禅宗・祖師を訪ねての講座が3月で終了し新たに“源氏物語を歩く”の講座に参加した。講師は国文学者で詩人の相馬大先生で初日は“葵祭と落葉宮”烏丸今出川に集合して烏丸から一条通を堀川までイヤホンを耳に細い道やから車に気をつけながら説明を受ける。
この通りは葵祭のメインストリートでお祭り広場桟敷が並び牛車が我先に前に出ようと大変な騒ぎが起きていた。勅使として唐鞍に乗る光源氏が目当てである。
六条の御息所と車争いをした葵の上(光源氏正妻)は恨みをかい取り殺されるこわーい話もある。
終点の一条戻り橋から見える堀の石垣はその昔、和気清麻呂が築いたものやそうです。草花が茂りよく見えなかったのが残念やった。
上の花は十二単途中の町屋の表に咲いていた。タイミング良いねぇ。
下の写真は京の町屋で切子格子と小間返しの格子この格子のある家が少なくなり先生は説明のためキョロキョロ探しながら“無いかもしれない”心配されていたがやっと一軒見つかりやれやれと言いながら嬉しそうに見入っておられた。
年々少なくなるそうです。
その後場所をお料理屋、繁なり(はんなり)に移し昼食を挟んで講義を受けた。
葵祭と呼ばれる様になったのは江戸時代でそれ以前は加茂祭と言われていたそうです。今は細い道になった一条通はそんな賑わいが有ったことは忘れているような佇まいが続いていた。
この通りは葵祭のメインストリートでお祭り広場桟敷が並び牛車が我先に前に出ようと大変な騒ぎが起きていた。勅使として唐鞍に乗る光源氏が目当てである。
六条の御息所と車争いをした葵の上(光源氏正妻)は恨みをかい取り殺されるこわーい話もある。
終点の一条戻り橋から見える堀の石垣はその昔、和気清麻呂が築いたものやそうです。草花が茂りよく見えなかったのが残念やった。
上の花は十二単途中の町屋の表に咲いていた。タイミング良いねぇ。
下の写真は京の町屋で切子格子と小間返しの格子この格子のある家が少なくなり先生は説明のためキョロキョロ探しながら“無いかもしれない”心配されていたがやっと一軒見つかりやれやれと言いながら嬉しそうに見入っておられた。
年々少なくなるそうです。
その後場所をお料理屋、繁なり(はんなり)に移し昼食を挟んで講義を受けた。
葵祭と呼ばれる様になったのは江戸時代でそれ以前は加茂祭と言われていたそうです。今は細い道になった一条通はそんな賑わいが有ったことは忘れているような佇まいが続いていた。
“何でこんなに無惨な事になるんや”
“一つも残ってないやないか”
最後に正統に近いのを見つけて
先生もやれやれ 生徒もホッとしました。
手間の掛かる工法は安易に崩されています。
むむ~っ、こんな風雅な名前で呼ばれて
いるのですか。知らんかった。
美しいデザインですねぇ。(しみじみ)
昔の人は(貴族)それぞれ染め・織物を家内で完成させるため牛車から裾をチラッと出すだけでどちらの姫君か分かったそうです。
十二単という植物もあるのですねぇ。
小さいのに、花びらが、ユニークな、形をしていて、
おもしろいですね。
調べたら、西洋十二単なんてのも、ありました。
またまた、発見。