gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

負の遺産

2024年05月08日 | これから何が起きるのか?

 まずは、私自身の「負の遺産」について説明する。
 2011年3月の東電による巨大放射能汚染事故を受けて、私は凍結スリップ事故の影響で秋頃まで活動できなかったのだが、治療しながら数台の放射能・放射線測定器を購入して、被曝被害の調査に入っていた。
 私自身は、放射能取り扱いライセンスを数種類取得していたし、若い頃から反原発志向だったので、生涯最大の関心事だったのだ。

 2011年の秋を過ぎたら自分で運転も可能になり、福島県周辺を8回ほど訪れて、数百カ所で土壌サンプルを採取し、シンメトリックス社のIFKR-ZIPという優れた測定器(ベクレル計)を蕨市のIさんの協力により使わせていただいている。
 採取したサンプルは、キロ数千ベクレル程度のものが多かったが、飯舘村や伊達市子供の国で採取したものは、キロ数十万ベクレルという驚異的な汚染のものもあった。

 ちなみに、チェルノブイリ事故を受けてロシア・ベラルーシ・ウクライナ三国で制定された「チェルノブイリ法」によれば、平米あたり55.5万ベクレル以上の汚染地域では人が居住することが禁止されている。この汚染レベルは、土壌キログラムあたり8500ベクレル程度である。
 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6125060.html

 ところが、フクイチ事故で、それまでキロ100ベクレル以上の汚染を管理が必要な特定物質として法律で定めていたものが、あまりに凄まじい広範囲に放射能汚染が起きて、しかも永久に除去不能であったため、安倍晋三政権は、キロ8000ベクレルまでの土壌で農業生産しても構わないと、根拠の存在しない安全基準の拡大を強行してしまった。詳細は上のリンクにある。

 そこで、私が土壌汚染サンプルとして集めたもの大半が「安全土壌」になってしまったわけだ。現在、土壌汚染の主役はセシウム137とストロンチウム90、それにアクチノイド(核燃料)のプルトニウム239などだ。実際には現在でも70種類以上の核種が残っているはずだが、残念ながら調べる術を持たない。
 セシウム137だけは662KEVの特徴的なガンマ線を発するため、容易に検出することができる。

 セシウム137とストロンチウム90は、半減期が約30年、13年後の現在、なお約74%が残存している。
 手元にある飯舘村の土壌がキロ1万ベクレルの汚染だったとすると、現在7400ベクレルあるわけだ。
 8000ベクレル以下だから安全かといえば、国の発表は完全な嘘で、実際にはセシウムもストロンチウムも一価と二価のカリウムやカルシウムと同等の性質があって、生物に容易に吸収され内部被曝を引き起こし、癌や内分泌系の障害をもたらす。

 だから法律上安全と決めつけられたからといって、私が集めた土壌サンプルが安全になったわけではない。そろそろ、この世とオサラバの終活に入っている私にとって、この厄介なサンプルの始末には、ほとほと困った。

 以前は、まとめて飯舘村の山中に捨てればよいと考えていた。ここでは今でもキロ数万ベクレルの土壌汚染が続いているからだ。しかし、なかなか以前のように簡単に動けなくなって、サンプルの処分に頭を悩ませた。
 結局、20リットルペール缶に半分程度の量なので、缶をコールタールでコーティング密封して自宅敷地に埋めることにした。これで、たぶん半世紀は問題ない。耐久シートでくるめば100年程度は大丈夫だろう。
 100年でセシウム137は10%に減る。300年で千分の1以下に減る。

 肺線維症の私が、1mの穴を掘るのは、もの凄い重労働なのだが、汚染を拡大するわけにはいかないので、やるしかない。すでにサンプル容器が劣化して中身が出てきてしまっているものもあるので大至急やらねばならない。
 もし安倍晋三が土壌安全基準をキロ8000ベクレルに拡大していなければ、こうしてブログに書くだけで、私に粘着している嫌がらせマニアが通報し、違法放射能汚染物質を埋めるということで、検挙される可能性さえあった。

 まったく余計な難題=「負の遺産」を自分で産み出したものだが、当時は放射能汚染を把握する上で具体的な調査が必要だったと自分に言い聞かせた。
 実は、50歳代のとき、私は肝臓障害から一種の認知症(肝性脳症)を患い、ブログを書いていても、自分でもデタラメな記述を平気で書いてしまう時期があった。自分で振り返っても、明らかにおかしかった。
 もしかしたら、認知障害のなかで行動したのかもしれないと思う。当時、作った木工品が、ひどい欠陥品だったことを後に自分で思い知らされることもあった。

 人間は、自分に幻想を持って、ひどい暴走をすることが多い。
 人類の歴史は戦争の歴史だったから、「強力な兵器」を手に入れるためには、それが、どんな「負の遺産」をもたらすものであっても、「相手よりも優位に立ちたい」という欲に負けて、自分たちを滅ぼす可能性のあるものさえ夢中になって産み出してしまうのだ。

 その最大の例、人類滅亡を求める悪魔が用意した最大のご馳走が「核開発」だった。

gensiryoku





 核開発を推進した連中は、それによってノーベル賞や大学教授としての地位を得て、「立派な業績」と称えられる生涯を送って自己満足に浸ったのだ。
 だが、核開発は、とんでもない未来永劫、解決不能の副作用を持っていた。
 それは、80年前の始まりから、ただの一度も、「核のトイレ」を用意できなかったのだ。

 人類は、解決不能の「使用済み核燃料」処理問題を、未来に先送りしてきたが、80年を経ても誰一人、トイレ問題を解決することができないばかりか、原理的に解決不能である証明がたくさん行われるようになった。
 それは核分裂・核融合を行えば行うほど、生物にとって致命的に有害な物質を、核原料の数百万倍も生成し、それが環境に漏れて、生物の未来を脅かし、最終的には人類も滅ぼしてしまうのである。

 これを「負の遺産」といわずして、何を負の遺産と表現できるのか? 
 核開発者は、政府がきちんと核廃棄物を管理し、安全な場所に封鎖しておけば問題ないと考えたが、残念ながら、地球上に、地殻変動から完全に安全な場所など存在しないのだ。ましてや日本のように世界最大級のプレート運動が起きている場所は、致命的地殻破壊から逃れることなどできない。

 実は、それ以上に恐ろしいことがある。「政府が安全に管理すれば……」という、その政府が安全に維持できる保証など歴史上存在しないのだ。
 歴史上、最長の安定政権は江戸幕府の264年である。ローマの千年王国といったって、実は200年程度で政権ではなく国家そのものが別の存在に変化している。

 中国4000年の歴史は、もっとひどい、王朝が変わるたびに支配者は別民族になり、完全の別の国家として、元の政府の遺産は、すべて廃棄されていた。だから、今の中国の歴史は、わずか75年でしかない。

 国というものは、政府がすべて刷新されると、それ以前の国家プロジェクトも、すべて否定されるのが普通である。
 仮に日本が中国に侵略されたとすると、日本政府の国家管理はすべて否定される。だから、日本政府が管理してきた各原発の核廃棄物も、六ヶ所村再処理工場も管理が放棄され、放射能がダダ漏れになる可能性が強いのだ。
 中国は、共産党の利権最優先であって、民衆の安全など考える国ではないからだ。

 核施設の安全が保たれる前提は、管理する国家の安全が前提である。ところが、今の自民党政権と日本政府は、もう国民からの信頼感を失いつつあり、次の総選挙で、政権交代が起きると予想されている。
 次に成立する新政権が、はたして民衆の安全を第一義とするだろうか?

 311の民主党は、もの凄い放射能汚染のなか、枝野幸男が「ただちに影響はない」とウソを言い続けたではないか? 細野豪志がSPEEDIデータの公開を阻止してしまったではないか?
 そして、未だに数千名の急性被曝死者を隠蔽し続けているではないか? 彼もまた、民衆の安全に寄り添う政権ではなかった。

 原発だけではない。核融合などもっとひどい。「原子力明るい未来」の標語がもたらした結末など一切考慮されず、同じというか、開発の名の下の最悪の愚行を繰り返している。
 多治見市の核融合研究施設で今行われている実験は、莫大なトリチウムを環境に放出している。また上空に放射された膨大な中性子が、空中で反射されて近隣住民を中性子で被曝させている。
 中性子が当たった塩(ナトリウム)は、ナトリウム24という最強ガンマ線核種となって、周辺住民を被曝させるのだ。

 これほどの規模の愚行は、これまで検証されたことが少ないので、結果が見えていないが、グリーンピースはカナダのピッカリング原発(トリチウム放出原発)で、周辺住民のダウン症発症率が85%上昇したことを明らかにした。
 トリチウムを大量に出す玄海原発周辺では、子供の白血病が全国平均の10倍に達した。
 https://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-4139
 やがて多治見市や土岐市では、児童支援学級を拡大しなければならなくなるのではないか?

 こんな「負の遺産」が、どうして作られるのかというと、携わる政治家、企業家の利権志向、そして研究者、科学者たちの名誉志向が、「負の遺産」を見えなくしてしまっているからだ。

 核開発を日本で推進した正力松太郎と中曽根康弘は、「核武装した強い日本」に強烈な憧れを抱いた。核開発の結果、産み出される負の遺産などには目もくれないほど、強い日本こそ、最大の目標だったのだ。
 だから「平和利用」の看板を掲げながら、その裏側で核ミサイルの開発を推進した。

 科学者や資本家たちは、核開発の利権が凄まじい栄誉やボロ儲けを産み出してくれると期待した。「正の遺産」である、利権やエネルギー開発に夢中になり、放射能汚染という「負の遺産」が存在することを忘れてしまったか、意図的に見ようとせず、遠ざけていたのである。

 その結果、世界は、放射性廃棄物の恐怖に怯える時代がやってきた。原発の使用済み核廃棄物は、数十年間、プールに貯蔵される。
 しかし、使用済み核燃料ユニット(燃料被覆管)は、多数のピンホールやクラックが生じて、内部の放射能が滲出していることが多い。原発は通常運転であっても、核燃料からクリプトン85やヨウ素131などの希ガスを環境に放出するのは、このためだ。
 つまり核燃料プールは汚染された水なのだ。なかには、とてつもなく汚染がひどいものもある。

 これは敷地のなかで確実に管理されているように見える。だが近年のF5以上の竜巻が吹き荒れるご時世では、もしも竜巻がプールを通過するとき、水を巻き上げて住宅地で降水したなら何が起きるのかも考えなければならない。
 これは「負の遺産」なのだ。しかも、プルサーマル燃料では、プール保管が数百年も必要になる。
 数百年も続く安定した政権も、管理システムも人間社会は獲得したことがないのである。

「負の遺産」はあまりにも多すぎる。ダボス会議が主張する「持続可能な未来」を根底から破壊してきたのは、ダボス会議自身である。
 核開発に未来は存在せず、それは人類に滅亡をもたらす悪魔のテクノロジー以外の何ものでもない。

 我々に必要な「持続可能な未来」とは、炭素循環法農業によって、戦争のような無益な浪費をせず、平和に人々の笑顔が持続する社会のことである。
 そこには、コンピュータAIや核開発、水素自動車などの先端技術は必要ない。
 みんなが必要最小限の飢えずにすむ食料を生産し、人生を楽しめるライフスタイルを守ってゆければよいのだ。

 人間社会は、核開発もAI社会も必要としたことなど、一度もないのだ。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。