笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

二荒おろし、吹きすさぶーー

2011-12-12 13:05:02 | 日記
今朝も寒い朝でした。
散歩に出ると小川の川面からは霧が立ち上っていました。ただ、写真には映りませんでした。しばらく行くと道端一面に5センチを超える霜柱が立っていましたので、写真を取りました。
そうしたら、子供の頃の冬の朝を想い出しました。
私が小学生だった今から55年から60年前の日本は、太平洋戦争の疲弊から復興の途中で、どこも貧しかったですが、子供心にも未来は何となく明るく感じられました。
戦争中に父の出征を機にして川崎市から北関東の純農村地帯にある母の実家に疎開し、戦後もそのままその近くに住み着いた私の生家は、しがない下級公務員なのに、戦争中の「産めよ、増やせよ」のスローガンを忠実に守って7人もの子沢山だった為、普通以上に貧しかったと思います。
それでも、末っ子に近く兄のお下がりが次々とある私は、母の遣り繰りのお陰もあり、飴玉を買う小銭は貰えたので貧しさをそれほど感じることなく育ちました。
小学生の頃、朝は早くから家を出て近所の広場(今から見ると、凄く狭いですが、当時は広く感じられました)に集まって、ひとしきり三角ベースの野球をしてから集団登校をするのが常でした。
学校迄の途中で、家並みが切れた所の畑ごしに北西には日光の山波が見え、冬には南西方向に遠く雪を頂いた富士山が見えました。
冬は、母校の高校の応援歌にも歌われている様に日光からの「二荒おろし」の寒風が吹きすさび、朝の畑は霜で一面真っ白になり、地面には長い霜柱がいっぱいでした。それでも私たちは皆、裸足でちびた下駄を履いていましたが、あまり「寒い、寒い」とは言わなかった様に思います。
学校に着いたら、小使いさんの所からマッチと薪を貰って来て、持参の新聞紙を使って石炭ストーブに火を付けました。
アルミニウムの弁当箱をストーブの上の金網に並べて温めますが、授業中にオカズのいろんな匂いが漂って来ました。
懐かしい思い出です。
コメント
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