先日の「応仁の乱」を読むについて、二点追加します。
第1
この本の17ページに、南北朝の合体の記述があり、7行目に「後亀山は京都西郊の嵯峨大徳寺に入り」(略)「『大徳寺殿』と呼ばれた」とありますが、これは、いずれも「大覚寺」の誤りではないかと思います。
まさに、上手の手から水が漏れたように感じました。
第2
またこの265ページの最後から4行目の下から、「数々の『洛中洛外図屏風』は、豪華絢爛たる花の都を活写しているが、これは理想の京都を描いた『絵空事』であり、実像とは大きく懸け離れていた」とありますが、新たな目を開かせて頂いたと思います。
(歴博のホームページの刊行物『歴博』のバックナンバー第145号も併せて読むことをお薦めします)
ーーーーーーーーーーーー
私は、若手落語家・柳家吉緑さん(千葉県東金市出身)を応援しています。
http://ameblo.jp/y-kichiroku/
第1
この本の17ページに、南北朝の合体の記述があり、7行目に「後亀山は京都西郊の嵯峨大徳寺に入り」(略)「『大徳寺殿』と呼ばれた」とありますが、これは、いずれも「大覚寺」の誤りではないかと思います。
まさに、上手の手から水が漏れたように感じました。
第2
またこの265ページの最後から4行目の下から、「数々の『洛中洛外図屏風』は、豪華絢爛たる花の都を活写しているが、これは理想の京都を描いた『絵空事』であり、実像とは大きく懸け離れていた」とありますが、新たな目を開かせて頂いたと思います。
(歴博のホームページの刊行物『歴博』のバックナンバー第145号も併せて読むことをお薦めします)
ーーーーーーーーーーーー
私は、若手落語家・柳家吉緑さん(千葉県東金市出身)を応援しています。
http://ameblo.jp/y-kichiroku/