浅田真央さん(21)のお母さんが48歳の若さで亡くなられました。お父さんのコメントは「安らかに眠っているような顔を見て、やっと苦しかった闘病生活が終わったことを自分たちなりに納得し今は気丈にしています。」(日刊スポーツ)と言うことですが、昨日の今日ですから、まだまだ現実感が出てこないことと思います。
私が思うに、彼女は小さい時分からお母さんに「真央ちゃん、今日は上手くできたね」と褒められることが何よりも嬉しく、勇気づけられたことと思います。
昨年から今年にかけて再起を目指して頑張っている間も、病と闘うお母さんの事が気掛かりであったことでしょう。そんな中でのロシア大会の優勝は、母への何よりの励ましになったと喜び、グランプリ大会にも期するものを持って臨んでいたものと思います。お母さんは、スケートだけでなく、これからの彼女の人生も楽しみにしていたことと思います。
私は19歳で大学に入った時以来、母とは別れて生活しました。就職してからは私の転勤先に訪ねてくるのを楽しみにしていました。たまに家族で訪ねていくと、父に先立たれた後の乏しい年金の中から子供に小遣いを包んでくれました。90歳の母を亡くしたのは私が53歳の時ですが、そんな年齢になっても母の死は心にぽっかり穴が空いた様でしたし、しばらくはよく母の夢を見ました。
真央さんも間もなくシーズンオフになります。しっかりとお母さんの霊を慰めて、新たなスタートを切ってくれることを祈り、静かに見守ってあげたいと思います。
合掌
私が思うに、彼女は小さい時分からお母さんに「真央ちゃん、今日は上手くできたね」と褒められることが何よりも嬉しく、勇気づけられたことと思います。
昨年から今年にかけて再起を目指して頑張っている間も、病と闘うお母さんの事が気掛かりであったことでしょう。そんな中でのロシア大会の優勝は、母への何よりの励ましになったと喜び、グランプリ大会にも期するものを持って臨んでいたものと思います。お母さんは、スケートだけでなく、これからの彼女の人生も楽しみにしていたことと思います。
私は19歳で大学に入った時以来、母とは別れて生活しました。就職してからは私の転勤先に訪ねてくるのを楽しみにしていました。たまに家族で訪ねていくと、父に先立たれた後の乏しい年金の中から子供に小遣いを包んでくれました。90歳の母を亡くしたのは私が53歳の時ですが、そんな年齢になっても母の死は心にぽっかり穴が空いた様でしたし、しばらくはよく母の夢を見ました。
真央さんも間もなくシーズンオフになります。しっかりとお母さんの霊を慰めて、新たなスタートを切ってくれることを祈り、静かに見守ってあげたいと思います。
合掌