無念なり、後藤健二さん、帰らず。
解放交渉は、無に期した。 半旗の日章旗が、寂しそうにたなびいている。
後藤さんの訃報を知ると、つらい。何の役にも立たない我々ジャーナリストの存在が、いかに空白のものか、改めて責められている。何が起こっても、自分の責任です、と言い切って、覚悟の上でのイスラム国に突入したサムライは、世界に多くの警告と警鐘を鳴らして、散った。
まだまだ、多くの悲惨極まる国や民族が、本物の人道ジャーナリストを必要としていたのに、後藤さんを亡くしたことは、慙愧に耐えない。各テレヴィ局、報道機関についても、イスラム国の成合に正確に分析できたところは、日本では、一か所もない。それだけ、中近東は、難しくなっており、隣国さえ、つかみ切れない政治や集団の世界になっているのだ。特に、アジアが中国のおかげで、日本、韓国、ロシア、ベトナム、フィリピン、台湾、などなど,ぎくしゃくした丸みのない外交と神経戦を交差させており、日本も多忙で、中近東まで思惑が活かされなかった経緯がある。
つまり、日本は、危機管理体制の確立が、希薄であった事実には、国民も反省しなければなるまい。兵庫を中心とした大震災と加えて、千年の一度といわれる3.11、東日本大震災の復興第一として、世界への外交が、ややもすると内向きに舵を取り、失われたここ20年は、平和外交だけを枢軸とした我が国は、国家危機管理を懈怠していたのでは、と思考する。
記者は、30年も前から、国家危機管理を官僚体制だけに依存せず、民間を含めた全キャスターで、組織を作り、各国との危機管理の連帯に大きなパイプを持つべきだと進言してきた。日本は、今でも、縦社会の様相は変わらづ、横に広がりにくい動脈になっている。安倍総理は、毅然とした態度で、テロとの戦いを宣言し、必ず、償いをさせると断言した。速やかに、特別情報機関の設立を急がねばなるまい。警察だけに、責任を負わすのは、酷だ。警察にブラックが情報を流すわけはないからだ。むしろ、国家権力から乖離している人物を重用すべきであり、国体の総意を反映させる時に、来ている。
事件が、勃発してからでは、解決が難しいだけに、国家が困るのである。テロ対策には、国民の団結が、まじ、第一であろう。今度の事件を見ても、政治家がどれだけ動いても、通用しない事件がある事実を把握しよう。
これだけ、世界を敵にした集団も不知であり、イスラム国が、長続きするわけはないとの思いはあるが、主力は、イラク、サダムフセインの支持母体のバース党ともいわれ、かつ、面倒なのは、傭兵にふさわしい先進国のアメリカ、英国、フランスなどの戦闘員が、8千人も参加しているという、かつてない異様な戦闘集団になっていることだ。ヨルダンが交換条件にしているリシャーウイ死刑囚とヨルダンパイロットカサスベ中尉の交換が成立しないのは、すでにパイロットが存命していないのだと思う。だから、イスラム国は、何の答えを出さず、応じられないのではないか。
後藤さんが、示唆しようとした啓示は、なんであったのか、ただ、湯川氏を救出するためのイスラム国入りだったとは思えない。イスラム国に、なぜ、さまざまな国から、傭兵になって戦っているのか、も取材の一部だったのではないか。外務省が、危険だから行くなと、数度、注意したにも関わらず、飛んで行った後藤さんは、死を決意した結果だったのか。彼をそこまで、堅固の目的にさせたのは、何だったのだろう。
しかし、現実の報道からはるかに疎い日本は、表面外交だけで、中身が薄すぎて説明が不透明である。悪の権化を暴いて、説明していないのだ。
だから、間違った認識を国民は、共有することになる。ジャーナリストの末端に籍を置く一人として、命を懸けた後藤さんに、深い敬意と哀悼を表したい。
世界を変えた一人のジャーナリストとして、行く末、長く語りつがれるのは、間違いない。カメラのキャパにも劣らぬ生命の奥義の門をひらいた後藤健二さんであったと思う。二人の命を救えなかった無力に、ただただ、無念としか弁がない。これは、ジャーナリストの死をかけた革命なのだ。
国民一人ひとりが、真剣にテロ対策に関心をもち、国家とともに、安全な日本であるように、貢献していかねばならない。すでに、他力本願で、日本国と日本人を守れる時代は、過ぎたのではないだろうか。
戦後70年を生きてきたわれわれは、これからの子供たちに、安全を第一に考えられる体制作りを遺産として残していくべきが、責務と考える。
一人の命は、地球よりも重いのだ。
諸氏の激励に感謝あるのみ、半旗の日章旗に、ただ、涙あるのみ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます