笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

携帯電話代が半分以下になります。ードコモ

2019-05-23 15:00:34 | 日記
昨日から、ドコモの新料金システムの受付が始まります。

先に、ドコモショップで見積もりをして貰ったら、大幅に安くなることが分かり、今日、手続きに行きました。
(端末からも、手続きが出来ると言うことでしたが、意外に難しいので、ショップに出向きました)

ショップで電話番号を伝えて現在の料金の内訳を出して貰い、自分の利用データ量やサービスをチェックして、新しい利用内容の希望を伝えます。

基本料は、私のデータ利用量は、0・5Gで追加も1Gでしたので、新しい料金システムではギガライトで十分であり、家族割で月額1980円になりました。

また、私は、通話は殆ど使わないので、かけ放題も止めたため、ここでも2700円カットになりました。

結局、何だかんだで、6月以降は、これまでの月額6500円が月額3000円位になりました。

ただし、家内は、既に割引サービスを受けていたこと及び通話が多いので、かけ放題が止められないことから、月額650円位安くなるだけでした。(年間では、7800円ですから、大きいですよ)

因みに、「新料金システムになったら、窓口担当者の仕事は軽くなり、働き方改革になるか?」と訊いたら、「確認項目が変わっただけで減ってはいないから、楽にはならない。当面は、長くなるのでは?」と言うことでした。
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鈴木貫太郎記念館

2019-05-23 13:03:01 | 日記
昨日のバス旅行は、賑やかな昼食会の後、昼からは、鈴木貫太郎記念館を見学しました。

http://www.city.noda.chiba.jp/shisetsu/bunka/1001064.html


鈴木貫太郎は、2・26事件の時の侍従長で、叛乱軍から4発の銃撃を受けましたが、奥様の「年寄りですから、とどめは控えて下さい」と言う言葉で、指揮官の安藤輝三大尉が止めたため、命を永らえました。
(ちなみに、安藤大尉は、私の母校、宇都宮高校の旧制宇都宮中学から仙台の陸軍幼年学校に行きました)

なお、奥様は、今のお茶の水大学附属幼稚園の先生から、昭和天皇の養育係になった方です。

また、鈴木は、昭和天皇の意向で、終戦時の総理大臣になり、ポツダム宣言の受諾を決めました。

野田市教育委員会が管理する小さな記念館ですが、2・26事件の日の模様を語る奥様のビデオは、実感が溢れていました。

館のパンフレットには、終戦の詔勅にあった「為萬世開太平」の文字が使われています。



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グリコのパピコ

2019-05-23 12:44:59 | 日記
皆さん、グリコのパピコって知っていますか?

私も、以前、笛の教室のT先生からのメールで、「仕事が一段落したので、パピコで一休みしてます。」と言うのがあり、その時は、「パピコって何んだ」と思っていました。

ところが、昨日、会社のOB会のバス旅行で、千葉県野田市にあるグリコのアイスクリーム工場を見学に行ったら、何と、パピコを作っている工場でした。

2年前に出来たばかりの、一面真っ白な壁の清潔な工場でした。
創業者のチャレンジ魂たっぷりの一生のビデオで、「グリコとは、グリコーゲンの略だ」と知りました。

その後、原材料の混合から、容器への注入、パッケージまでのオートメーション工程を見せて頂いた後、パピコの試食をさせて頂けました。

コーヒー味、大人のバナナ味、夏だけのソーダ味の3種類ありましたが、私は、大人のバナナ味を食べました。

写真のような容器に入った、味付きの氷で、口で容器を咥えて、囓ってすすります。

冷たくて、美味しかったです。

先ほどマツキヨに行ったら、写真のコーヒー味があったので、買って囓ってみましたが、私は、大人のバナナ味の方が美味しいと思いました。

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伊勢旅行2日目ーー夫婦岩、津市、名古屋城

2019-05-10 18:12:48 | 日記
伊勢旅行2日目の昨日は、朝食を早めにとりました。

我々は、お決まりの焼き魚と味噌汁等々でしたが、外国人の皆さんは、オレンジジュース・コーヒー・スープ・ブレッド&バターと言う軽さでした。

朝風呂に入る外国人の方も何人かいました。

お金を払った後、昨夜から感じていたホテルの良い点や改善希望等を纏めたメモ(B4裏表に手書き)をお渡ししました。
寂れの目立つ二見浦の復興を願ってです。

昨日、海岸沿いは散歩したので、夫婦岩まで、たった二人をマイクロバスで送っていただきました。

夫婦岩は、55年前に高校の修学旅行の際に参拝して以来です。
不思議な感動を覚える岩でした。
直ぐ傍の岩に、鵜が一羽居たのが印象に残りました。

そこから国道に出て、JR二見浦駅(ふたみのうら駅)まで歩きました。
お陰で、予定より一本早い電車に乗れました。

津市で降りて、駅ビルで、コーヒーを飲み、タクシーに乗り、36年前に住んでいた社宅の近く(写真の川べりの桜の木の下)を歩き、当時からある有名な鰻屋「新玉亭」に向かいました。
家内が当時仲良くして頂いたKさんとお会いする為です。

懐かしい鰻丼を食べた後、2人がお喋りをしている間、私は、城跡を抜けて電話局、大通りを回り、大きなビルの建ち並ぶ街に変わった津市に驚きました。

その後、家内が、かねてから「折角近くに住んでいたのに行っていない」とうるさかった名古屋城に寄りました。
天守閣は建て替え工事中で
登れませんでしたが、新しく造られた天主殿(政務の場所)の絢爛豪華な部屋を見ることが出来ました。

最後は、津市で一緒でしたが、今は名古屋に住んでいる家内の友達Yさんにお会いしました。
時間の都合で、駅のコンコースのコーヒーショップです。
私は、少し離れたところで、コーヒー2杯とジュース一杯を飲みながら本を読んで、待ちました。

2日間のセンチメンタル・ジャーニーは終わり、今日からは、篠笛の練習、俳句ひねり、家のゴタゴタ等の現実に戻りました。

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伊勢参り

2019-05-09 10:35:38 | 日記
昨日は、お伊勢参りに来ました。

今年の3月が私たち夫婦の金婚式であることから、昔、三重で働いていたときの同僚のMさんが喜寿記念で、趣味の篆刻の個展をされる時に合わせて、お伊勢参りを計画しました。

その後、改元もあり、様々な祝い事が重なったお伊勢参りとなりました。

自宅を6時に出ましたが、総武快速が市川駅まで来たとき、「横須賀線で人身事故があり、遅れる可能性あり」となりました。
幸い、東京駅では1分の遅れで、無事、予定通りの新幹線に乗れました。

富士山が、雲一つ無く、くっきり見えました。

名古屋から参宮線に入ると、懐かしい地名、懐かしい鈴鹿の山山が見え、今を盛りと一面の植田が見えました。

幾つかの俳句を作りながら伊勢市駅に着くと、Mさんが待っていてくれました。

伊勢シテイホテルの2階の部屋一杯に、篆刻や篆書が並んでいます。
どれも、素晴らしい作品です。
現役時代も、仕事にゴルフに手抜きの無いMさんでしたが、退職しての趣味でも、手抜きが無く、プロレベルになっています。

篠笛を、やっとやっと続けている私とは、比べものになりません。

お昼は、ホテルのレストランで、松阪牛のステーキをご馳走になりました。

Mさんから、お宅のお庭の季節の花を篆刻にした朱印帳をいただきました。
奥様からは、私達の金婚式のお祝いにと、バウムクーヘンをいただきました。
細やかなお心遣いに感激です。

外宮の入り口まで送っていただきました。

連休中は例年の2倍以上の人出だったそうですが、今日は、ガラガラでした。

内宮は、外宮に比べて人出が沢山でした。
帰り際、宇治橋の中で、伊勢神宮祭主をされている黒田清子さんが内宮に向かわれる車にお会いしました。

その後、一目散に赤福の店に向かい、五十鈴川を眺めながら、渋茶で赤福を食べました。
家内は、「これで目的達成」と言う顔でした。

そこから、タクシーで、私の目的の一つである二見の西行庵跡(安養寺跡)を経由して、二見のホテルに向かいました。
西行庵跡は、タクシーの運転手さんは知らなかったのですが、事前に伊勢市の教育委員会に問い合わせて、現地の地図をファクスで頂いていたので、直ぐ分かりました。

一帯は、住宅地として開発されており、西行の庵跡は当然のこと安養寺跡も姿はなく、一面の草むらの脇にある看板だけが頼りと言うのは、何とも無常を感じた次第です。
背景の朝熊山の緑溢れる堂々たる姿とは対照的です。

二見のホテルに着いて直ぐ、安養寺跡の発掘調査で出た西行関係の遺物を展示してある賓日館(元は、明治初め以来の皇族の宿泊施設)に向かいました。
Mさんが予め確認してくれていたボランティアの案内人の方が、お店を締めて駆けつけて下さり、丁寧に説明して下さいました。
(ホテルへの帰り道、かどふさんのお店に立ち寄り、ひとしきり「西行談議」を楽しみました)

私達のホテルは、江戸時代には、幕府や各藩の武士が二見に来たときに宿泊した「本陣」の跡だそうですが、夕食時のレストランは9割近くが外国人(フランス語が目立ちました)でした。

今日は、夫婦岩を見てから二見駅から電車に乗り、津市で、昔住んでいた社宅の跡を経由して、新玉亭と言う鰻屋で鰻丼を食べる予定です。

今日も、沢山俳句を作りたいと思っています。
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