特捜最前線日記

特捜最前線について語ります。
ネタバレを含んでいますので、ご注意ください。

第413話 眠れ父よ、季節はずれの雛人形!

2008年06月14日 02時56分30秒 | Weblog
脚本 広井由美子、監督 辻理
1985年5月1日放送

【あらすじ】
ホステスがマンションの自室で刺殺された。犯行時刻、マンションから出て来た初老の男がバイクにはねられ重体に。所轄署は、凶器のナイフの指紋から男を犯人と断定。しかし、男とホステスの関係や動機は不明のままであり、「容疑者が証言できない状態のまま、推測だけで決め付けるのは危険」という神代の考えのもと、捜査に乗り出す特命課。
男が事故にあっても離そうとしなかった荷物の中身は、和紙で作った雛人形だった。時期遅れの雛人形に、どんな意味が隠されているのか?一ヶ月が過ぎても意識不明のままの男を、なぜか敵意を見せながら看病する一人娘。詳しい事情を聞こうとする叶だが、娘は、男が痴情のもつれから愛人を殺したのだと決め付けていた。その理由は、母親の死にあった。数年前、男の浮気を苦にした母親は蒸発し、自殺を遂げたという。娘からすれば、男が母親を殺したようなものだった。愛憎入り混じった思いで看病を続ける姿を案じる叶に、娘は「父の安楽死を考えない日はない」と心境を吐露する。
その後、ホステスの内縁の夫である宝石商の存在が明らかになり、男とホステスが愛人関係でなかったことが判明する。また、現場の証拠を洗い直した結果、男の指紋は一度ナイフをきれいに拭った後で付いたものだということや、男が110番しようとしたことが判明。真犯人は宝石商で、男はホステスが殺された後に訪ねたのではないか?だが、尋問する桜井らに対し、宝石商は「事件の前日から出張しており、今日戻ってきたばかり」とアリバイを主張する。
一方、雛人形の製造元を追った叶は、ある女が刑務所で作ったものだと知る。現在は出所しているその女は、死んだはずの母親だった。母親は、男の出張中に浮気相手と蒸発。やがて、自分を裏切った浮気相手と心中を図ったが、一人生き残り、殺人罪で服役した。男は、母親の浮気と殺人を娘に隠すため、あえて自分が憎まれ役になっていたのだ。娘に真実を隠し通した男の気持ちを「父親のエゴだ」と断じる叶。しかし橘や神代、船村には、男の真意が痛いほど分かった。「彼には傷つけたくない人間がもう一人いた。女房だよ」
真実を明かすべきだを決意した叶は、娘とともに母親のもとに向かう。互いにショックを受ける娘と母親だが、母親の口から真実が明らかになる。母親が殺した浮気相手は、殺されたホステスの夫だった。事件当日、母親はホステスに侘びを入れるべく、男とともに雛人形を持って訪ねる予定だった。だが、母親が急用のため、男だけが訪ねたところ、事件に遭遇したのだ。
やがて、宝石商のアリバイが偽装だと判明し、特命課は真犯人として逮捕。男の無実は証明される。だが、そこに娘から叶に「父を殺した」との電話が入る。意識を失ったまま衰えていく男を見かねて、人工呼吸器を外し、安楽死させたという娘。だが、それは母親をかばっての証言だった。特命課を訪れた母親は、真実を語る。母親には、男が魂で訴えるのが聞こえ、その言葉に従ったのだという。罪を認め、連行される母親に「待っているから」と涙ながらに声をかける娘。泣き崩れる娘を、叶は優しく抱き止めるのだった。

【感想など】
夫婦の、そして親子の愛情が、その深さゆえに伝わらない悲劇を描いた一本です。素直な気持ちで見れば感動的なエピソードなのでしょうが、素直に見れない私としては、正直なところ底の浅い陳腐な話としか映りませんでした(タイトルにある雛人形に全く意味が無かったことも含めて)。
台詞がすべて計算ずく(しかもその計算が見え見え)なせいでもあるでしょうが、その台詞をただ暗記した通りに再現しているだけの娘の芝居臭さが何とも空々しく、余計に底が浅く見えてしまいました。また、植物人間となった男を安楽死させ、罪に服する母親の姿を「命の尊厳を越えた愛情」として描くのも気になります。母親が聞いたという父親の魂の声とは「もう楽にさせてくれ、そしてお前たちも楽になってくれ」というものだったのでしょうし、そこに共感できなくはないですが、だからといって命を奪うことが愛情だとは、感情はともかく理屈として認めるのは抵抗があります。その当たりは脚本かも分かっているようで、だからこそ母親は進んで罪に服するわけですが、それも「罪を背負ってでも愛を貫く」という姿であり、安楽死させるという選択を美化していることに変わりはありません。この当たり、非常にデリケートなので語りづらいのですが、私は安楽死=非だと結論づけているわけでなく、その是非はそうした境遇にある一人ひとりが悩みに悩みぬいて末に、自分の責任で決めるものだと思っています。だからこそ、是非いずれであっても、脚本家の主観を押し付けるような脚本は(本人にその気がなくとも)好きになれません。
とはいえ、娘のため、そして妻のために、自分が憎まれ役となってでも真実を隠そうとする父親の姿や、そこに共感する妻帯経験者たち(神代、橘、おやっさん)の姿には、心を揺さぶられるものがあり、安楽死の是非というデリケートかつ視聴者にとって受け止めづらい展開にするのではなく、意識を取り戻した父親を囲んで、この家族が明かされた真実にどう向き合っていくかを描いて欲しかった、というのが個人的な感想です。