笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

花見の場所も、お好み次第

2019-03-29 17:41:32 | 日記

月曜日、東京に行く用事が有ったので、ついでに花見をしました。

写真は、三宅坂の国立劇場前の桜で、ほぼ満開でした。この辺は、アジア系の観光客が沢山写真を撮っていました。

半蔵門付近は五分咲きで、この辺には、欧米系の観光客も沢山いました。

更に、千鳥ヶ淵に行くと、まだ三分咲きでした。
ここの花筏を期待して行ったのですが、水面にはボートばかりで、全く花びらは浮いていませんでした。(写真)
観光客は、圧倒的に日本人でした。

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私は、柳家吉緑さん(千葉県東金市出身)を応援しています。

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車を廃止しました。

2019-03-28 11:13:34 | 日記
今朝、我が家は車を廃止しました。


その前に、写真は、私の右手薬指の爪です。
2月9日のブログに書きましたように、テーブルのガラスに挟まって、爪の付け根に内出血が出来たのですが、爪がだんだんに伸びて、3分の1位迄新しい爪になりました。
実は、4月14日の笛の発表会で吹くことにしている「京の夜」は、最後に、右手薬指をスリ上げて終わります。
この指に、皆さんの注目が集まり、「何だ、あの薬指は?」とならないか、気になります。
(「人は見た目が大事」と言う本がありますからね)


さて、車の廃止の件ですが、オートリースでしたので、リースバックです。

昭和53年(1978)年に、金沢で免許を取って以来、基本的に車の運転を続けて来ましたが、この度、ゴルフも止めたし、どこかへ出かけるには直ぐ近くにモノレールの駅があるので、4月の75歳の誕生日をもって運転免許証を返上することにしました。

当初、家内は、「不便になるな」とか言っていましたが、どのみち、デパートにお茶のお稽古の和菓子を買いに行くときに乗っているだけでした。


自家用車には、いろいろの思い出があります。

金沢で、免許取り立てに、娘の友達の家に行く途中で脱輪し、皆さんに力を貸して頂き、戻してもらいました。

会社の仕事で福井市に行く時に、自家用車で行ったら、渋滞に巻き込まれて、大遅刻をしてしまいました。

以前に会津若松の現場に勤務していたメンバーの集まりで、往きは千葉ー東京ー郡山ー会津若松、帰路は会津若松ー日光ー宇都宮ー東京ー横浜ー千葉と言う、長距離を走ったことがあります。

母が癌で入院して亡くなる迄の間、何度となく千葉市と宇都宮市の間を往復しました。

新婚当初に住んでいた水戸市に行って、うなぎを食べて帰ったこともあります。(家内は、水戸に居た時に行った店と違ったと、今でも不満を述べます)

義姉の母親の葬儀に山梨に行った際も、渋滞で、ギリギリに着いたことがありました。

今は亡くなった同期のN君の別荘に、家内のお茶道具を積んで泊まりに行ったこともあります。
(ベランダから見た、八ヶ岳にかかる天の川は素晴らしかったです)

70歳前迄は、横浜に住む娘の所に何度も往復しました。

家を建て替えた後、家内が茶庭にしたいと言って、駐車場を作らず近所に借り、車も新しくして間もない頃、車が盗まれてしまい、警察から「盗難車は、千葉港から船に積み込まれる」と聞いて、諦めきれず、レンタカーを借りて千葉港迄見に行きました。

65歳の頃、ゴルフ場の帰りに信号待ちの渋滞で追加してしまい、相手の方の鞭打ち症が10ヶ月間近く掛かりました。

72歳頃には、家内をイベント会場に送って行った際に追突されましたが、特に影響なく済みました。

私が一番多く利用したのはゴルフで、練習場、ゴルフ場に何度通ったことか。
往きは元気一杯ですが、帰りはゴルフの成績が悪いと、元気付けに、ラジオのボリュームを大きくして帰りました。


走行距離は8万キロ位だが、既に15年経っているので、多分、廃車処理即ち解体に回ると思いつつも、昨日は2人でしっかり洗車しました。

家内は、ナンバープレートが外された車を載せた陸送車を、長く見送っていました。


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金婚を迎えました。

2019-03-23 11:48:22 | 日記
昭和44年3月23日に、四谷駅前の主婦会館で結婚式を挙げてから、今日で50年目を迎えました。

家内の卒業式が3月20日だったので、友人達が故郷に帰る前が良かろうと言うことで、この日を選びました。

会場は、あちこち探した結果、当時としては格安だったので選びました。

式は、二人で考えて、私の中学時代の恩師のS先生ご夫妻に媒酌人をお願いし、参列者の皆さんに誓いの言葉を述べる「人前式」にしました。

披露宴は、30人位の方に出席して頂き、私の大学の同級生のW君に司会を頼みました。
都庁に勤務していたS君が区役所への結婚届けに行ってくれ、披露宴の途中で、「届けが終わった」と報告してくれました。

私は、前の年の4月に就職をしてまだ1年目で、茨城県水戸市にある現場機関で見習い中でした。

当時の給与は、本俸が31600円で、3月は税金などが引かれて28102円でした。

新婚旅行は、伊豆半島でしたが、東京駅からの出発迄の間、S先生と仲間たちとで日比谷公園で時間を過ごしました。

伊豆長岡に1泊、西海岸をまわり下田に1泊、伊東から船で伊豆大島に渡り椿園に1泊の「豪華」な新婚旅行でした。

水戸市での住まいは、社宅は無理なので、愛宕町に借りた一軒家で、6畳と4畳半の二間に小さな台所付きですが、お風呂は近所の銭湯に行きました。

その年の9月から11月迄、私は研修の為学園に、家内は千葉の実家に戻って過ごしました。
水戸市の貸家に植えた朝顔の種を、大家さんが送って下さり、その後の転勤先の庭で花を楽しませてくれました。

研修が終わってから、柏市の6畳一間・風呂無しの借り上げ社宅のアパートに住み、日比谷公園の向かいに通いました。

翌年の11月に、娘が生まれ、家内は娘を連れて銭湯に通いました。

その後、会津若松に転勤して新築の風呂付きの行きましたが社宅として与えられました。
11月30日の朝、一夜にして1メートルもの雪が振り、雪の無い土地で育った2人は驚きました。

仙台・東京・金沢・東京・津・東京・秋田と転勤して東京に戻ってからは、都内で幾つかの職場を変わり、を平成20年6月に、サラリーマン生活を終えました。

それぞれの職場で、変化の激しい仕事をしましたが、皆さんの協力で、充実したサラリーマン生活を終えることが出来ました。

新婚当初から深夜帰宅、週末も不在と言うイレギュラーな生活に、家内は良く頑張ってくれました。

娘は、小学生で2回、中学生で1回転校しました。
金沢で小学2年生の時、学校帰りに社宅の敷地内の滑り台で転び、肘の関節を骨折して、手術をし長いリハビリ生活をしました。

秋田には、単身赴任をし、娘が川崎の学校に入った年は、家族3人が別々に住みました。

津に転勤になった時に、千葉市の今住んでいる所に、中古の一軒家を買い、千葉東沖地震で屋根に大きな被害が出来たので、阪神淡路の震災の年に今の家に建て替えました。

勤務中は家族一同健康に恵まれましたが、私は退職直後に身体を壊して2カ月間の入院をし、家族に多大の心配を掛けました。

退職してからは、私はゴルフ、篠笛、近年は更に俳句で、家内は茶道で、それぞれ仲間の皆さんと楽しい時間を過ごしています。

有難いと思っています。

4月には、75歳になります。

改元の年に、我が家は大きな節目を迎えました。
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イチロー記者会見速報

2019-03-22 00:45:08 | 日記
イチローの引退記者会見は、日にちが変わって行われたので、速報します。

自分についには、「自分なりに頑張りを重ねて来た」と言い、子供たちには「野球に限らず、自分がやりたいことを早くみつけ、そのことに向かって努力して欲しい」と言った。

また、「去年、試合に出られない中で、努力を続けられたことが、様々な記録よりも貴重だ」と言いました。

引退を決意したのは、「キャンプの後半に、調子が上がらなかったためだ」と言った。

「イチロー選手が貫いたことは何か?」と訊かれ、しばらく考えて、「野球を愛したこと」と答えた。

「プロ野球に入って楽しかった時は有ったか?」と訊かれ、「オリックスに入って3年間位までであり、その後は、楽しむことは無かった。これからもし、草野球をしたら、とても楽しめるだろう」

「やっぱり一本ヒットを打ちたかった。にもかかわらず、素晴らしい時を頂き、死んでもいいと思った。」

「日本に戻って野球を続ける気はないか?」
「全く無い。理由は言えない」

「これから多くの時間をどう過ごすか?」
「多分、明日もトレーニングしているだろう」

「生き方は?」
「自分なりに努力を重ねて、地道に進んだり、時には後退することだ」

「これから、何になるつもりか。監督は?」
しばらく考えて、「監督は無理だ。人望が無い。アマチュア選手に教えることには興味がある」

「交代の時、菊池にどんな言葉を掛けたか?」
「二人だけの会話だから言えない」
(私が見ていて唇を読んだのは、「良く頑張ったな」だと思いました)

「妻は、1番頑張ってくれた。ホームでは、試合前におにぎりを食べるが2800個位握ってくれた。家の柴犬(いっきゅう)が17年も頑張って生きているので、自分も頑張ろうと思って来た。感謝しかない」

途中ですが、ここまでで寝ます。

終始、涙も無く、冷静な表情で応答していました。

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諸行無常ーーイチローが引退

2019-03-21 23:42:00 | 日記
ついに、その時が来た。

日本で、アメリカで、耐えざる努力を重ねて素晴らしい成績を残し続けてきたイチローが引退した。

最後の試合が東京ドームになったこと、チームに新たに加入した菊池のメジャーデビューの試合になったことなど、記念的試合になったが、出来ればヒットが欲しかった。

これからどのような人生を歩むのか興味深い。

お疲れさまでした。

第2、第3のイチローの誕生を期待する。

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