笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

2011年を振り返って

2011-12-31 16:43:02 | 日記
写真は、笛の教室のT先生から誕生日に頂いたもので、毎日、私の笛の練習を見守ってくれました。

今日で、2011年が終わります。

年表に記されるのは、なんと言っても3月11日の大震災・津波・原発事故でしょう。政治と行政が政治的野心を脇に置いて、力を合わせて民間の復興エネルギーを奮い立たせて欲しいと思います。
また、学者と産業界は新しく安全で効率的なエネルギーの開発を望みます。

世界的には、リーマンショックにも動じなかったEUが、自らの仲間の財政危機で大激震になっています。EU任せではなく、G8、G20、IMFなどが国境を越えてグローバルな立場で協力して世界経済の破綻を防いで欲しいと思います。
私的には、健康で、ささやかな社会参加も続け、笛・ゴルフ・読書という趣味も楽しみました。ありがたい一年だったと感謝しつつ締めくくりとします。
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池田勇太の同窓です

2011-12-31 09:56:32 | 日記
昨日は、今年最後のゴルフの練習に行きました。
私が20年近く通っている写真のゴルフ練習場は一階、二階合わせて100打席近くあり、距離も230ヤード有って、ゆったり・たっぷりです。
パターの練習場もあり、18ホールのミニ・コースもついています。
数人のアシスタントプロも居て、休日はあちこちで賑やかな指導風景が見られます。(私は、自己流を旨としていますので、無用ですが)
ジュニアの育成にも熱心で、プロゴルフアーの池田勇太もその卒業生の一人です。
謂わば、私と池田は同窓と言うことですね。
今年は優勝が一回とあまり振るわなかったですが、来年は是非とも賞金王を目指して欲しいと思います。
私も頑張ります。
因に、私は今年は優勝が3回、2位が2回でした。
もっとも、新ぺリアのハンデのお陰ですので、来年はハンデ戦でも優勝出来るよう、OBをしないゴルフを目指して頑張ります。
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マムシの死去を悼む

2011-12-29 10:33:12 | 日記
160センチの小柄な身体で、佐々木小次郎ばりの長いドライバーを振り回してそこそこ迄飛ばし、絶妙のコントロールでパットをねじ込み、自分よりはるかに若くて大きな相手を倒した後の記者会見では、飄々として関西弁で冗談を飛ばしてギャラリーを楽しくさせた、マムシこと杉原輝雄さんが逝かれました。
74歳と今の平均年齢に比べて数歳早いです。
前立腺ガンになりながら、手術もせず生涯現役を続けたのには、「ゴルフが好きだ」というだけではない、人生に対する彼なりの信念があっての事だと思い、これから老後を生きる身としては是非とも見倣いたいと思います。
ゴルフのプレーに於いて飛距離は極めて大きな武器であり、特にドライバーショットでは、164・5センチの私はいつも「もう少し身長があったらなー」と思っています。しかし、私のような小さい者が長いクラブを使うと言うことは、余程身体の軸がしっかりしていなくては無理だと思い、いつも杉原さんのプレーを感心して見ていました。
恐らく、人知れず相当な努力を重ねられた事と思います。
私も若い時は、250ヤード近く飛ばして結構ドラコンを取り、ドライバーは得意クラブでしたが、歳とともに体力特に筋力が落ちたのでしょう、飛距離は落ち、無理するとフォームが崩れ、方向が定まらなくなります。
そのため、今は1日100分の散歩の他、腕立て伏せ、スクワット、腹筋・背筋などの筋力トレーニングを続けていますが、余程良く当たった時で230ヤードが精一杯で、殆どは200ヤード止まりで、ドラコンにはとんと縁が無くなりました。
おやおや、「何をごちゃごちゃ寝言を言っているのだ。もっと練習せんかい」という杉原さんの声がしました。
今日は、来月5日の初打ちコンペに向けて練習場に行くことにします。
杉原さんのご冥福を祈ります。合掌
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お仲人さんの遺品

2011-12-28 12:09:43 | 日記
写真は、今、我が家の玄関を飾っている百合の花です。花は、ご近所のYさんの奥様が下さったものです。
生けてある花瓶は、我々夫婦のお仲人さんで今は亡きS先生の作品です。
先生は私が中学2年の10月に田舎の中学から県都の中学に転校した時の担任で、それ以降お世話になり続けました。
先生は、戦争中は父親の後継いで職業軍人をしており、飛行機で負傷されたということで顔一面にケロイドの痕がありました。戦後は司法試験を目指したが叶わず、教員になったと言われてました。転校した当座の成績が落ち込み挫折感に襲われていた時には、「学校に慣れれば、直ぐに追いつくから慌てるな」と励ましてくれました。
私が高校2年の時に、お袋と喧嘩をして家出をし友達の家に数日居候させてもらったときにも、私を諭すとともに母との間を仲介して、スムーズに家に戻れるようにしてくれました。
先生はその後、私の母校の高等学校の先生になりました。
その他、大学時代も私は何かにつけ相談をし、読むべき本の指導を受けたりしました。
そんなことから、我々二人のお仲人までして頂いた訳です。
先生は、退職後は陶芸に打ち込まれ、自宅に電気炉まで作られました。華道の先生の奥さまと画家の息子さんと三人で市内のデパートで展覧会をされた時は、家内も駆けつけて見せて頂きました。年に2度ほどお宅を訪問した際に、幾つか頂いた内の一つがこの花瓶です。
その後も長くお付き合い頂きましたが、75歳で亡くなられました。
奥様には更にご健在でお過ごし頂きたいと思います。
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小沢的政治の卒業アルバム

2011-12-26 00:10:09 | 日記
今、NHKの「証言ドキュメント・永田町権力の漂流」を見ながらこのブログを書いています。

最初はこの番組の意図するものが良くわかりませんでした。

しかし、途中から良く良くわかりました

「小沢裁判で無罪判決が出るのではないか」言う噂が巷で囁かれているためか、小沢さんの動きがにわかに激しくなった今こそ、「小沢さんの本質は何か?ーーそれは、自分自からは、苦労が多く失敗の危険性も多い国政の具体的実務で責任ある立場には何時も立たずにいながら、また政治家でありながら、評論家の様に外野で時の政権批判ばかりを繰り返して、結局は日本の政治・行政を長年に渡りひたすら混乱させて来た政治屋が小沢さんであるが、日本はこれからもそれで良いのですか?」と言うことだと思いました。

普段のNHKにもまして地味な編集ながら、「日本の政治・社会の現在の根源的課題が、実は小沢的なものから脱出が出来ないでいることではないのか?何時までもそれで良いのか?」を国民に訴えた番組で、高度な政治番組だと思います。
国内、国際のどこを見ても未曾有の難題を抱えている今の日本で、具体的実務の責任を持った立場に立って行動しようとはないままの小沢さんの軽口から1日も早く卒業したいと思います。
個別具体的な課題をしこしこと地道に解決する努力にこそ期待したいと思います。
小沢さんには、この放送を卒業アルバムとして送りたいと思います。
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