Poncoの ぴろ~・ぶっく 

枕元においたノートに
日々の生活で感じたことを
好き勝手に綴りたい・・・・。

手作りコースター

2010年01月20日 | Weblog
昔昔、とても暇だったときに
千代紙で、コースターを作り、
裏に散らし書きをかいてみた。

ニスも自分で塗った。

・・・で、いまだにつかってもいないし、
捨てずに引き出しの肥やしになってしまっている。

私のお稽古、無用の長物?

なんだか、情けない。

童心

2010年01月20日 | Weblog
息子が帰宅して
書道の先生が、
「○○君のおかあさんは
字が上手ね」とほめてくださったという。

私がかいたものをもっていったらしい。

私は、自分がかいたものを
紙ごみに捨てたつもりだったので
ものすごく、恥ずかしくなってしまった。

清書したつもりでもなかったし。

しかし、
「本当!?
うわ~い!うわ~い!」と大げさに喜んだ。
小躍りまでした。

「先生が、『行間の空け方、いいですね』って
いってた」といわれて
「本当?本当?わ~い!わ~い!」とまた
喜んだ。


****

実は、私は、最近、自分の字の下手さに悩んでいる。
お習字もしたし、学生時代は、変体仮名のお稽古を
ずいぶんしたのに、パソコンをうつのは早くなったが
ペンで、メモやら、カレンダーやらに書き込みと
自分で愕然としてしまう。

字をかくことが少なくなったうえに
握力やら、手の運動神経が衰えたような気がして
ならない。

運筆やら、大きなひらがなの練習から
しようか・・。と真剣におもっているところなのだ。

「五十の手習い」というのは
こういうことなのかもしれないなあ・・・。
とおもっている。
新しい習い事もいいけれども
自分の力が衰えてくるので
復習する年齢というのが
五十なのかな?ともおもう。

昔、達筆な礼状をいただいたのに
最近、送られたものは、その人のものとは
思えないくらいの手だったことがある。
もう、ご高齢なので、いろんな筋肉が衰えて
字までも、思うようにかけないのだろうとおもう。
年寄りが字が上手とおもったら、大間違いであると
わかった。
書き続けた人が、上手なのだろう。

しかし、若いときに身につけたものは
なにかのときに、ひょい!とでてくるものなんだなあ・・・。

「おかあさん、人に習字、教えられるかなあ?」というと
息子は、「何段?」と聞いた。

仮名に関しては、検定などとらなかった。
第一、何十年も昔なので、まったく関係ない。
息子は、「じゃあ、だめだ」という。
「調子に乗るな」ということらしい。

そういう風に思われるのだったら、だめだと思った。

看板をあげるほどの腕前ではない。
どこかの団体に所属しているのでもない。

私の書道の先生は、専門は漢字のほうだったが、
大学時代にはいって、再入門したとき
仮名をしたくて、指導してもらった。

だから、段などとっていない。
それだったら、世間では通用しないのかなあ?
私が、学んできたことは
子供たちに多少の影響を与えただけなんだろうか?

そういうことを考えるとむなしく、悲しくなるのである。

私には、肩書きがない。
それでは、なんの役にも立たないみたいで・・・。

そういう思いで、むなしくなる。
だから、書道の先生が認めてくださったことが
童心にかえって、
とても素直にうれしかったのだった。

誰もほめてくれない生活をしているものなあ・・・。






2010年01月20日 | Weblog
あんなに時間を犠牲にしたのに、
息子の書道の日は昨日だった。

なんのためにあの日にかいだのだろう?
あれから、毎日、私は「提出した?」と聞いていたのに。


昨日の朝、書道があるというので
私は、「墨!墨!」といそいで
私の硯箱から墨を探した。

****

墨をするのは面倒くさいものだ。
私も嫌いだった。
小さいとき、苦痛だった。

しかし、墨の成分のなかには
精神を安定させるものがあり、
すっているうちに気持ちが落ち着き、
集中へと向かう。

そんなことを知ったのは、ずいぶんあとのことだが、
いわれてみたら、なるほど、そうだ。
と思った。
だから、子供たちが学校でも、塾でも
墨をすらないのをもったいないなあ・・。
と思っていた。
次女は、「墨をすっていたら書く時間がなくなるじゃない」というが
墨をすってこその「書道」であって、
墨汁では「お習字」にほかならないと思うのである。

まあ、面倒くさいことは面倒なので
私もお習字どころか筆ペンがせいぜいなのだが。

*****

私の硯箱は、まったくのお道具で、めったにあけることはない。
しかし、一式あったはず、とさがすと
墨が二つあった。

ひとつは、桐箱にはいった奈良の手向山八幡宮のもので
ひとつは、中国の山水画が描かれたものである。

奈良のほうは、手向山八幡宮にいった母のお土産だったと思う。
もう、ひとつは、中国との貿易をしていた父の友人からの
プレゼントだったかもしれない。

私は、やわらかい手向山の墨なんぞ、もったいなくて
息子に渡したくはなかった。
しかし、あの墨のかけらでは、あまりに恥ずかしいので
なんとか、今日はしのぎたくて、両方、息子に見せた。
すると、無骨な息子が
「こんなの、もったいなくて、使えないからいい!」と言い出した。

それで、私は満足して、中国製の堅そうなものを
「とりあえず、もっていきなさい」と渡した。

奈良は墨の本場で、古梅園の墨など、
本当に丁寧につくられる。
私がもっている墨も、そんなひとつだから
暴れん坊の息子になんて、つかってほしくないのである。
しかし、そんな彼でも、一応、上等なものとわかって
気をつかったので、もう、満足したのだった。
私は、なんて、けちなんだろう。

彼が、小学校のころ書道を習いたいといったとき
姉たちが学んでいた書道塾は、なくなっていた。
それで、知り合いにお願いしたのだが、
サッカーが忙しくなって、あまり長くできなかった。
だから、彼だけが、あまりちゃんとならっていないのである。
高校で、書道を選択したとき、私は、とてもうれしかった。




書初め事件

2010年01月20日 | Weblog
うちの、息子は内申重視の
神奈川県にあって、遅刻、未提出が
ひどく、昨年の高校受験は
それはそれは、こちらは、気苦労が大変であった。

持ち前の悪運の強さで、なんとか、いれていただいた
高校でも、相変わらず遅刻、未提出をくりかえし
秋の面談のときには
「これでは、落第の可能性があり」と
担任に断言されたほどである。

****

先週のある日、早朝から、父親が起こしているのに
「うるさい!」といったあと、
「今日は、書初めをしないといけなんだよ!」と
のたもうた・・・。
父親は「はぁっ!?」である。

****

私は、覚悟を決めた。
この子は、今日も遅刻か欠席をする!
しかし書道をするのなら、そちらを優先しよう・・。

かくして、息子は、十分遅刻する時間に
おきて、書道の道具をテーブルの上にだした。

すると、長女が、やってきた。
「私も書く!」といって、おもむろに
書初めをした。
太筆で、「野」とかいたので
むかえにすわっていた私は
「『野球』とかくのかな?」とながめていたら
「野心」とかいた・・。
「○○ちゃん、ギラギラしていやらしい!やめなさい!」
この子は、この春から就職するので
仕事をするにあたっての気持ちをかきたかったらしい。
「『真心』が大事でしょうが!」と私はいった。
すると、
『初心』とかいた。
「まあ、ゆるしてやろう・・。」

彼女の筆遣いは、豪快で、息子は
あっけにとられて眺めている。

つぎに、息子がだしてきたのは上等の
料紙である。
「こんなのに、いきなりかいたら、もったいない!
練習しないといけないが、紙がない。
いつも○○にもらっているから紙がない」
と息子が言い訳をいったとたん
ねぼこなまこでおりてきた次女が
「あるよ!」といって自室から
(まるでドラマ「HERO」で、なんでも「あるよ!」とだしてくれる
マスターみたいだった)

束になるどころか、何千枚もの和紙が箱ごとおかれた。
「私は、書道選択だったけど
一年しかしなかったから、もう、邪魔!」と次女はいった。


「うわっー!!」と息子は、のけぞった。
私は、おかしくて笑い出した。

お手本はというと、ないので、今、友達にメールで
文面をといあわせているという。
友達は授業中のはずだ・・・・。

それを息子はかきとめた。
そして、半紙にかいてみたが
へなちょこな字なので
つい、私もかきたくなって、書いてしまった・・・。

「うわ。おかあさん、うまい。
こんなにかけるのは、○○(女子の名前)くらいしかいないぞ」
と変なほめ方をする。
それで、「これをお手本にしよう」といって
結局、書いた。

変体かなを次にならうそうで、
今回はかなだけでよいのだそうだ。
ならば、少し、連綿にするのがいいとおもって、
私は、流れを大事にするように口を出した。

口答えをしながらも、
数枚、練習し、清書した。

「先生が、『これを提出しないと
いつも5の人でも3になります。
だから、○○くん(息子の名前)
わかっていますね・・・・。』
といわれた」という。

息子は3だったはず。
いわずもがな・・。である。

「先生に、『こんな硯と墨では
一時間かかっても、墨はすれませんよ』っていわれた」
というのでみたら、
息子の硯は、プラスチックのへらへらなので
びっくりした!
小学校のときの一式だと思う。
「墨は○○ねえちゃんのをとっておいた」という。
ほんの10センチくらいのかけらである。
こちらもびっくりした。

私は、子供たちに書道を習わせたつもりだったので
まさか、息子がこんなお粗末な道具だったとは
思わなかったのである。

習い事をさせていたときも
墨汁をつかって、墨をすらないのを
嘆いていたくらいなので、息子の書道の先生は
ちゃんとした、いい先生のように思う。
あわてて、姉の硯ととりかえさせた。

墨をする時間がないというので
私がいうのもきかず、息子は墨汁で
料紙にかいた。
すると、うすい平坦な情けない色になって、
墨汁がまるだしである。
息子が「これじゃあ、ばれてしまう!」といったものだから
おかしかった。

とにかく、提出物をかいて息子はようやく
登校した。
私は、学校へ電話して
「今、でました」というそばやの出前みたいな
ことばを報告した。

学校の先生に
「体調が悪かったのですか?」といわれて
「書道の、提出物の・・・。
さすがに本人もかかないとまずいとおもったみたいで・・。」というと
担任ではない先生だが
「(クスッ!)ああ・・。」と納得した言い方だった。
私は、
「こんな形で、遅刻してしまい、申し訳ありません」と
お詫びするしかなかった。

なにしろ、提出しないと、落第するといわれていて
一家総出で、協力したのである。

普段、仲良しでない、母、姉妹が、つぎつぎと
末っ子を支援した形になった。

「だから、あんたは安物なのよ。
苦労なしで、要領だけでいきていくって
いわれるのよ」と、あれから、息子にいっている。

しかし、あの時間は、私にとって
宝物のような時間だった。