笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

義士祭

2011-12-14 15:49:46 | 日記

今日は、午前中に霞ヶ関で用事が有ったので朝早く上京しました。
ついでに、昼から高輪・泉岳寺に回ってみました。
12月14日は、ご存じの通り「赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日」ですから、浅野内匠頭と大石内蔵助はじめ47士の墓がある泉岳寺は、写真の様に大賑わいです。(普段は全く静かなお寺です)
討ち入りがあった元禄15年は西暦1702年で、江戸幕府が成立して100年経ち、将軍綱吉の生類憐れみの令という悪政が有るなかですが、商人の力が強まり元禄文化が花さいた時代でもありました。関ヶ原の合戦から100年以上も経ち、武ばったことから縁遠くなった中での出来事ですから、世間の耳目を惹きました。
当時は旧暦ですから今の1月下旬に当たるでしょう。また当時の1日は、太陽が出たら始まり次の太陽が出るまでだったそうなので、今の時刻で言うと討ち入りが実行されたのは、15日の午前4時頃らしいです。やはり、吉良邸の皆が熟睡している時間帯を狙ったのでしょう。それにしても、極寒の中ですね。
吉良邸での戦いは日の出間際まで続き、雪が朝日に光る道を本所から隅田川の橋を渡り、新橋、浜松町を抜けて泉岳寺を目指して歩いたのは本当のようです。
幕府の悪政に不満を持つ江戸の庶民からは、「良くやってくれた」と喝采を浴び、忠義を重んじる武士からは「武士の鏡」と讃える声が多く、幕府は処理に窮したらしいです。
そんな中、幕府のお抱え儒学者・荻生徂来が、「忠義ではあるが、仇討ちを禁じた幕府の命令に背いたことは許しがたい」と綱吉に提言し、47士の切腹が決まったそうです。
何時の時代も官僚の知恵が頼りですね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする