升瓶のラベルには『逢初』と書かれているではないか。

そう、本番当日、楽屋で歌う直前に飲んだ。。。

「ああ。あれは飲んで良かったのだ。運命だ」と妙に納得。

 

そして武昭さんのお話。面白くて、興味深くて、感動したり笑い転げたりしながら、

ああ。時間が足りない!もっと聞きたい!

銀鏡神楽を取材する方や、雑誌編集者皆さんが、武昭さんを頼りにしてやって来る。

そしてきっと彼の話に夢中になるだろうことが想像出来る。

つい先頃、雑誌SWITCHでの特集は素晴らしい。見応え、読み応えがある。

女優の山口智子さんの文章も素晴らしいが、写真家「川内倫子」氏の写真が良い。

実は私は目を疑った。倫ちゃん。。。もうずいぶん昔の友達。

宮崎、感動の旅先で、彼女の名前を見て、また感動。

 

武昭さんが私の歌を聴いている時、父の顔が浮かんで、泣けて泣けて仕方なかったそうだ。

そして、私から強いエネルギーを感じたのだそうだ。

「ものすごい波動じゃった」

何よりの、お褒めの言葉です。そして私の声は、宇宙まで、天国まで、通じたのだと、

亡くなったひと達にもちゃんと届いたのだと、言ってくださった。

涙が止まりません。

 

 

 

こちら雑誌「SWITCH」 →『SWITCH TRAVEL ISSUE』

武昭さんが記念にくださった。すかさず「サインください!」と私。

ご丁寧に書いてくださった。ありがとうございます!

 

 

川内倫子氏の写真が幻想的。

 

武昭さん。。

川内倫子個展。行かなくちゃ。

「照度 あめつち 影を見る」5月12日(土)~7月16日(月・祝)会場:東京都写真美術館(2階展示室)

 

 
 

 

 

 


宮崎(2012/04/16)銀鏡神社

2012-04-24 | 宮崎

銀鏡神楽の祝子(ほうり)さん達が私の歌を聴きに駆けつけてくださり、

素敵なお花まで頂戴し、是非お礼のご挨拶に伺わねばと向かった銀鏡神社。

東米良の銀鏡・・「しろみ」と読む。

「コノハナサクヤヒメ」は絶世の美女であった。

その姉妹である「イワナガヒメ」は、残念な容姿であった。

彼女は鏡に映った我が身を嘆き、その鏡をぽーんと放り投げたそうな。

その鏡は遥か龍房山の麓まで飛んで行き、その辺りは白く光って見えたそうな。

白く見えるから「白見」イワナガヒメが投げた鏡が「銀の鏡」だったので、

この辺りを銀鏡「しろみ」と呼ぶようになったそうだ。

そして、銀鏡神社のご神体はこの鏡なのだそう。

こちらで毎年12月に行われる祭・・・「銀鏡神楽」は、

国の重要無形民俗文化財に指定されている。

父と行きたいね、行きたいね、と言いながら、行けなかった。

そうしたら「銀鏡神楽」が去年6月に東京に来た。

国立劇場で、父と一緒に感動を共に、観た。素晴らしかった。

打ち上げでは私も歌い、さらにその後、父と銀鏡の方たちと焼酎を浴びるほど飲んだ。

良い思い出だ。ちょうど一ヶ月後に、父は亡くなった。

知っていたかのように。神楽が東京に来てくれた。

その時から私は、ただならぬご縁を勝手に感じている。

長い長い階段を上って、銀鏡神社につくと、なんと皆さん待っていてくださった。

何の約束もしていないのに。しかも、宮司さま烏帽子までつけられて。

禰宜さまによる太鼓が鳴り響く。ご祈祷してくださるなんて、夢にも思わず。

太鼓の音、宮司様の声に、感動で打震えていた。

さらに集まってくださった皆様から、温かく力強い励ましの言葉。

涙。身に余る光栄です。ありがとうございます。

 

こちらが銀鏡神社の「元宮」の一部。

ご神木に抱きついたら、びりびり感じた。

ああ。私はこの山を知っている。

体の中に、血の中に、しっかりと記憶が刻まれている。

どうしてもっと早く来なかったんだろう。

 いや。今だから来れたのだ。

今だから、呼んで頂けたのだ。 お導きに感謝します。

 

 

 


宮崎(2012/04/16)米良へ

2012-04-23 | 宮崎

本番無事終わり、打ち上げでしこたま飲み、フラフラなのだが翌朝無理矢理起きて、

いよいよ父の故郷「米良」へ。秘境とも言うべき山の懷深く進む。

急げ。交通規制有り。時間を過ぎると通行止めになってしまう。

頂いたお花を宅急便頼んだりしてたら、ヤバい。間に合わないかも。

山道(と言っても私の記憶にある道とは全然違う、ずいぶんきれいだ)を

ぐんぐん飛ばして、やった。ちょっと過ぎてたけど無事通過。

ダムで出来た湖や川の水の色、新緑のグラデーションに泣きそうになる。

子供頃いつも車酔いして、山の色など見る余裕も無かった。

しかし今目に映る美しい山は、まさに神様を感じる。

美しくて、有り難くて、拝みたくなる。

一つ一つの山、一本一本の木、ひと枝ごと、一枚の葉ごとに、

それぞれの緑色。そこに里桜の花の色。ああなんて綺麗なの。

25年ぶりの父の家。お墓参りしたら涙が止まらなかった。

土間に立つと懐かしい匂い。そうだ。この匂い。

神棚を拝む。父の遺影をしばし置く。祖父母の懐かしい写真。

「じいちゃん、ばあちゃん、ただいま」

 

お墓参りして、さらに銀鏡神社へ。そこでまた大感動なのであったが別頁で。。。

 

そしてその後、おじちゃん、おばちゃん達と「西米良」の温泉へ。(うちは東米良)

カリコボーズの湯。カリコボーズって「河童」のことなんだって。

色々伝説が有るみたい。カリコボーズに声かけられても返事しちゃいけないんだって。

時間が無くて私たちは温泉は入れなかったけど、今度来たら絶対おばちゃん達と入る!

皆でお食事。美味しいね。車酔いも(二日酔いも)治っちゃった。

おじちゃん、おばちゃん。ありがとう。

お父さんがいたらなぁ。。。

 

 

 

 

 

 


宮崎(2012/04/15)

2012-04-21 | 宮崎

お昼過ぎに市民会館へ。楽屋に西都市長が訪ねてくださった。

去年の国立劇場での「銀鏡神楽」公演のとき以来だ。

お忙しいのにありがとうございます。

お弁当は殆ど食べれず。お化粧して、つけまつげon、着替える。

祖母の形見の帯で作ったドレス。勝負服。ここで着ないでどこで着る。

祖母(母も)の生まれた家は、この市民会館の目と鼻の先。

「ばば、観ててね。聴いててね」鏡に向かって言う。

 

出番近づく。首がガチガチ。肩パンパン。

うう。寝ときゃよかった。でももうしょうがない!

ふと「逢初」が目に入る。「逢初」の囁き。「逢初」の手招き。

ごく自然に手が伸びて、コップ酒。じわぁーっと体がほぐれる。

「よっしゃ!」気合い入る。

 

舞台袖。いつものように、手のひらに「人」を書く。「人」を飲む。

何回繰り返したかな。ステージへ出て行くと、体中に力が湧いていた。

集中。シンガーズ・ハイな私。嬉しい。心の中で「パパ!」と叫んでいた。

客席から「ともみ!」と声がかかった。伸び伸び。伸び伸び歌えた。

ありがとう。一生に一度、こんな日があるものかと思うほど、

感激しながら歌ってた。声が会館中に響いた。

父、祖母、ハナエさん、いろんな人の顔が浮かぶ。

きっと天国にも聞こえたね。

守ってくださった皆様、ありがとう。

 

今「銀鏡神楽と歴史」の本を執筆編集中の、須藤功先生(民俗学写真家)が、

銀鏡神楽の祝子(ほうり)さん達と駆けつけてくださった。

写真も撮ってくださり、感激。ありがとうございました。

 

 

Photo:須藤功

いとこの娘ちゃんがお花くれた。嬉しかった!ありがとう!

 

2012/04/15 西都市民会館 歌謡祭ゲスト浜砂伴海

《Menu》

サン・トワ・マミー

恋心

再会

港が見える丘

ドミノ

アカシアの雨がやむとき

百万本の薔薇

私の大好きなお父さん

涙そうそう

愛の讃歌

ろくでなし

 

 

 


宮崎(2012/04/14-2)

2012-04-20 | 宮崎

鰻の後は、市民会館でリハーサル。

ピアノカラオケをセッティング。

今回の舞監無き戦いには、若林君が大活躍。

音響はもちろん、舞台周りを駆け回ってもらった。ありがとう。

会館の音響の方、上手い。が、しかし私が駄目。集中出来ない。

気が散って声のコントロールが出来ない。

寝てないからか。生のピアノじゃないからか。

大きなホールは好きなのに、焦る。やばい。どうしよう。

こういう時は、まとめようと思っても駄目だ。

あっさり切り上げようと決め、

全曲数小節ずつ歌って、やめる。明日は明日の風が吹く。

 

といっても、心がざわざわして腑に落ちない。

若林君に確認すると「いつもの声だ」という。

早くホテルに帰るか!と思うが、宮崎に行ったら逢いたい人がいたので電話する。

今回の歌謡祭のポスターを作ってくださったことがご縁。

「だごふ~ず」の代表伊藤正氏。すぐ側にいらしたので訪ねてみた。

宴会の真っ最中にずかずかと入って行き、Facebookでしか知らない方とご対面。

この方は、東日本震災食糧支援『一人一食プロジェクトin宮崎』の代表で、

彼(食品会社)の食品加工技術を生かし、

不衛生な場所でも安心して食べられるレトルトのおこわを開発。

1万食のメッセージ付き「おこわ」を被災地に直接届けた。

その活動に、陰ながら敬意を抱いていた私は、是非お逢いしたかった。

本番前は飲まないのだけど、「飲まずにはいられない」とご相伴。

西都の焼酎「逢初」あいそめ。

古墳群で有名な西都原。コノハナサクヤヒメと、ニニギノミコトが、

初めてであった場所が「逢初川」なのである。

何だか目出たい酒じゃないか。とても美味しい。

既にあった瓶が空になり、新しく入れたボトル少し飲んだところでお開き。

それを私にくださった。いつ飲むの?と思ったが有り難く頂く。

帰り道。「そっか。明日楽屋に持って行こう」

ホテルへ戻ると、曲で悩む。

リハーサルの感じから行くと作戦変更だ。

前日寝てないのに、さらに朝方まで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


宮崎(2012/04/14)

2012-04-19 | 宮崎

出発の朝までCD(宮崎限定ミニアルバム)の仕上げをしていた。

一睡もせずに羽田へ。あいにくの雨模様だが、宮崎は晴れてるはず。

私は雨雲の向こう側に行くのだ。

うとうとしてたらもう宮崎。やっぱり、あっぱれ、晴れ。ありがとう!

青い空。白い雲。ソテツ。フェニックス。

ああ、帰って来た!と思う。住んだことはないのに。

まずはレンタカー。車が無いと始まらないのだ。若林君の運転で西都市のホテルへ。

フェニックスの並木道を走る。日本じゃないみたい。

大淀川を渡るとき、母が父の写真を出して

父の母校、大淀高校(今の宮崎工業高校)の方向へ向けた。

橘通へ入ると、私まで懐かしさがこみ上げて来た。

変わらないなぁ。時が止まってるようだ。

よくよく数えてみれば、25年ぶり???絶句。。

 

 

ホテルへつくと、思いがけず伯父さんが待っていた。

「入り船」で鰻をご馳走になる。美味い!!!

母もここに来たかったそう。

栄養つけて、いい声出しましょう。

伯父さん、ご馳走様!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


感謝

2012-04-18 | 宮崎

Merci beaucoup!!!             2012/04/15/宮崎県西都市民会館    Photo:須藤功

 

神様に感謝。

ご先祖さまに感謝。

そして皆様との

出逢いとご縁に、

心から感謝しています。

ありがとうございました。

 

浜砂伴海