17年前になる。
幼馴染の友人が亡くなっていた。
彼女とは、小・中・高校が同じ。
同じクラスにも、何回もなった。
小学校5・6年
中学校1年
高校1年 2年。
意気投合して仲良しというのではない。
同じクラスにいる同じ学校からきた人。
中学のときは、クラスがちがうが
同じ英語塾だったなあ・・。
地域が同じだから、卒業してもなにかの拍子に
あうことがあった。
にぎやかで、うるさい私と静かで、友達も少ない彼女。
私は、彼女の落ち着いた物腰を尊敬していた。
彼女は、私の明るさがまぶしかったとおもう。
彼女は、短大にいき、有名商社に就職した。
道であったら
「おじさんに囲まれて仕事している。」と
彼女にしては、明るい冗談をいった。
最後にあったのは、私が、子供をつれて渡英の準備のため
実家にもどっているときだった。
バスで、偶然あったので、うれしくてニコニコとしゃべっていると
「お幸せそうで」といった。
(そうかな?そんなに幸せでもないんだけど・・。
独身者からみたら、子供をつれて、わいわいやっているのが
幸せそうにみえるのかな?)とおもった。
そんな綺麗なことばを、大阪の下町で使う人だった。
****
彼女は、その後も、独身だった。
風の噂で、仕事をやめ体調が悪い、と
きいたことがある。
私は地元にいなかったし、帰省したとき
わざわざ、「どうしている?」とのぞくほど
親しい仲とおもっていなかった。
****
私が、末っ子を産み、「これで、子供が終わりにするぞ!」と決心し
育児に奮闘して、3ヶ月め、帰省することになった。
そのとき、初めて、彼女と同じ町内に住んでいる姑から
彼女がなくなったことをきいた。
私が出産する直前、亡くなったという。
私は、おめでたいことであり、産後であるので
義母は、黙っていたのだった。
****
私は驚いた。
そして、ご仏前におまいりにいこうとおもった。
彼女と友達であり、私の友達でもある人に連絡をとった。
「なにか、してあげられることはなかったのかな?」と私がいった。
「だって、仕方ないことやわ。
友達でも、相手の問題にはいれないことあるし。
できないことあるし。」
お参りにいくことも、断られた。
私は、一人で、お花をもって彼女の実家を初めて
訪れた。
お父さんは、すでになく。
お母さんがひとりで暮らしていらっしゃった。
入院中の彼女の写真。
仏壇の彼女の写真。
それらをみながら、お母さんが
明るく、晩年の様子を語ってくれた。
ぼろぼろと涙が出て仕方なかった。
****
それから、6年後、夏に帰省したとき
七回忌の年だとおもって
お盆にまた、お花をもってお参りにいった。
ちょうど、お姉さんとその娘さんが帰省していた。
仏壇の彼女の写真は、むかしのまんま。
あたりまえだけれども、私のように
年を重ねていなくて、若いまま。
それが、悲しくて、また涙がでた。
姪御さんは、明るく元気なお嬢さんだった。
お姉さんも、私が住む街から、近くに住んでいらっしゃった。
姪御さんは、私も知っている優秀な高校にはいられていた。
ああ、彼女は、絶えたのではない。
お姉さんも姪御さんも、彼女の身内らしく
優秀で、これから未来に生きていく。
その日は、明るい気持ちでかえることができた。
****
昨年の秋に、知り合いのお葬式にかえったとき
幼馴染で地元に住んでいる友達にあった。
亡くなった彼女の話題になったとき
「あんな、寂しい葬式、初めてやった。」と友達はいった。
彼女は、さばさばとして、厳しいことをいう人だが、
そういうことは、ちゃんとしているんだ!
お葬式に友達が参列いたとおもうと
ほっとした。
友達が少なかった彼女のお葬式は
参拝者も少なかったことだろう。
高校時代の友人で行った人はいないとおもう。
私の頭の中には、いつも、お参りを断った人の言葉がある。
本当に、私は、無力だったのかな?
友達って、なにもできなかったのかな?
もし、彼女の調子が悪いとか、精神的にまいっていると
きいて、声をかけたら、そのときだけでも
よくなっていなかったかな?
宿命が変わっていなかったかな?
なにか、変わっていなかったかな?
彼女の命が助かったとはおもえないが・・・・。
私が、神経を病んで実家にもどって
友達に連絡したとき
近くの駅まできてくれて
ただ、階段に一緒にすわっていてくれた人がいる。
別に役にたつ話をしたわけでもない。
ただ、並んで、コンクリートの階段に
すわって少し話しをした。
その感覚を私は、記憶をなくした時期の中でさえ、
憶えている。
****
私は、だから、自分が「これはどうしたらいいのかな?
動いたほうがいいのかな?
知らん顔していたほうが、自分のためなのかな?」とおもうとき
自分の良心にきく。
たいてい、「そんなに気になるなら、動いたら?」とこだまする。
そして、電話をかけたり、メールをうったり。
はたまた、会いにいったり・・。
よく、「しなくて後悔するくらいだったら、して後悔したほうがよい」
というニュアンスのことをいわれるが、
本当にそうだ。
人におせっかいといわれる、危惧をいだくより
「あのとき、○○してあげていればよかった」と思う後悔を
私は、恐れる。
そういう経験があればこそ、
いろんなことを見聞きしながら
心配し、動き、失敗し、後悔する。
それが、生きているということ。
不器用ながら、生きているということ。