大学時代の仲間の勉強会で「弱者の居場所がない社会」(阿部彩・講談社現代新書)を読んだ。
(1) 正直、この手の本は苦手である。
私は、この地球上の生物が適者生存理論に基づき生きていること、また人間が「地球の掟」から離れて成長理論に基づき生きている以上、「生物個体間・人間個人間に格差が生まれるのは必然である」と思う。格差を是正するとしても、その原資はまた、成長理論と適者生存理論に基づく勝者の生産物に依存しなくてはならないのではないか。まさか、今さら、社会主義理論の「能力に応じ
て働き、必要に応じて取る」ではあるまい。この本は一度読んだだけでレジメをつくる気にもなれなかった。したがって、このブログは多くの方から「何を能天気な」と、顰蹙を買うかもしれないと思いつつ、公開することとした。皆様のご意見を伺いたい。
(2) この本を読んだ機会に考えたことは次の4点である。
A.絶対的貧困と相対的貧困―――「分相応の生活」がしにくくなった。
貧困と言っても、基本的な生存の保障が叶わない貧困(絶対的貧困)は、今や日本ではごく一部にしか見られ
なくなってきていると思う。
逆に、社会全体が豊かになるにしたがって、「相対的貧困」=世間並と言えない貧しさ(相対的貧困率=年収が全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合)が増えていると思われる。
特に、バブル期以降、表面的に飾り立てて生きる風潮が著しくなったため、かつてはそれぞれの収入(分)に応じた生活スタイルで甘んじていたものが、分を越えた生活スタイルを求め、その結果余計に貧困感を受けているのではないか?
私は、今、頭は家内に切ってもらっている。ズボンや上着は近所のハルヤマで買っているし、下着はスーパーだ。靴は安売りで買っている。Yシャツはなるべく着ないで、シャツも殆ど洗濯機で洗っている。スーパーで食料品の買い出しに行くときも、出来るだけ安いものを買っている。デパートで買うものはほとんどない。しかし、何とも思わない。なぜなら、ほとんど年金しか収入がないのだから当然だ。
B.新自由主義の生み出す新たな貧困層―――参加の自由は敗北の自由
新自由主義の経済原則は、「規制緩和のもとでの自由競争原理」である。
規制緩和は参加の自由を保障するが、そのことは必ず多くの敗者を生み出す。(タクシーの例が顕著)
参加の自由の名の下、たとえば資本金1円で会社を作れる。(今や、コンプライアンスの名のもとに個人事業主ではダメ、会社でないと契約しない。とされている。――――例;G君)
そのため、無理して会社を作る。ところが運転資金にすら余裕資金もないから、なけなしの土地・建物を抵当に入れて金を借りる。当然返せないから、抵当は戻らなくなる。そうなると、金融機関から借りられないから、闇金融に行く。高い利息が返せない。当然、良くてP/Lはカスカスの黒字だったとしてもB/Sは債務超過又はそれに近い。
しかし、経理の知識も十分で無いから、そのことにすら気づかない。確定申告をしていればまだしも、多くの小規模経営者は確定申告すらしていない。数年して、税務署が入った時には、個人資産も差押だらけ、借金だらけ、税の滞納だらけと言うことになる。
<持家至上主義もこれと同じ。今や、「3.5%金利、35年返済」が標準だ。これは、複利計算だから借りた分の倍返せということだが、見た目は安く感じる。35年と言うことは、35歳で借りると70歳までだ。ましては、10年間は低利サービスとなるとなおのこと安いと思って借りたが、給与は上がらないのに、子供の教育費が増えてくる。やがて返せなくなる、銀行はそのことを知っていて貸す。そうして不動産を安く手に入れられるのだ。貸すところがないのに金余りだから、どこでも貸し込む。>
C.男女機会均等法が生み出す貧困層
私は、日本の企業は「男女機会均等法」を不当に悪用していると言えないか?と思う。いや、労働団体や評論家も知らず、知らずその片棒を担いでいるのでは?と思う。
と言うのは、「男も女も能力によって給与が決まる」と言うことから、現実は、男子の給与が安く抑えられ、結婚しても共働きでなくては食べていけなくなっている。
そんな状態で少子化は当然のことだ。共働きで人並みの生活が出来るならまだいい。夫は年齢が上がっても低い給与、妻は年間103万円のパートで家賃を払い、車に乗っていたのでは、子供なんて生めるはずがない。
「若いうちは男子が働き、女性が子供を産み育てる」という欧米では当たり前のことを前提とするなら、まずは男性の給与で標準家庭の生活ができるようにすべきである。
そのうえで、頑張る女性が男性並みに給与を取るのを認めればいい。「何か変だぞ、男女雇用機会均等法」と言う感じだ。
C.ゆとり教育による格差の再生産
良く、最近の学校では運動会でも順番を付けないと聞いた。ところが、最近、実は通信簿も昔のように5段階評価でなく、3段階評価であることを知り、驚いた。
宿題も、ほどほどにしか出せないそうである。そのため、オール3の子供が沢山出るのだそうである。事情に
疎い親は、「わが子は自分に似ず、天才のようだ」と思うそうだが、金持ちで賢い親は、「これでは、しかるべき学校に入れない」となり、早くから学習塾に通わせるのである。当然に、学力テストになると歴然とした差が出てくる。受験期になって慌てても既に手遅れだ。当然、進学校に差が出、やがて就職、給与、人生に差がついたままとなる。何が、ゆとり教育か。人生格差教育ではないか?
文部省、日教組が一緒になって、格差の再生産をしているのではないかとすら思える。
(3).この間に読んだその他の本
「貧乏物語」(川上肇)―――今の格差論は、川上の本を越えていないように思われた。
「格差社会――何が問題なのか」(橘木俊詔・岩波新書)――データが豊富。
「消費社会から格差社会へ」(三浦展&上野千鶴子・ちくま文庫)――格差、貧乏についての話題が豊富。
「外資系の流儀」(佐藤智恵・新潮新書)―――――外資経験の浅い女性が書いた本。
「韓国併合への道」(呉 善花・文春文庫)――――帰化した元韓国人が韓国の内実を踏まえて書いた本。調査もしっかりしており、読む価値大。
(1) 正直、この手の本は苦手である。
私は、この地球上の生物が適者生存理論に基づき生きていること、また人間が「地球の掟」から離れて成長理論に基づき生きている以上、「生物個体間・人間個人間に格差が生まれるのは必然である」と思う。格差を是正するとしても、その原資はまた、成長理論と適者生存理論に基づく勝者の生産物に依存しなくてはならないのではないか。まさか、今さら、社会主義理論の「能力に応じ
て働き、必要に応じて取る」ではあるまい。この本は一度読んだだけでレジメをつくる気にもなれなかった。したがって、このブログは多くの方から「何を能天気な」と、顰蹙を買うかもしれないと思いつつ、公開することとした。皆様のご意見を伺いたい。
(2) この本を読んだ機会に考えたことは次の4点である。
A.絶対的貧困と相対的貧困―――「分相応の生活」がしにくくなった。
貧困と言っても、基本的な生存の保障が叶わない貧困(絶対的貧困)は、今や日本ではごく一部にしか見られ
なくなってきていると思う。
逆に、社会全体が豊かになるにしたがって、「相対的貧困」=世間並と言えない貧しさ(相対的貧困率=年収が全国民の年収の中央値の半分に満たない国民の割合)が増えていると思われる。
特に、バブル期以降、表面的に飾り立てて生きる風潮が著しくなったため、かつてはそれぞれの収入(分)に応じた生活スタイルで甘んじていたものが、分を越えた生活スタイルを求め、その結果余計に貧困感を受けているのではないか?
私は、今、頭は家内に切ってもらっている。ズボンや上着は近所のハルヤマで買っているし、下着はスーパーだ。靴は安売りで買っている。Yシャツはなるべく着ないで、シャツも殆ど洗濯機で洗っている。スーパーで食料品の買い出しに行くときも、出来るだけ安いものを買っている。デパートで買うものはほとんどない。しかし、何とも思わない。なぜなら、ほとんど年金しか収入がないのだから当然だ。
B.新自由主義の生み出す新たな貧困層―――参加の自由は敗北の自由
新自由主義の経済原則は、「規制緩和のもとでの自由競争原理」である。
規制緩和は参加の自由を保障するが、そのことは必ず多くの敗者を生み出す。(タクシーの例が顕著)
参加の自由の名の下、たとえば資本金1円で会社を作れる。(今や、コンプライアンスの名のもとに個人事業主ではダメ、会社でないと契約しない。とされている。――――例;G君)
そのため、無理して会社を作る。ところが運転資金にすら余裕資金もないから、なけなしの土地・建物を抵当に入れて金を借りる。当然返せないから、抵当は戻らなくなる。そうなると、金融機関から借りられないから、闇金融に行く。高い利息が返せない。当然、良くてP/Lはカスカスの黒字だったとしてもB/Sは債務超過又はそれに近い。
しかし、経理の知識も十分で無いから、そのことにすら気づかない。確定申告をしていればまだしも、多くの小規模経営者は確定申告すらしていない。数年して、税務署が入った時には、個人資産も差押だらけ、借金だらけ、税の滞納だらけと言うことになる。
<持家至上主義もこれと同じ。今や、「3.5%金利、35年返済」が標準だ。これは、複利計算だから借りた分の倍返せということだが、見た目は安く感じる。35年と言うことは、35歳で借りると70歳までだ。ましては、10年間は低利サービスとなるとなおのこと安いと思って借りたが、給与は上がらないのに、子供の教育費が増えてくる。やがて返せなくなる、銀行はそのことを知っていて貸す。そうして不動産を安く手に入れられるのだ。貸すところがないのに金余りだから、どこでも貸し込む。>
C.男女機会均等法が生み出す貧困層
私は、日本の企業は「男女機会均等法」を不当に悪用していると言えないか?と思う。いや、労働団体や評論家も知らず、知らずその片棒を担いでいるのでは?と思う。
と言うのは、「男も女も能力によって給与が決まる」と言うことから、現実は、男子の給与が安く抑えられ、結婚しても共働きでなくては食べていけなくなっている。
そんな状態で少子化は当然のことだ。共働きで人並みの生活が出来るならまだいい。夫は年齢が上がっても低い給与、妻は年間103万円のパートで家賃を払い、車に乗っていたのでは、子供なんて生めるはずがない。
「若いうちは男子が働き、女性が子供を産み育てる」という欧米では当たり前のことを前提とするなら、まずは男性の給与で標準家庭の生活ができるようにすべきである。
そのうえで、頑張る女性が男性並みに給与を取るのを認めればいい。「何か変だぞ、男女雇用機会均等法」と言う感じだ。
C.ゆとり教育による格差の再生産
良く、最近の学校では運動会でも順番を付けないと聞いた。ところが、最近、実は通信簿も昔のように5段階評価でなく、3段階評価であることを知り、驚いた。
宿題も、ほどほどにしか出せないそうである。そのため、オール3の子供が沢山出るのだそうである。事情に
疎い親は、「わが子は自分に似ず、天才のようだ」と思うそうだが、金持ちで賢い親は、「これでは、しかるべき学校に入れない」となり、早くから学習塾に通わせるのである。当然に、学力テストになると歴然とした差が出てくる。受験期になって慌てても既に手遅れだ。当然、進学校に差が出、やがて就職、給与、人生に差がついたままとなる。何が、ゆとり教育か。人生格差教育ではないか?
文部省、日教組が一緒になって、格差の再生産をしているのではないかとすら思える。
(3).この間に読んだその他の本
「貧乏物語」(川上肇)―――今の格差論は、川上の本を越えていないように思われた。
「格差社会――何が問題なのか」(橘木俊詔・岩波新書)――データが豊富。
「消費社会から格差社会へ」(三浦展&上野千鶴子・ちくま文庫)――格差、貧乏についての話題が豊富。
「外資系の流儀」(佐藤智恵・新潮新書)―――――外資経験の浅い女性が書いた本。
「韓国併合への道」(呉 善花・文春文庫)――――帰化した元韓国人が韓国の内実を踏まえて書いた本。調査もしっかりしており、読む価値大。