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あなたの理想とする社会

2024年05月09日 | これから何が起きるのか?

  この世には、技術、コンピュータが発達して、AIが人間社会の苦労をすべて克服してくれて、車はEVによる自動運転、エネルギーは二酸化炭素を出さない原子力、食料はバイオテクノロジーによる「安全食品」、医療さえもAIによって自動化され、費用も安く済む。
 などと「楽ちん未来社会」の到来を期待する人たちがたくさんいる。

 そんな人たちの価値観は、子供時代は成績第一、他の子供たちを押しのけて君臨することが最大の目標であり、偏差値の高い一流大学を出て、一流企業に就職し、美人妻を娶って、高級車に乗り、タワマン最上階に住んで、劣った他の人々を高いところから睥睨し、自己満足に浸るライフスタイルに憧れているものだ。

 熊の出るような田舎で100年前の家に住み、土と触れあって作物を育て、太陽光を浴びて真っ黒になって汗を流し、仲間と語り合って、その笑顔に癒やされる人生という価値観は存在しない。
 そんなライフスタイルには、序列も差別も優劣も存在しないから、国家権力も必要とせず、国家権力に依存して、自分の優越性に陶酔する人々にとっては、違和感がありすぎて同化できない。

 ブランドもの、高級品を身につけて、たえず、自分と周囲を比較し、自分の優位性、優越性を確認しなければ生きている実感の得られない人々にとっては、自分の財産や地位を破壊者から守ってくれる警察や行政の組織は絶対に必要なものだ。

 こんな人々が、「国家」という権力による統制を受け入れている理由は、自分の立場を守ってくれるシステムとか、犯罪抑止や社会秩序の維持だけではない。国家によって科学技術の進化が期待できるという希望も大きい。
 国家の存在によって、生活がどんどん便利になってゆく、教育も医療も発達し、社会問題が解決してゆくというような期待だ。

 だから、原子力やコンピュータAIの進化を手放しで喜ぶ人が多い。その「負の側面」について何も考えずに、進歩という宗教の幻想にどっぷりとはまりこんで、その利権のおこぼれに預かろうとするのだ。
 そんな人たちが、EVや水素カーに手を出している。また原発や核融合やAI社会に幻想を抱き、絶対的に推進してきた。
 さらにいえば、「強い日本」の妄想のために核ミサイルが必要だと考えている。

 差別や序列の社会システムの上位にある人たち。地位のある権力者たちにとって、警察は、たまには人質司法や違法取り締まりのような悪いこともするが、治安維持に必要な存在だから、少しの悪には目をつぶって、警察組織を維持しなければならないと思っている。

 行政を担う役人にも、たまに汚職が出てくるが、行政は社会の円滑な運営には必要不可欠なのだから、納税義務は必要だとか、社会秩序の維持には、自民党のような保守政党が必要だとか、自分を産み出してくれた既存の社会体制を維持することで、自分の優越的ライフスタイルが守られると信じているのだ。

 逆にいえば、自分を優越階級であると信じている人々が、警察、行政、自民党支配体制を強力に守っていると考えてもよい。
 これまで日本社会の構造的変化が少なかった理由は、子供時代からの競争社会の洗脳のなかで、他人を見下して優越感を感じている人々が、多かったという現実の反映でもある。
 
 日本は弱者を小馬鹿にする社会でもあった。障害者だけではない。LGBTや老人、ホームレスなどを嘲笑排除し、自分の優越性に自己陶酔する人が多かった。
 飢えたホームレスに手を差し伸べるのではなく、「出て行け!」と排除する人が多い社会だった。老人を大切にせず、「邪魔だ、勝手に死ね!」と思う人の多い社会だった。
 そんな人たちの大半は、日本社会の「勝ち組」に君臨する人たちだった。

 日本社会は、人間の勝ち負けに敏感な社会であり、序列に敏感な社会だ。だから企業に勤める人たちの多くが、営業などで他社に行くと、出会った人に対して最初に思うことは、「この人は自分より上なのか下なのか?」という序列である。
 そんな人たちは、第一印象で舐められないように、一流のブランド衣類や時計やら靴を身につけて、相手を威圧しようと努めるのだ。

 そんな姿勢でいるから、日本の企業は「相手に舐められない=序列を見せつける」という価値観一色に染まってゆく。
 自分たちが優位に立つことを最大の目標にしてしまうから、無謀な、取り返しのつかない膨張拡大路線にはまり込んで行く。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6128298.html

 三菱が国産ジェット開発に大失敗した理由も、東芝が原発で大失敗を重ねた理由も、日立が企業の存亡にかかわる大失敗を起こした理由も、すべて、「序列を見せつけてやる」という謙虚さを失った経営者の傲慢によるものだった。

 企業内序列にこだわって大失敗した企業は枚挙にいとまがない。最近ではダイハツがやらかしたし、日野も日産もまったく同じだった。自動車関連企業で、硬直した企業内序列が原因になっていた不正に手を染めて失敗ていない企業など、ほとんどいない。

 企業の失敗というと、マーケティングリサーチとかの戦術的な問題ばかり指摘されてきたが、基本は、序列による支配体質が定着してしまった巨大組織の本質的な問題だったのだ。
 野茂英雄という稀代の宝石を、長年の序列思想による傲慢な自己肥大が原因で、自分たちの見栄やメンツを最優先して、宝石の本当の価値を理解できないまま追放してしまった近鉄が、まさに見本といえるだろう。

 組織というものは、その効率性によって、個人の事業よりも桁違いの利権を生み出すから、猫も杓子も組織性を大切にしたがるのだが、みんな利権や利益よりも、人間にとって本当に大切な守らなければならない価値があることに気づかないか、忘れてしまうのだ。

 人間は、「何に依存して」生きているのか、いられるのか? という問題だ。
 人間が人間社会で生きてゆける根源は何なのか? これをしっかりと理解していないから、人間活動が放射能のような「負の遺産」を積み重ね、自分たちを滅ぼしてしまう結果になるのである。

 人間という存在は、母親から生まれ、母に依存して生きるのだが、それを父親が支える。長じて、立場が逆になるわけだが、最初から最後まで、人間が生きる根拠になっているものは、自分を支え、自分が支える人間関係なのだ。
 人間が生きていられる本当の食料とは何か?
 それは、自分を支えてくれている人たちの笑顔なのだ。他人を睥睨して優越感に浸ることでは決してない。
 「人は笑顔を食べて生きている」。

 「自分を支え、自分が支える人たちの笑顔」これが人間社会の究極の本質である。
 だから、この本質を見失ったのが、上に方に引用した巨大企業である。
 人を支えることよりも、自分の優越感を優先させてしまった序列社会が、たくさんの大失敗をもたらしたのである。

 我々の理想とすべき社会は、原発電気社会なのか? AI自動化社会なのか? コンピュータ管理社会なのか? 便利で楽ちんな社会なのか?
 違うだろう! 我々が本当に欲しいものは、決して便利さ楽ちんさではない。それは生きていて、関わる人々の笑顔を見て安心できる社会ではないのか?

 自動化して楽になれば、たくさん儲かるようになれば良い社会ではない。
 鋤や鍬やスコップで土と格闘し、汗を流して、食料を生産する喜びは、巨大なトラクターや化学肥料で大量生産することよりも、人間にとって大切で大きな意味がある。
 生産性の悪さは、他人との協力を必要とするので、対話がはずみ、人間関係が深まる。
 つまり、他人の笑顔に癒やされる人生が得られるのだ。

 どちらが、持続可能な社会、子供たちの未来の笑顔につながるのか?
 子供たちにとって、コンピュータで管理される社会と、野山を泥だらけになって自由に駆け回り、お腹を減らせる社会と、どちらが本当に必要なものなのか?
 どちらが、人間らしい未来を築けるのか?

 こうした観点で、ダボス会議の提唱するSDGsを見直せば、その正体が見えてくる。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6104850.html

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6121367.html

 ダボス会議は、便利さとか安全性とかを口実に掲げて、人々をスーパーシティ15分都市に閉じ込め、ワクチン接種をWHOに強制権限を与えて接種させようとしている。
 だが、その行末は、まるでナチスの収容所なのだ。
 コンピュータAI社会のもたらすものは、ホローコスト収容所である。
 そして原発電気社会のもたらすものは、もはや地球生物の未来を奪う、放射能汚染社会である。

 我々は、どちらを選ぶのか、今問われている。便利さ合理化社会を選ぶのか? それとも、肉体労働は残るかもしれないが、人々が未来永劫、笑顔でいられる社会を選ぶのか?
 なのだ。
 


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