かって平生のほぼ全域を治めていた大野毛利氏は、7年という長期工事で平生湾一帯の大規模な開作を行い、約120haの耕地と20haの塩浜を完成させることに成功しました。 しかし開作地は海面よりも低いため、海水の侵入を防ぎ雨水の排除の必要性が出てきました。そこで、当時最先端だったオランダの樋門技術を採り入れた「南蛮樋」がつくられ、昭和60年に大内川排水機場第1号ポンプが起動するまで、約350年にわたってその役割を果たしてきました。
この樋門の特徴は、それまでの唐樋と違い、ロクロの心棒部分と樋門の樋蓋を縄でむすび、鉄製のハンドルを回すことで、樋蓋を上下させる。それによって樋門を開閉させるという、当時のオランダ最新技術を使ったところです。そのため、南蛮渡来の技術を使った樋門ということで「南蛮樋」と呼ばれました。
「堀川南蛮樋」はロクロを用いる樋門で、下水道工事に伴い現在地の堀川公園内に移設されました。
また、熊川河口付近に建造されていた南蛮樋は「土手町南蛮樋」として1990年11月6日、山口県有形民俗文化財に指定。
もちろん、これも見学させて頂く予定でルンルン探し当てた所・・・「熊川の河川改修工事のため撤去されました。」・・って、いや、聞いてません😭
熊川に架かる熊川橋・・何と色鮮やかな土手町南蛮樋😥
もう、そろそろ復元された頃かと期待して2015年の山口県訪問で立ち寄った所・・・一応ですが無事に移築された南蛮樋を見る事が出来ました。何となく安っぽく見えてしまうのは・・これは移築したばかりだからという事で😅
その後、「南蛮樋の文化財としての価値を保全するため、2015年12月に移築復元されました。」という記述を市のHPで確認。で・・懲りもせず2017年の山口訪問で平生町に立ち寄り、無事に移築復元された「土手町南蛮樋」を見る事が出来ました😊
横から見た所。ろくろを回す鉄製のハンドルもしっかり見えます。贅沢を言えば・・水が流れている状態での樋門を見たかったけれど・・いやいや、欲を言ったら罰が当たります。😊
正面に見えるのが「両側には布積みの堅個な石垣」の部分かな?その辺の仕組みは恥ずかしながら良く分かっていません😓。
萩藩で編纂された「防長風土注進案」の天保年間の記録によれば「平生開作の樋門は42箇所を数える。そのうち南蛮樋は土手町南蛮樋1箇所のみで、左右長石垣高さ壱丈、樋幅弐間、石樋4本、切石中はめ、入水門三ツ、戸落シ三枚とされている」との記述が残されています。