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住まいは人権! 一般社団法人協働舎
暮らしを高めるのは福祉制度の充実。
福祉制度の充実には私たち一人ひとりの声

歩き方もいろいろあるほうがいい 

2012-11-23 | まいにち

 

 
道はいろいろあったほうが
 Xを初めて知ったんは何年前やろなあ、児童相談所に勤めるときに中学生の女の子に教えてもろうたんやさかい、もう25年くらい前か…な。  まあ、帽子防止と合わ...
 

   この頃、世界がせもうなってきました。 前に本屋で雑誌『世界』をめくっとったら、とっしょり二人が『世界やて』なんて言いよったことをブログに書いたことがあるんやけど、その頃よりはもっとひどいで。

  いろんな暮らし方が、いろんなやり方がおまっせ。

  障害者「運動」でもそうですわ。『わしは障害者の声を代表しとる』なんて人の 視野の狭いこと、狭いこと…。

 

 


難しいなあ

2012-11-23 | 手話

大阪でのろう者被告刑事事件の裁判員裁判を傍聴して、どうなんやろなあ と 思ったことがあった。

手話通訳者は ろう者の 表現を 単語の連続(そのように、努めておられたように見えました)で 音声語に変えとってでした。

「すまん」「すまん」「すまん」といったふうです。

これは 僕は 「大変申し訳なく思っとります」となるんとちゃうかな…と 思うたんやけど。

弁護側には弁護方針なんかがあるさかい 第三者がどうこう言うこととは違うのんやけど、

裁判所に雇われた通訳者やったら また、 弁護側の 意向と 違った 通訳も あるんとちゃうかなあ…とも おもいました。

 

難しいとこです。

裁判員裁判になって ろうあ「運動」や手話通訳者の中では どうも 裁判員にろう者が選ばれた際の情報保障ばっかりが脚光浴びとるように見えるけんど、ほんまに必要なんは 刑事被告人の権利を守るいうことやと 僕は思うとる。

こんな勉強会を続けたいもんや。

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静かな夜を ガザにも…

2012-11-23 | 暮らし・社会

 ひとまず、「停戦」。 でも根っこの問題は何にも解決されてはおりません。 ナチスの大虐殺を経験したユダヤ人が いまこそ、自らの経験を生かすべきです。 (以下は朝日の記事)

 

 この冬も アトファルナろう学校の子どもたちへのクリスマス募金をしたいと思います。ぜひご協力ください。

 

ガザ空爆、癒えぬ傷 「世界が燃えているようだった」

写真・図版

イスラエル軍による18日の空爆で家族10人が死亡した家を捜索する人々=22日、ガザ、山尾有紀恵撮影

写真・図版

日用品が散乱する崩れた民家の横で、子どもたちが遊んでいた=22日、ガザ、山尾有紀恵撮影

写真・図版

柱が折れるように崩壊した警察の建物=22日、ガザ、山尾有紀恵撮影

写真・図版

22日、ハマス政府の多くの省庁が集まっていた場所はがれきの山になっていた=ガザ、山尾有紀恵撮影

 パレスチナ自治区ガザは、21日夜にイスラエルとイスラム組織ハマスの停戦が成立したことで、久しぶりに平穏を取り戻した。住民らは夜が明けると、表情を緩めて掃除や再建を始めた。停戦を実現させたエジプトによる仲介外交は「アラブの春」後の米国の影響力低下も際立たせた。

 【ガザ=山尾有紀恵】4日ぶりに入ったガザは、大規模空爆が始まる前の活気を取り戻していた。

 道路は車で渋滞し、トマトやピーマンを積んだ馬車が通り過ぎていった。姿を消していた子どもたちが路地に戻り、ボール遊びに夢中になっている。モスクで昼のお祈りをする人や、喫茶店でのんびりお茶を飲む人たちもふだんのままだ。違うのは表情がいつもよりも明るいことだ。

 ハマス政府の合同庁舎があった場所は、がれきの山と化していた。周辺の建物のひしゃげた窓枠や、粉々に砕け散った窓ガラスが、爆撃の激しさを物語る。

 街中にイスラム組織ハマスの緑の旗がはためいていた。マント代わりに背中にかけている子どももいる。覆面のハマス軍事部門メンバーが武器を手に車でパレードするのを、住民が羨望(せんぼう)のまなざしで見ていた。ハゼム・デーリくん(13)は「大きくなったらハマスの軍事部門に入って、イスラエルを打ち負かしてやるんだ」と目を輝かせた。

 住宅街の一角に、ミサイル2発が撃ち込まれて粉々になった家があった。子ども2人を含む3人が死亡したという。隣人のヒシャーム・サーレムさん(38)は「この家の主人は学校の用務員だった。武装組織を狙ったなんていう話はうそだ」。マルヤムちゃん(5)は「火が回ってきて世界が燃えてるみたいだった。死んだ人が見えて、怖かった」と涙をためた。

 集まってきた人たちが口をそろえた。「イスラエルは恐れをなして逃げていった。テルアビブにもエルサレムにもロケット弾を撃ち込んでやった。ガザの武装勢力みんなの勝利だ」

 祝賀ムードの影で、家族を亡くした人たちの葬儀が至る所で営まれていた。爆撃され家族10人が死亡した現場で、がれきを撤去して遺体を掘り出す作業が続いていた。崩壊した家の横の壁に「なぜ彼らは殺されたのか?」という言葉と、亡くなった4人の子どもたちの遺体写真が張られていた。22日、がれきの下から男性の遺体が見つかった。親戚のアフマド・ダロさん(40)は「彼らがどうして殺されたかって? それはただ、パレスチナ人だったからだ」。押し殺すような声だった。

■エジプトが仲介主導

 【カイロ=石合力】アムル・エジプト外相

 「エジプトはパレスチナの大義に対する歴史的な責任がある。パレスチナ各派の分断を解消する橋渡しの努力を続ける」

 クリントン米国務長官

 「ムルシ大統領の個人的な指導力に感謝する。エジプト新政権は地域の平和と安定の礎石としての指導力と責任感を取り戻した」

 21日夕、エジプト政府が停戦合意を発表した場に立ち会ったクリントン氏は前日、急きょカンボジアから中東入りした。仲介には関与できず、ムルシ氏を称賛するしかなかった。

 アムル外相は「外交努力に感謝する」として、その場でアラブ連盟、トルコ、カタール、国連事務総長の名を挙げたが、米国には言及しなかった。中東外交の主役が米国からエジプトへと代わった瞬間だった。

 「アラブの春」後のアラブ諸国がパレスチナへの連帯で一致するなか、オバマ米大統領はイスラエル軍のガザへの大規模軍事行動をロケット弾攻撃に対する「自衛権」として支持すると表明。クリントン氏は、ネタニヤフ首相との会談で、イスラエルのミサイル防衛システム「鉄のドーム」への米国の支援に言及するなど、露骨なイスラエル寄りの姿勢を取った。

 パレスチナ自治政府のアッバス議長は21日、来訪したクリントン氏にこう言ったという。「あなたは(ネタニヤフ氏の与党)リクードのメンバーか」

 ムルシ政権の対応は速かった。イスラエルが14日にガザへの攻撃を始めると駐イスラエル大使を召還、16日にカンディール首相をガザに派遣し、ハマス、パレスチナ人民への連帯を表明した。アラビ前外相が事務局長を務めるアラブ連盟は17日に緊急外相会合を招集。20日には10カ国以上のアラブ外相がガザ入りした。この間、カイロ空港そばのインターコンチネンタルホテルではエジプトの治安当局者の仲介でイスラエルの治安当局者と、ハマス、イスラム聖戦のメンバーが間接協議を続けた。

 エジプトは、イスラエルに対し、和平条約見直しという外交カードを持つ。1月の総選挙を控え強硬姿勢を示したいネタニヤフ氏は、地上戦という危険な賭けには出ず、矛を収めた。

 パレスチナ筋によると、20日の段階で両者は基本合意に署名済みだったが、イスラエルが公表を認めなかったという。唯一の支持者米国のクリントン氏が立ち会えるまで発表を延ばし、米国の体面を保つためだったとの見方も出ている。

 エジプト大統領府筋によると、ムルシ氏は近日中にパレスチナ各派をカイロに集め、和解統合の橋渡し会合を開催する。新生エジプトによる「大義への歴史的な役割」が動き始めた。

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