お盆なので、仏壇の話をする。
先日、実家に電話したら母が仏壇の
カバーをつくっているところだという。
実家の仏壇は、とても古くて
汚いので、カバーをしようとおもったらしい。
私も、実家の仏壇ほど、きれいじゃい
仏壇をよそでみたことがない。
子供のころは怖かった。
他家の仏壇が綺麗にみえてしかたなかった。
母の話によると、母が嫁いできたときから
あるという。
「台風にもつかってなあ・・。」
えっ!?
父や、お習字の先生から、台風のとき
あのあたり一帯が水につかり
被害が大きかった話を何回もきいた。
お習字の先生も父も
「仏壇も、人の○○○(糞尿である)も
一緒にぷかぷかういてなあ・・。」
こんな語り口だった。
母の話では、ジェーン台風のとき、うちの仏壇が
水につかったのを父が引き上げ、そのまま今にいたっているという。
そのときの教訓からか、家を立て直したとき
仏壇は、二階に上げられた。
以来、鎮座まします。
あの台風で、人の○○○と一緒にぷかぷか浮いていた
仏壇って、あの仏壇のことだったのか!?
よその仏壇もういていたに違いないが、
私の脳裏には、そいういう苦難を経ても
買い替えもせず、我が家にある仏壇が
急にとても有り難い、後光がさした仏壇のように思えてきた。
鎌倉の仏さまも、浮いてあるお寺にながれつくという縁起があったりする。
あれから、何十年もたっているので
木製の仏壇は、枯れた古寺の趣である。
祖父がはいるまえからあったということは
誰を祀っているのか?
祖母のなくなってしまった実家の位牌が
一段したにあった。
最初は、幼くしてなくなった祖父の子供あたりではないだろうか?
今年の冬、父の七回忌と、祖父の50回忌である。
祖母の33期は、母が、しらぬまにすませていた。
ひさしぶりに法事がある。
私は、これを機に、すこし綺麗なものに
かえるとか、お道具を新しくしたらどうか?
とか少しおもっていたのであるが
水につかって、浮いてもなお、大事にされている
我が家の仏壇に跡をとったわけでもない私が
あれこれ指図するのは、僭越であるということが
よく、わかった。
最近は、おしゃれな洋間むきの仏壇や、金ぴかの仏壇
小ぶりな仏壇といろんなものがあり、みるのが楽しかったりするのだが
や~めた。
我が家の仏壇の歴史は、とてもお金でかえるものではない。
ぼろぼろであることは確かなのだか、いやなこわい気がでていない。
毎日、朝、父が花をそえ夜は、花瓶を下げる。
いただきものがあれば、まっさきにお供えし、
お下がりをいただく、という感覚が、私にはまだ残っている。
お盆のころは、お供えをした食べ物やお花が傷みやすく
いやなにおいがした。
そういうのが、怖かった。
祖母が出す、お盆の燈篭が破れていて、怪談のようで
怖かった。
「ゲゲゲの女房」のなかで、水木しげるさんがこどもたちにいう。
「目にはみえないけれども気配は感じたことがある。」
だから、妖怪の話は、うそでない、と。
父の写真や祖母の写真に語りかけると心が落ち着く。
そういうことも、目にみえないけれども
心のお薬かもしれない。
実家に帰ると真っ先に
実家をでるとき、最後に
仏壇の鈴をならす。
仏壇の中の人たちに
「ただいま」「これから、かえります」と挨拶をする。
そういう私なのに、カレンダー通りにお盆にお墓や
仏壇におまいりせず、自分の都合で動いているが、
身内なので、苦笑いして、笑っていてくれるとおもう。
ああ、お盆が終わる。
実家から離れた私の家にもきてくれていただろうか?
仏壇ではないが、写真の前でお香を焚いていた。
それは、私の瞑想時間であり、私だけの仏壇である。