人間の本質が問われるのは、現代の悪癖を打破できないからである。
木村花さんが22歳の若さで命を絶った。肉体的には、プロレスラーであり、恵まれていたかもしれないが、精神的には、まだ22歳でこれから強くしていく矢先の出来事だ。
人を誹謗中傷と妬みや蔑みから、生きる権利を侵す卑劣な行為を我々は、どう解決していけるのだろう。これは、20歳青年たちの責任だけに終始しては、正当な結論に達しない。これを許している社会を構築している人間の責任であり、大人の由々しき問題である。戦後、道徳と修身がGHQの指導で排除の憂き目を負い、人間の本質を問う社会的思考が希薄になったのは、慙愧に堪えない。
われわれは、人ひとりの生命を大事に思いやる精神を忘れてはならない。木村花さんの教訓は、社会全体で考え、反省し、もっと崇高な人間の命の尊さを若い者をはじめ教えておくべきであろう。
日本が世界に誇れるのは、経済だけではない。むしろ精神的支柱をしっかり社会と日本人に植え付けてこそ、世界に日本あり、の躍動感あふれたオリンピックも開催できると考える。
他人や社会を批判するなら、代替え案を提示発言するのが筋ではないか。日本の公僕である安倍首相やキャビネットを批判するのも、自由であろう、しかし、建設的な論陣を張る勇気をもってほしい。
木村花さんを追いつめた中傷誹謗は、卑劣であるのと我々が、理解を深め、中傷誹謗を排除する勇気と決断を実行してこそ、木村花さんへの供養になるのではなかろうか。
人ひとりの生きる権利を侵しては人間としての価値はあるはずがない。
日本時事新聞社
論説委員 古賀剛大