うちの、息子は内申重視の
神奈川県にあって、遅刻、未提出が
ひどく、昨年の高校受験は
それはそれは、こちらは、気苦労が大変であった。
持ち前の悪運の強さで、なんとか、いれていただいた
高校でも、相変わらず遅刻、未提出をくりかえし
秋の面談のときには
「これでは、落第の可能性があり」と
担任に断言されたほどである。
****
先週のある日、早朝から、父親が起こしているのに
「うるさい!」といったあと、
「今日は、書初めをしないといけなんだよ!」と
のたもうた・・・。
父親は「はぁっ!?」である。
****
私は、覚悟を決めた。
この子は、今日も遅刻か欠席をする!
しかし書道をするのなら、そちらを優先しよう・・。
かくして、息子は、十分遅刻する時間に
おきて、書道の道具をテーブルの上にだした。
すると、長女が、やってきた。
「私も書く!」といって、おもむろに
書初めをした。
太筆で、「野」とかいたので
むかえにすわっていた私は
「『野球』とかくのかな?」とながめていたら
「野心」とかいた・・。
「○○ちゃん、ギラギラしていやらしい!やめなさい!」
この子は、この春から就職するので
仕事をするにあたっての気持ちをかきたかったらしい。
「『真心』が大事でしょうが!」と私はいった。
すると、
『初心』とかいた。
「まあ、ゆるしてやろう・・。」
彼女の筆遣いは、豪快で、息子は
あっけにとられて眺めている。
つぎに、息子がだしてきたのは上等の
料紙である。
「こんなのに、いきなりかいたら、もったいない!
練習しないといけないが、紙がない。
いつも○○にもらっているから紙がない」
と息子が言い訳をいったとたん
ねぼこなまこでおりてきた次女が
「あるよ!」といって自室から
(まるでドラマ「HERO」で、なんでも「あるよ!」とだしてくれる
マスターみたいだった)
束になるどころか、何千枚もの和紙が箱ごとおかれた。
「私は、書道選択だったけど
一年しかしなかったから、もう、邪魔!」と次女はいった。
「うわっー!!」と息子は、のけぞった。
私は、おかしくて笑い出した。
お手本はというと、ないので、今、友達にメールで
文面をといあわせているという。
友達は授業中のはずだ・・・・。
それを息子はかきとめた。
そして、半紙にかいてみたが
へなちょこな字なので
つい、私もかきたくなって、書いてしまった・・・。
「うわ。おかあさん、うまい。
こんなにかけるのは、○○(女子の名前)くらいしかいないぞ」
と変なほめ方をする。
それで、「これをお手本にしよう」といって
結局、書いた。
変体かなを次にならうそうで、
今回はかなだけでよいのだそうだ。
ならば、少し、連綿にするのがいいとおもって、
私は、流れを大事にするように口を出した。
口答えをしながらも、
数枚、練習し、清書した。
「先生が、『これを提出しないと
いつも5の人でも3になります。
だから、○○くん(息子の名前)
わかっていますね・・・・。』
といわれた」という。
息子は3だったはず。
いわずもがな・・。である。
「先生に、『こんな硯と墨では
一時間かかっても、墨はすれませんよ』っていわれた」
というのでみたら、
息子の硯は、プラスチックのへらへらなので
びっくりした!
小学校のときの一式だと思う。
「墨は○○ねえちゃんのをとっておいた」という。
ほんの10センチくらいのかけらである。
こちらもびっくりした。
私は、子供たちに書道を習わせたつもりだったので
まさか、息子がこんなお粗末な道具だったとは
思わなかったのである。
習い事をさせていたときも
墨汁をつかって、墨をすらないのを
嘆いていたくらいなので、息子の書道の先生は
ちゃんとした、いい先生のように思う。
あわてて、姉の硯ととりかえさせた。
墨をする時間がないというので
私がいうのもきかず、息子は墨汁で
料紙にかいた。
すると、うすい平坦な情けない色になって、
墨汁がまるだしである。
息子が「これじゃあ、ばれてしまう!」といったものだから
おかしかった。
とにかく、提出物をかいて息子はようやく
登校した。
私は、学校へ電話して
「今、でました」というそばやの出前みたいな
ことばを報告した。
学校の先生に
「体調が悪かったのですか?」といわれて
「書道の、提出物の・・・。
さすがに本人もかかないとまずいとおもったみたいで・・。」というと
担任ではない先生だが
「(クスッ!)ああ・・。」と納得した言い方だった。
私は、
「こんな形で、遅刻してしまい、申し訳ありません」と
お詫びするしかなかった。
なにしろ、提出しないと、落第するといわれていて
一家総出で、協力したのである。
普段、仲良しでない、母、姉妹が、つぎつぎと
末っ子を支援した形になった。
「だから、あんたは安物なのよ。
苦労なしで、要領だけでいきていくって
いわれるのよ」と、あれから、息子にいっている。
しかし、あの時間は、私にとって
宝物のような時間だった。
神奈川県にあって、遅刻、未提出が
ひどく、昨年の高校受験は
それはそれは、こちらは、気苦労が大変であった。
持ち前の悪運の強さで、なんとか、いれていただいた
高校でも、相変わらず遅刻、未提出をくりかえし
秋の面談のときには
「これでは、落第の可能性があり」と
担任に断言されたほどである。
****
先週のある日、早朝から、父親が起こしているのに
「うるさい!」といったあと、
「今日は、書初めをしないといけなんだよ!」と
のたもうた・・・。
父親は「はぁっ!?」である。
****
私は、覚悟を決めた。
この子は、今日も遅刻か欠席をする!
しかし書道をするのなら、そちらを優先しよう・・。
かくして、息子は、十分遅刻する時間に
おきて、書道の道具をテーブルの上にだした。
すると、長女が、やってきた。
「私も書く!」といって、おもむろに
書初めをした。
太筆で、「野」とかいたので
むかえにすわっていた私は
「『野球』とかくのかな?」とながめていたら
「野心」とかいた・・。
「○○ちゃん、ギラギラしていやらしい!やめなさい!」
この子は、この春から就職するので
仕事をするにあたっての気持ちをかきたかったらしい。
「『真心』が大事でしょうが!」と私はいった。
すると、
『初心』とかいた。
「まあ、ゆるしてやろう・・。」
彼女の筆遣いは、豪快で、息子は
あっけにとられて眺めている。
つぎに、息子がだしてきたのは上等の
料紙である。
「こんなのに、いきなりかいたら、もったいない!
練習しないといけないが、紙がない。
いつも○○にもらっているから紙がない」
と息子が言い訳をいったとたん
ねぼこなまこでおりてきた次女が
「あるよ!」といって自室から
(まるでドラマ「HERO」で、なんでも「あるよ!」とだしてくれる
マスターみたいだった)
束になるどころか、何千枚もの和紙が箱ごとおかれた。
「私は、書道選択だったけど
一年しかしなかったから、もう、邪魔!」と次女はいった。
「うわっー!!」と息子は、のけぞった。
私は、おかしくて笑い出した。
お手本はというと、ないので、今、友達にメールで
文面をといあわせているという。
友達は授業中のはずだ・・・・。
それを息子はかきとめた。
そして、半紙にかいてみたが
へなちょこな字なので
つい、私もかきたくなって、書いてしまった・・・。
「うわ。おかあさん、うまい。
こんなにかけるのは、○○(女子の名前)くらいしかいないぞ」
と変なほめ方をする。
それで、「これをお手本にしよう」といって
結局、書いた。
変体かなを次にならうそうで、
今回はかなだけでよいのだそうだ。
ならば、少し、連綿にするのがいいとおもって、
私は、流れを大事にするように口を出した。
口答えをしながらも、
数枚、練習し、清書した。
「先生が、『これを提出しないと
いつも5の人でも3になります。
だから、○○くん(息子の名前)
わかっていますね・・・・。』
といわれた」という。
息子は3だったはず。
いわずもがな・・。である。
「先生に、『こんな硯と墨では
一時間かかっても、墨はすれませんよ』っていわれた」
というのでみたら、
息子の硯は、プラスチックのへらへらなので
びっくりした!
小学校のときの一式だと思う。
「墨は○○ねえちゃんのをとっておいた」という。
ほんの10センチくらいのかけらである。
こちらもびっくりした。
私は、子供たちに書道を習わせたつもりだったので
まさか、息子がこんなお粗末な道具だったとは
思わなかったのである。
習い事をさせていたときも
墨汁をつかって、墨をすらないのを
嘆いていたくらいなので、息子の書道の先生は
ちゃんとした、いい先生のように思う。
あわてて、姉の硯ととりかえさせた。
墨をする時間がないというので
私がいうのもきかず、息子は墨汁で
料紙にかいた。
すると、うすい平坦な情けない色になって、
墨汁がまるだしである。
息子が「これじゃあ、ばれてしまう!」といったものだから
おかしかった。
とにかく、提出物をかいて息子はようやく
登校した。
私は、学校へ電話して
「今、でました」というそばやの出前みたいな
ことばを報告した。
学校の先生に
「体調が悪かったのですか?」といわれて
「書道の、提出物の・・・。
さすがに本人もかかないとまずいとおもったみたいで・・。」というと
担任ではない先生だが
「(クスッ!)ああ・・。」と納得した言い方だった。
私は、
「こんな形で、遅刻してしまい、申し訳ありません」と
お詫びするしかなかった。
なにしろ、提出しないと、落第するといわれていて
一家総出で、協力したのである。
普段、仲良しでない、母、姉妹が、つぎつぎと
末っ子を支援した形になった。
「だから、あんたは安物なのよ。
苦労なしで、要領だけでいきていくって
いわれるのよ」と、あれから、息子にいっている。
しかし、あの時間は、私にとって
宝物のような時間だった。