車泊で「ご当地マンホール」

北は山形から南は大分まで、10年間の車泊旅はマンホールに名所・旧跡・寺社・狛犬・・思い出の旅、ご一緒しませんか。

犬吠埼(いぬぼうさき)灯台 in 千葉県銚子市

2019年08月27日 08時00分00秒 | 神社仏閣・名所・観光・千葉県

銚子市の東突端、日本で一番早く初日の出が拝めるという関東最東端の突端にそそり立つ「犬吠埼(いぬぼうさき)灯台」。 地上から塔頂までの高さは31.3 m、煉瓦製の建造物としては、日本第2位の灯塔高だそうです。前回は指を咥えて見送りましたが、今回は念願かなっての訪問。

古くから交通の要所として、また魚介類の水揚げ場、醤油の生産地として栄え、多くの船舶が入出港した銚子。 しかし犬吠埼付近は岩礁・暗礁が多く海流が複雑な為、海の三大難所として海難事故が多発したと言います。慶応4年(1868)には、幕府の軍艦が暴風雨に遭い岩礁に乗り上げて沈没。乗組員13名が死亡という惨事となりました。

こうした状況の中で、日本に5つしかない第1等灯台が着工されたのは、明治5年(1872)の事。設計、施工監督者はイギリスから招いた灯台技師『リチャード・ヘンリー・ブラントン』 使用された19万3000枚の白色煉瓦は、内務省の土木技師によって生産が試みられた初の日本製の煉瓦。

着工から二年の歳月をかけて美しい白亜の灯台は竣工。危険な海の道標となる初点灯がなされました。 140年以上の風雪に耐え太平洋を照らし続けてきた白亜の灯台。導かれる船舶の安堵、灯台を守り続けた人の想い、すべてを包み込み、今も銚子のシンボルとして人々に愛されています・・と、こんな風に書いていくだけで、壮大なドラマの筋書きが浮かんできそう😊

灯台は一般公開されていますが、99段もの螺旋階段を登れるような健脚ではないのでパス😓 展望台から一望できるという太平洋も、敷地内の遊歩道から見るのと、そんなに変わらない筈!・・・・と、思いたい😅

1998年に「世界の歴史的灯台100選」に、2010年には国登録有形文化財となった「犬吠埼灯台」。また海岸の白亜紀浅海堆積物は「日本の地質百選」に選定。灯台の入り口前には、2012年のホワイトデーに設置された「白いポスト」があります。 ホワイトデーに因んだ「白いポスト」、そのうち「恋人たちの聖地」認定も近いかも。 それは兎も角、ここで郵便物を投函すると、風景印が押されて発送されます。

灯台の周囲には遊歩道が設けられており、様々な角度から犬吠埼灯台の景観を愛でる事ができます。 たとえば直物群、「崖地植物群落」の看板を見て気になった「ソナレムグラ」「イソギク」は開花時期が秋から冬の為、影も形も無し。 このブラシのような植物、銚子を分布域の北限とする「ヒゲスゲ(カヤツリグサ科)」みたいだけど・・今ひとつ確信が😅 う~~~ぅ、こういう時、植物図鑑並に説明できたら、きっとカッコいいだろうな。

遊歩道上から間近に観察できる地層は、1億3000万年前から1億年前の恐竜時代の地層だそうです。 さすがにここまで桁外れの数字になると、全くピンときませんが・・・とりあえずスゴイのです😲

ちなみにこの近くには、東映映画のオープニングに登場する「荒磯に波」のロケ地があるんだそうです。 犬吠埼灯台下遊歩道からだとその岩が見られるそうですが、残念な事にこの日の遊歩道は途中から立ち入り禁止。その為「荒磯に波」のロケ地が見える場所には行けませんでしたが、似た風景を激写! どうかなぁ?😓

風光明媚な犬吠埼には昔から多くの文人墨客が訪れ、景勝地は「文豪の地」として親しまれています。 彼らが句や詩に詠んだ犬吠の風景は、今も変わらず白亜の灯台と共に多くの観光客に愛されています。

【犬吠の  今宵の朧 待つとせん】高浜虚子(昭和14年(1939)に銚子を訪れた際の作)

【ここに来て をみなにならひ 名も知らぬ草花をつむ みづからの影踏むわれは 仰がねば 燈台の高さを 知らず 波のうねうね ふる里のそれには如かず ただ思ふ 荒磯に生ひて 松のいろ 錆びて 黝きを わが心 錆びて黝きを】佐藤春夫(明治44年(1911)に銚子を訪れた時の作)

【わかれても 故郷の海のあゐいろが  目にあり秋よ さびしくあるかな】尾張穂草22歳の作

【日の暮れ 海がすきです月見草】田原秀水(俳人協会:会員、昭和62年(1987)の作)

訪問日:2019年3月12日


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