ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

びしょぬれに。

2013-06-14 06:36:03 | 日記
NO378
昨日は一日雨が降っていた。今日も朝から降っているが、雨はやっぱり嫌いである。

これから本格的な梅雨に入るけど、栃木県や群馬県に集中するダム付近にまとめて降ってくれれば、関東は水不足にならないのになぁ。

そんな都合のいい事ばかりは無いか。雨が降って切ないのは被災地の松ちゃんも一緒だろうと僕は勝手に思っている。


写真の重機を買った時の値段を聞いた時に、思わず安い!って僕が言ったら、彼は「安いのには訳がある。」と答えにやりと笑った。


彼が牛に餌を与える時に使うため買った重機であるが、安い中古重機のため前面ガラスが欠損していて、突然雨が降ると彼はびしょ濡れになってしまうのだ。これが安いの正体(笑)

もちろん朝から雨が降っていれば雨合羽を着用して作業をするが、それでも全面ガラスが無いから顔は濡れるし、運転もしずらいしで大変なのだ。

これを買う前は200kgのこのロールわら餌を転がして柵の中に入れ牛たちに与えていた。僕もロールわら餌を転がすのを手伝ったが、力の無い僕はゼィゼィヒーィハー息を切らしてホントに笑えない重労働だった。

まず普通の体力のある男子でも200kgのこのロールわら餌を4つも転がしたら足がもつれるかも?これをずっとやって来た鉄人松ちゃん。身体の作りが違う!恐れ入りました。

元々畜主でもない彼は、牛を飼養するために必要な機械などを持たずに保護しちゃったもんだから、こういう機械や重機の購入と柵などの環境整備は必要だから僕も購入に賛成した。

本当にたった一人でやって来たし、これからも一人でやって行くのだ。動物をこよなく愛す全国の皆さんが彼を応援してくれるのが嬉しい。


雨が降っても嵐であっても毎日牛たちに餌を与える松ちゃん。

まだまだ足らないものがたくさんあると思う。正直ボランティアでロールわら餌を大型トラックで運んでくれる人も必要だし、何かとお願いしたいことは山ほどある。

強制避難区域の解除は以前に比べて少しだけいいかも知れないが、放射能のこともあり20代30代の若い人にはお願い出来ず難しいのだ。

だから彼は出来る範囲の事を工夫してやって来た。今度行くときにはあの重機を使い自分も作業を手伝いたいと思っている。

それでは今日はこの辺で失礼します。みなさん、また明日お会いしましょう。
















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故郷の海岸。

2013-06-13 06:38:26 | 日記
NO377
今日は富岡の海の事を書こう。来月の写真展で使う町の姿の写真を撮るために帰ったのだが、町の海の姿の写真が無く今回撮りに行った。

僕はマイホームを建てる前に海岸から約200mほどしか離れていない仏浜という場所にあった町営住宅に住んでいた。

娘が幼稚園の頃から小学4年までの短い期間であったが、海岸には娘にせがまれて良く行った。僕は震災後初めて海岸を見に行った。今回はどうしても見たいと思ったのだ。


海岸に出るまで瓦礫に目を取られながら歩いていたら、牛の糞や足跡が点在しここにも彼らの形跡を見るのだが、この日は彼らの姿を全く見ることが出来ずに、見つかって殺処分されているかも知れないと本当に感じた。


防波堤は壊れていて、この位置から見えないはずの海の姿を見せ出したが、あのコンクリートの塊を砕くのだから津波の威力は本当に凄い。


娘の手を引いて延々と歩いた防波堤はとぎれとぎれで、その様相は原型を留めないものに変わっていた。ゴミが散乱する砂浜は懐かしい砂の感触だったが、それはすっかり忘れていた感触だった。


壊れた堤防の前に横たわる20mか25m位の大木に、何故か気を取られ写真を撮った。

東日本大震災の津波による被害を受けた海岸線の町を想像しながら砂の上を歩き、福島、宮城、岩手と東北の被害は甚大なものだったと思うが、茨城や千葉も被害が出ていて本当に今回の津波の大きさを知った。

今まで海岸に行かなかったのは、友人の父が今回の津波でお亡くなりになっているのでとても行く気になれなかったのだ。

富岡町の沿岸部も家々は流されひどい状況に変わりはないが、津波に遭われた東北3県その他の県の被災された方の胸の内を察する。

双葉町の友人宅は防波堤の目の前に家があり、何トンもあるテトラポットに押し潰された。家は流され家のあったところにそのテトラポットだけが残っている。家人は全員逃げて助かったが、想像を絶するとはこういうことだ。


同行した名古屋の方が僕を呼んだ。駆け寄ると動物の死骸で犬?と思ったが、子供のイノシシの亡骸がそこにあった。

何らかの事情(怪我か病気?)で力尽きたと思うが、僕の知らない被災地のどこかで死んで行く多くの動物たちに、心の中で合掌して今日のブログを閉じます。







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隣町の苦難。

2013-06-12 06:33:50 | 日記
NO376
昨日は朝5時40分に名古屋の方と富岡町に入るため、横浜駅西口ターミナルで待ち合わせをして松ちゃんの所に向かった。夜の9時に帰って来るまでの時間とにかく走っていた感じ。

僕たちは出掛けていて会えない松ちゃんの仕事(ダチョウと猫4匹と石松の餌と水の補給)だけ手伝い、第一の柵と第三の柵の牛たちの所へ様子を見に行ったのだが、牛たちはのんびりしていて安心した。

このあと来月の写真展に使う被災地の町の姿を撮るため駅や体育館・公民館に、津波で壊れた堤防や隣町の水産種苗研究所などの公共施設を回った。


震災後初めて行った研究所を見て唖然とした。ひどかったから・・・


車に同乗していた名古屋の方も「地球にやさしいエネルギー原子力の標語」が白けさせると言っていたが、本当に嫌味を込めて白々しいと言いたい。

この原発事故のおかげで町の人口96%の方が帰還困難区域に指定され町に帰れない大熊町の苦難を思った。

何処が地球にやさしいんだ!放射能の中を生きる動物も植物も被曝の恐怖を知らないで生きているのに・・・

昨日は富岡町の帰還困難区域に入り隣町の大熊町まで車を走らせたのだが、行く手を阻む鉄のゲートに何度もUターンさせられ正直思うように動けなかった。


東京電力福島第一の敷地に近い所まで行ったが、今しきりにニュースで流れる汚染水問題のタンクが目の前に現れて、ものすごい数のタンクが原発構内に設置されているのを実感。

昨日は行き止まりになり道幅が狭くUターンを出来ない道を、バックで車を走らせなければならない何とも首が疲れる一日でした。

大熊町の海岸線は瓦礫の山が所々にたくさんあり、この町の復興が遠い世界にあることを否応が無しに教えられた日でもあった。本当に手つかずだった。

午後3時に松ちゃんから電話をもらい富岡町のスポーツセンターにいた僕らは彼の家に行った。


彼は車屋さんと一緒にいた。彼に先日紹介した経済誌「先見経済」を渡しその本を手に取り、車屋さんと話す写真。

昨日は新横浜から9時台の新幹線に乗って帰る名古屋の方を送るために、彼と話す時間が一時間ほどしかなく充分話せなかったが、また来週にでも行きたいと思います。

それではみなさん、明日またお会いしましょう。









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やるせない。

2013-06-11 04:36:44 | 日記
NO375
一昨日の日曜日は、横須賀のあいかちゃんとじゅなちゃん(松ちゃんの応援団)が所属する松山バレエ団の横須賀支部の発表会があって駆けつけた。


以前紹介した横須賀での写真展の時の写真。松ちゃんの小さなガールフレンドじゅなちゃんとあいかちゃん。

「東洋の真珠」と称賛され、日本人で初のパリ・オペラ座出演、英ローレンス・オリビエ賞も受賞した日本を代表する不世出の国際的プリマバレリーナ森下洋子さんも出演され、松山バレエ団の演目にうっとりしてしまった。


http://www.zakzak.co.jp/people/news/20121024/peo12...ZAKZAKさんの記事からです。松山バレエ団の写真。

森下洋子さん以外の団員さんもすべて指導者(先生)で第三部の一時間は見ごたえがありました。この日あいかちゃんが表彰され、あいかちゃんの踊りも見る事が出来、それだけで感動してたからとても良い一日だったです。

今から富岡の松ちゃんのとこ行くから二人の事を報告するつもりだが松ちゃんも喜ぶと思う。何かに打ち込む姿や一杯練習しただろうなぁと分かる彼女(あいかちゃん)の踊りに心打たれるものがあった。

バレエなんて別世界のものと思っていたけど、その別世界に陶酔し時間を忘れて過ごせたからよかった。芸術のげの字もない生活というか被災してから趣味も何もない生活。ただ何かに追われている生活だったからバレエはとても新鮮だった。

「何に追われているんだい」と良くみんなに言われるけど、先が見えない事に対しての不安や焦りなど形のないものに追われている感じがしていた。

今から行く被災地故郷富岡町の姿を見たら、嫌でも現実のありように夢のような一日だったと我に返るけど、少しだけその余韻に浸っていたいと思う。


時間が止まったままの故郷富岡町。マイホームを建てる前に住んでいた住居跡。先週帰った時に撮った写真です。

いつになったら町は元に戻るのか?みんなが言うように本当に30年40年かかるのだろうか?と思うと力が抜けるし、この避難がいつまで続くんだ!って考えると本当にやるせない。

気を取り直して今から行って来ます。それでは、みなさん今日はこの辺で失礼します。









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ある経済誌。

2013-06-10 07:00:21 | 日記
NO374
先週も福島へ行ったり来たりの生活で、ある出版社より本が送られていたのだが、あいにくかみさんも不在だったために再度配達依頼をして受け取った。


これがその本。経済誌なのだが、お堅い本の中の松村直登の記事は読み応えのある内容だった。

ありのままの彼が本の中にいた。僕はこんな書き方をしてくれた人が今までいただろうか?とふと思ったほどよく書かれていた。


経済誌ですが、彼を取り上げてくれてありがとうと言いたい。

世の中の人は牛の殺処分に反対して牛を保護している彼の事を悪い人のようにいう人もいるが、これを読んでもらえば彼が悪い人ではない事を知るはず。

彼が何故原発再稼働に反対するのか?本当の現状を報道しない日本のメディアに対しての思いとか偽りのない事実が書かれていて納得のいく内容でした。

編集長の大澤義幸さんには、この記事を書いて下さった事を改めて感謝したい。いやぁ本当にもったいない気がするんだ。こういう記事はどんどん世の中に出てほしい!


他の記事もかなりいい内容の記事だったです。おもに経営者のみなさんが読む本なのだけど、僕の視点も変わったかな?

世の中、色々と毎日変化しているが、被災地は全く変わっていないと言って間違いはない。復興復興とパフォーマンスしているような政治に、反比例した震災から何も変わっていない町の姿を知らせてくれたとくれたと思う。

あれから2年以上の月日が経っているのに、未だにゴーストタウン化した町の姿を書いてくれたと思う。このことだけをとってもありがたい事だ。

大澤編集長の今後のご活躍をお祈りして、今日は経済誌・先見経済の紹介をさせて頂きました。








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山に入って生きてくれ。

2013-06-08 07:01:18 | 日記
NO373
今日は、イノブタの事を書こう。松ちゃんが「いくらでもいるぞ!」っていうくらい故郷富岡町で、本当にたくさん彼らの姿を見かける。

一匹で放浪しているイノブタもいるが、子連れのイノブタの方が多いかな?子供のイノブタを見ると可愛いと思う。


低速で車を走らせていたのだが、カーブのある道路を曲がり切ったところにこのイノブタの群れと遭遇し、危うく衝突しそうになったから車を反対車線に止めて下りて撮った写真。

母子一緒のイノブタは、母イノブタが子供を守ろうと威嚇してくるし怪我したくないので、遠くからこちらも刺激しないように見ているしかない。


子イノブタ10匹、寝そべっている子イノブタ君もいて何か癒された。

イノブタたちも害獣扱いで、見つかれば殺処分されてしまう。原発事故さえなければ彼らにこんなこともなかっただろうし、ホントに考えちゃうよなぁ。殺処分に絶対反対だ。

僕は小学4年生の時に担任の先生から「動物は人間の生まれ変わりだから、いじめたり乱暴したりしてはいけない」と教えられた。先生は何故人間が動物に生まれ変わるの?という僕らの問いに親切丁寧に答えてくれた。

小学生の自分の心に刻み込まれた教えに逆らえないというか、先生の言葉がスポンジのように心にしみてそのまま大人になってしまった。僕は大切な事を教えてくれた先生に今でも感謝している。


一番最後の子イノブタは群れから少しづつ離されてずっと僕を見ていたが、一匹になった事を知ってなのか慌てて駆けて行ったけど可愛かった。

町に居てはそのうち見つかって殺されてしまうから、出来れば見つからずに山に入って生きてくれと願っている。彼らが生きるのに、今はそれしか答えがないと思う。

何かうまく表現出来ないんだけど、今日はこの辺で失礼します。またお会いしましょう。








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町の現状。

2013-06-03 06:15:10 | 日記
NO370
みなさん、また福島へ行って来ます。今回は3日間のスケジュールで仕事と用事を済ませて一息つきたいところです。

今回は松ちゃんの所にお客様が来るし、松ちゃんの所には顔出すくらいになるかも。


当たり前の事だが、雨が降ろうと風が吹こうと松ちゃんは、こうして毎日お腹を空かせた牛のために働いている。


クレーンでロールわら餌をトラックに積んで牧場に入ると、牛たちは一斉に彼のトラックに向かった。

彼はこの後、重機でこの200kgの餌をこれから下ろすのだが、牛たちはそんなことお構いなしで彼のトラックを囲んでしまい邪魔してるって感じかな(笑)

松ちゃんの忙しさを先週書いたが、自分は忙しさを楽しむ余裕がなくアップアップしていて何かに追われるような、へんてこな生活をしています。

軌道修正できてないって言うか、このまま流されるのも良くないと思える生活になってる。(笑)

僕は広野・郡山・いわき市・富岡と駆け回って来て無事に任務完了としたいところです。来月にまた被災地の写真展の依頼を受けてその準備も加わり、やらなければならない事が増えてます。

今回の写真展は震災から2年3ヶ月たった今の町の状態を伝えるための写真展になります。

それなので残された動物たちと彼らを保護するがんばる福島の松村直登写真展とは全く違う感じになり、初めてと言ってもいい写真撮影と編集が待ってます。


現在の富岡駅前。津波の無残な傷跡をそのまま残しています。


駅前の商店街。人がいない廃墟の町になっています。そして壊れたままの建物が並び、復興が遠い所にあるのを痛感します。2年3ヶ月も経って、この姿です(泣)


至る所に車の瓦礫と津波で粉々になった瓦礫の山がある町の姿。道路をふさいでいた瓦礫が整理されただけで、3.11のままの姿を呈している。

ホントは町の姿を見せたくない自分がいるのだけど、原発事故さえなければ住民たちは町に戻り復興を目指して頑張っていただろう。

今、除染作業に追われている建設土木業の人たちも、本来の道路を直したり建物を建てたりの仕事で忙しい状況になっていたと思う。

だから今の町の現状も伝えていかなければならないと自分に言い聞かせているんだ。

こんな事書き出すと嘆き節しか出て来ないからダメだよね。気を取り直して行って来ます。それでは、みなさんまたお会いしましょう。













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続ける事。

2013-06-01 06:55:37 | 日記
NO369
二日間、除染に関して彼(松ちゃん)の怒りや野生動物の被曝の話を書いて意気消沈している自分がいたが、気を取り直して書いていこうと思う。

今日から早いもので6月だが、今月は松ちゃんの所に有名な先生が来てくれたり、外国からのお客様が見えられたりするので、彼は相変わらず忙しい日々を送ると思う。


牛の親子の健康状態を見に行く松ちゃん。


与えられたロールわら餌をむさぼるように食べる牛たち。身体の大きい牛は600kgをゆうに超えている立派な牛もいる。

毎日の作業をしながらゲストをお招きしなければならず、これは本当に大変なことに違いないが彼はそんな忙しい毎日を楽しんでいる。

このパワーが怪物とか鉄人と言われるゆえんである。ホントに病気もしないしタフなのだ。僕が先月病み上がりで彼の所に行ったが、笑えないくらい対照的だった。

今月の彼のスケジュールは目白押しだったような気がする。だからまた良い出逢いがあって彼を応援してくれる一人が増えてくれたら本当に嬉しい。

彼の家に猫4匹が保護され毎日の世話も増える訳だが、こんな事も楽しんで暮らしている。彼にとって動物たちは全て友達なのだ。


彼が一番可愛がっている白猫。彼は名前を付けていないというがいつもシロとかチビとか呼んでいる。目の色が左右違っているのと、人懐こくて可愛いのが最大の特徴。


この子は近くまで寄って来るがシロほど懐いていない。他の2匹のぶちは全く懐かない。

彼は講演会でいつも残された動物たちに「俺がいる限り餓死はさせない」と約束をしたことを話す。その言った言葉の重みを彼の生き方から見ることが出来る。

彼は約束したことを守り続けて生きてきた。人に何を言われようが、愚直にもその約束を守り通して動物たちと共に生きている。少し変わった点があるとすれば、町民の事も心配するようになった。

昨日まで書いてきた除染の事や仮設住宅に身を寄せて小さくなって暮らすお年寄りの事を特に言うようになった。彼は心底今の除染を無駄と言うが、僕も今の除染は止めるべきでやらない方がいいと思っている。

彼が言うように何度も何度も除染をやり直して、湯水のごとく税金を除染に使うなら避難住民の賠償に使った方が、どれだけ少ない費用で収まるのか声に出して言いたい。


隣町楢葉の放射能汚染物の仮置き場。こんなのが至る所にあって、しかも中間貯蔵施設の建設が遅れに遅れて、土の中に埋めて凌いでいるのが現状だ。

僕はもしかしたら、中間貯蔵施設を作らないで永久的に放射能汚染物を土の中に埋めたままの状態になるのではないか?と不安を感じている。そんなことになったら本当に恐ろしい。

彼の真剣な生き方は、多分何かを残すことになると思う。これからも富岡町に残り、残された動物たちの保護活動をする松村直登をみなさん応援して下さい。宜しくお願いいたします。











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