tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

コロナも落ちつき、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

古民家居酒屋「想ふ壺」の中川健さんは、スーパーマルチタレント!

2021年04月23日 | グルメガイド
面白い店を見つけた。その名も「折衷創作 想ふ壺(おもうつぼ)」(奈良市西木辻町32-5)、市内循環「瓦町」バス停から少し北に上がったところ。JR奈良駅からだと南東へ600mと少しだ。天井の高い町家を利用して居酒屋を営んでおられる。店名は壺(陶芸)を熱く思う、という意味のようだ。もと会社の同僚だったOさんに連れて来てもらった。


これらの写真は初回(3/5)に撮影





初回は先月(2021.3.5)、焼鳥屋からの帰りに立ち寄った。お客さんは誰もいらっしゃらなかったので、中二階を含めた店内を見せていただいた。珍しい古道具がたくさんあって、これは興味が尽きない。



何より、ご店主の中川健(なかがわ・けん)さんが楽しい。ご自身のFacebookには《奈良で創業47年目 折衷創作『想ふ壺』古民家居酒屋、陶芸窯を持ち、自作の器でお料理、生ギター、生ウクレレで唄えますが、私は歌が下手。マジック無料、「となりの人間国宝さん」認定、ワンコ同伴 O.K. 一緒にお食事を》。ハンドルネームは音陶夢(おとむ)さん、音楽と陶芸という特技から名づけられた。





ギターの名人で、ビートルズからフォークソングまで、いろんな曲を中川さんの生演奏で一緒に歌った。私より少しお年上だが、歌の嗜好は全く同じである。観光タクシードライバーでカラオケ名人のKさんも、ご贔屓のお店だそうだ。



「また歌いに来ます」と言い残して再訪したのが先週(2021.4.19)で、このときもOさんと一緒だった。ここは、Oさんが退社途中で立ち寄る息抜きのお店(サードプレイス)だったのだ(現役時代、私もそのような場所を作りたかったのだが、退社時刻が遅すぎて実現しなかった)。詳しい自己紹介がFacebookの「基本データ」に出ていた。引用すると、


オードブル(トップ写真に同じ。以下、4/19撮影)


刺身、新鮮でとても美味しかった!

昭和49年(1974年)創業、創業47年と奈良の呑み屋では一番古いお店と自負しています。 平成7年(1995年)に奈良商工会議所青年部卒。クラシックギタリスト、陶芸家、マジシャン、ドッグトレーニング、自称器用貧乏人間。





(有)えいてぃぶ代表 奈良市内で、古い民家を改装して、折衷創作「想ふ壺」という、こじゃれたお店をしています。店内に陶芸窯を置き自作の器で、お料理をお出ししています。お蕎麦も、注文聞いてから手打ちで食することができ、陶芸教室もあります。


目の前で「更科そば」打ちがスタート!これは贅沢な眺めだ









陶器への想いということでこんな屋号に。ピアノ、ドラムもあってサックスのジャズ、クラシックギター youtube 折衷創作 想ふ壺庵 検索、プロ並みのマジックも。ウクレレにはまりました。手すきの時に無料で楽しめます。


打ちたての「天ざる」1,200円。ここに蕎麦せんべいと蕎麦湯がつく


ボリュームたっぷりの天ぷら


蕎麦せんべいがこんなに出てきた

「せやねん」(MBSテレビ)「ニュースアンカー」(関西テレビ)「ズームイン!!SUPER」(日本テレビ)「1億人の大質問!?笑ってこらえて!」(同)「ニューススクランブル」(読売テレビ)「よ~いドン!(となりの人間国宝さん)」(関西テレビ)等、想ふ壺の紹介と楽器、陶芸、マジックで出演させていただきました。


ご主人の陶芸作品




尺八も上手に吹きこなす、まさにマルチタレント!



キャバリア、マルチーズの2ワンコに日々癒され、色んなワンコに逢えるのが楽しみ、要予約ですが、好きすぎて、ワンコ同伴OKの店にしてしまいました。


ご主人の陶芸作品(箸置き)の窯で焼く前



この日は麦焼酎「中々」をキープし、自分でお湯わりを作りながら、ちびちびいただいた。料理は予約時に「手打ち蕎麦と魚料理、あとはお任せします」と伝えたので、価格システムはよく分からない。末尾の「食べログ」を参考にし、あとは電話でお問い合わせいただきたい(090-5902-9859 午後6時開店 不定休)。

食べる楽しみだけでなく、歌う楽しみ、ご店主と話す楽しみ…。幸か不幸か今はお客さんが少ないので、密になることもない。しかも天井が高く広々とした町家空間だ。これは月イチで通うことになりそうだ。皆さんも、ぜひ。Oさん、良いお店をご紹介いただき、ありがとうございました!
食べログは、こちら
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奈良万葉の旅百首の書評 by 松田度(わたる)さん(大淀町学芸員)

2021年04月22日 | 奈良にこだわる
吉野郡大淀町学芸員の松田度さんが月曜日(2021.4.19)、ご自身のFacebookに『奈良通が選んだ 奈良万葉の旅百首』(奈良まほろばソムリエの会著 京阪奈情報教育出版刊 税込み1,100円 )の書評を書いて下さいました。こんなに詳しくきちんと書いていただいたのは、初めてです。以下に全文を紹介させていただきます。松田さん、ありがとうございました!

【書評】『奈良通が選んだ 奈良万葉の旅百首』
2021年2月、奈良まほろばソムリエの会は、設立10周年を機に万葉集の本を出した。奈良県内の各地域(エリア)ごとに、60名のソムリエが、選りすぐった万葉歌百首を紹介するもの。

まさに「奈良通」のソムリエらしい現地へのいざないであり、万葉集の入門書としても完成度が高い。今年3月で奈良大学文学部を退官された、上野誠名誉教授(現在は國學院大學特別専任教授)の監修。いろいろな意味で記念碑的な一冊だ。目次を紹介する。



○推薦のことば 岡本三千代さん(犬養万葉記念館館長・当時)
○はじめに 米谷潔さん(奈良まほろばソムリエの会会員)

1、初瀬・桜井エリア(泊瀬・泊瀬の山・忍阪・大宇陀への峠道・吉隠)

2、天理・山の辺の道エリア(櫟本・布留川・石上神宮・布留の高橋・引手の山・三輪山・弓月が嶽・巻向川・檜原・大和三山・大神神社・海石榴市)

3、宇陀エリア(宇陀の野・墨坂神社・宇陀・高見山)

4、吉野エリア(吉野川/六田の淀・宮滝遺跡/吉野離宮跡・菜摘の川・夢のわだ・象谷/喜佐谷・象の小川・国栖・吉野の水分山)

5、飛鳥エリア(雷丘・真神の原・飛鳥浄御原宮・橘寺・島の宮/島庄・多武峰の山霧・檜前川・南淵山・飛鳥川の飛び石・飛鳥川・岡宮天皇陵)

6、橿原エリア(竹田の原・磐余の池・天香具山・明日香/藤原京・藤原京の御井・泣沢神社・埴安の池・娘子塚/桜児塚・軽の池/剣池)



本書編集委員の面々(奈良まほろばソムリエの会会員)

7、葛城・御所エリア(二上山/大坂峠・二上山・葛城山・葛城山麓・高天/高間の草野・朝妻山/春日神社・巨勢・宇智の大野・浮田の杜・真土山)

8、奈良盆地中西部エリア(三宅道・百済野・雲梯の杜)

9、生駒・龍田エリア(生駒山・暗越え・因可の池・龍田大社・磐瀬の杜・龍田山/三室山・直越え道)

10、奈良市西部エリア(高の原・平城山越え・佐紀沢・平城京の大宮人・長屋王邸跡・平城宮・菅原の里・勝間田池/大池・平城京/東の市・西の市)

11、奈良市東部エリア(佐保川・奈良山・東大寺大仏・率川・吉城川/宜寸川・春日山・三笠山/御蓋山・春日野・平城の飛鳥・高円山・高円離宮・春日宮天皇陵)

○万葉集の基礎知識 米谷潔さん
○あとがき 鉄田憲男さん(奈良まほろばソムリエの会)

目次だけでも本の充実度がわかる。挿入された15本のコラムも、ほどよいスパイスとなっている。百人百色とでもいおうか、執筆者の思いや個性、掲載写真・イラストへのこだわりも伝わってくる。選ばれた百首には人気の高い万葉歌もあるのだが、櫟本(38頁)、橘寺(116頁)など、たまに〈変化球〉もあるのが楽しい。

とりわけぼくが惹かれたのは、「はじめに」のなかでふれられている<万葉びとが目にし、心を充たしてきたものは、いわば私たちの魂の故郷といっても過言ではありません>の一言(4頁)。「じつに、滋味豊かな本」と上野さんが感服したのも、この奈良万葉にまつわる永遠の問いではないだろうか。

★奈良まほろばソムリエの会(監修 上野誠)『奈良通が選んだ 奈良万葉の旅百首』京阪奈情報教育出版2021年2月刊行(新書版・287頁)
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「奈良が好きになる授業」をやりました!(2021.2.1)

2021年04月21日 | 奈良にこだわる
得難い経験をした。今年(2021年)2月1日(月)、県内のとある大学の1年生(2年生に進級する直前)を対象に毎年5日間実施している「奈良学」という講座で、「万葉と奈良の文化」という60分の講義を依頼されたのである。対象者は理科系の学生約200人だが、密を避けるため、100人対象に2回、同じ話をするということだった。

私が普段にやる講演は、ほとんどがシニアが対象だ。いわゆる「生涯学習」で、受講者は私と年齢が近いのでとてもやりやすい。「大学生対象」というのは、何年かに一度くらいしか回ってこないので慣れないし、しかも理科系の学生に万葉集とは、どうしたものか…。



「なぜ私ですか?」とお聞きしたところ、「これまでは大学の国文学の先生にお願いしていましたが、アンケートの結果が芳しくないので『もっと分かりやすい話をしてくれる人はいませんか?』と当たったところ、鉄田さんを紹介していただきました」とのこと。「分かりやすい話」なら自信がある。まあ息子や娘の世代を対象に話せば良いのだな、と組み立てを考えた。最終的には以下の4つのパートに分けた。テレビの情報バラエティ番組のように、興味を引きそうなコンパクトな情報を次々に与えることにしたのである。

1.奈良県の経済(統計数値)や観光名所の紹介(イントロ)
2. 歴史的背景(太古~奈良時代までの日本史の振り返り)
3.万葉集ってどんな本?(万葉集の概要と、地元にゆかりのある万葉歌の紹介)
4.山の辺の道を歩く(2019年に実施した「JR万葉まほろばウォーク」20分のVTR上映)


月曜日の午前の授業だったので、みんな眠そうでどうも覇気がない。「おはようございます」と挨拶しても、返事がない。「ちゃんと聞いてくれたのだろうか」と心配していたが後日、全員へのアンケート結果の写しを見せていただいた。おお!皆、ちゃんと聞いてくれていた。めったにないことなので、お名前を伏せて、その一部を紹介したい。



なお私の作ったアンケートの設問は
1.この授業を受けて奈良が好きになりましたか、また奈良への理解を深めるために、これから何をしようと思ったか、記載しなさい。
2.今後このような機会が設けられれば、どのような話を聞きたいか、記載しなさい。


IMさん(女性)1.「万葉集をしっかり読むと、昔ならではの風習(プロポーズされて本名を名乗ると、結婚を承諾したことになる)を知ることができて、面白かった」「今回見たビデオのように、実際に自分で訪ねて自分の目で見ることが良いと思った」。2.「ドロドロした恋愛などについて、昔ならではのことを学びたい」。

KHさん(女性)1.「川上村の『源流の森』は本当に美しく、実際に行ってみたくなった。奈良の人はきっと、川上村や東吉野村、明日香村など、村に何があるか知らないと思う」。2.「県内の村にはどんなものがあって、何がPRポイントなのか。県内にはどんなおいしい食べ物があるのか(「奈良にうまいものなし」をくつがえすもの)」。

SSさん(男性)1.「最初に示された各種のデータには、非常に驚いた。特に可住地面積の日本最下位は、衝撃的だった。少ない可住地面積に住んでいることに、感謝したいと思った」。2.「もう少し詳しく、日本史と奈良の関係を知りたい」。

TMさん(女性)1.「万葉集に出てくる地名のうち900は奈良県の地名ということから、万葉集を読むことによって、奈良県の土地柄や地名について多くを知ることができると思う。今日、万葉集の解説を聞いて面白いと思ったので、もっと他の歌や意味も調べてみようと思った」。2「この授業のように、単に奈良県について話すだけでなく、関連する万葉集や歴史的背景を踏まえて説明してもらえると興味が持てて面白かった(中略)お薦めの奈良県の文化や土地について、もっと話を聞いてみたい」。

THさん(男性)1.「奈良県には何も特徴がないと思っていたが、さまざまな特徴があることを知った」。2.「奈良県民はほとんどの人が知っているが、他府県民が知らない『奈良の常識』のような話が聞きたい」。

HMさん(女性)1.「ソックスの出荷額が全国1位、和風めんの出荷額4位、1世帯あたり貯蓄額1位など、数多くの魅力や特徴のある県であることがわかり、奈良のことを今まで以上に好きになった」。2「この町の特産物や美味しい飲食店についての話は、あまり耳にすることがないので、聞いてみたい」。


このほか「万葉歌の大阪弁訳はとても分かりやすかった」(JDC『大阪弁訳だけ万葉集』の紹介)、「今まで行ったことのない東吉野村・高見山の樹氷や、天理市・龍王山からの眺望を見に行こうと思った」、「実際に現地を訪ね、(ガイドさんの)説明を受けたい」など。



このような若いときに奈良県のことに興味を持ってもらえると、その後ニュースに接しても反応が変わるし、愛着もわく。もし来年もリクエストをいただければ、よりブラッシュアップして臨みたい。
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吉野山 桜の名所と西行法師/毎日新聞「かるたで知るなら」第3回

2021年04月18日 | かるたで知るなら(毎日新聞)
NPO法人「奈良まほろばソムリエの会」は、2018年に制作した「奈良まほろばかるた」の札を使い毎週木曜日、毎日新聞奈良版に「かるたで知るなら」を連載している。先週(2021.4.15)掲載されたのは「芭蕉も憧れ 句残す/西行庵(吉野町)」、執筆されたのは安堵町在住の西川誠さんだった。

吉野山奥千本の桜の見頃に合わせたつもりが、今年は桜の開花が早くて記事が間に合わなかった。そこは残念だったが、新緑の吉野山は全山が黄緑色に染まり、また違った趣がある。ぜひいちど、足をお運びいただきたい。では、記事全文を紹介する。

《吉野山 桜の名所と 西行法師》
桜の名所を問われた時、必ず入る場所が吉野山でしょう。飛鳥時代に役行者(えんのぎょうじゃ)がこの周辺の山で修行して蔵王権現(ざおうごんげん)を感得し、その姿をヤマザクラの木で彫ったとされることから、桜は吉野で神聖な木となりました。豊臣秀吉も家臣を引き連れて花見を楽しんだほど、長く愛される桜の名所で、歴史の舞台にもよく登場します。

下千本から中、上と順に咲き、最後の奥千本が咲くまで長い期間、桜を楽しむことができます。
奥千本エリアには、平安時代の末期から鎌倉時代の初期、歌人として名をはせた西行法師が3年間過ごしたとされる西行庵が残ります。西行は佐藤義清(のりきよ)という北面の武士(宮を警護するエリート武士)でしたが、あるときその地位や家族も捨て、僧となり、各地を行脚(あんぎゃ)しながら歌を詠みました。

この庵(いおり)でも「とくとくと落つる岩間の苔(こけ)清水 くみ干すほどもなき住居かな」などの歌を詠んでいます。西行に憧れた松尾芭蕉はこの場所を2度訪れ「露とくとく試みに浮世すすがばや」の句を残しました。その苔清水は今も庵の近くで、とくとくと湧いています。

ここ数年、西行庵の周辺では杉や檜を伐採し、ヤマザクラを植樹しています。奥千本は桜の木が減り、数十本を数える程度でしたが、年々若い桜が育ち、景観も変わってきています。桜を愛し、その花の下で人生を終えたいと願い桜の季節に亡くなった西行法師も、笑顔で見守っていることでしょう。(奈良まほろばソムリエの会会員 西川誠)

【西行庵】
(住 所)吉野町吉野山奥千本
(交 通)吉野山ロープウェイで千本口駅から吉野山駅に上り、バスに乗り換え、奥千本口停留所で下車、徒歩約20分(春秋はバスの運行に変更あり)
(拝 観)自由
(駐車場)無


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鹿谷勲著『茶粥・茶飯・奈良茶碗』(淡交社刊)を読む/奈良新聞「明風清音」第55回

2021年04月17日 | 明風清音(奈良新聞)
奈良新聞「明風清音」欄(毎週木曜日)に、月2回程度寄稿している。今週(2021.4.15)は《「茶粥」のルーツを探る》として、鹿谷勲氏の最新刊『茶粥・茶飯・奈良茶碗』(淡交社刊)を紹介した。私の実家(和歌山県伊都郡九度山町)でも、朝食によく「茶粥」(おかいさん)を炊いた。家によって、おかいさんは白粥のところもあったが、ウチはもっぱら茶粥で、白粥は病気の時に食べた。
※トップ写真はわが家の茶粥(米多め、お茶濃いめ)と奈良茶碗(蓋付きの茶碗)4/4撮影

私は猫舌なので、茶粥はよく冷(さ)ましてから食べた。漬物を合わせたり、焼いた餅やおかきを入れたり。おかきでは、揚げ昆布の入った「とよすあられのハイサラダ」がベストマッチだった。夏場は冷たいままの(常温の)茶粥を食べたが、これも美味しかった。

小学生時代のこと。先生に指されたとき、小さい声で受け答えする児童がいて「声が小さい!朝ご飯、おかいさんやったんか?」という先生がいた。声の小さいのをお粥のせいにするとは、お粥には気の毒なことだったが、確かにすぐに空腹になるので、昼食が待ち遠しかったことは事実である。


茶粥にサンマの丸干しを添えた。木製品は「道の駅吉野路大淀iセンター」で購入。丸干し
は奈良市内のオークワで買ったが、かつては下北山村などでも作られていた(4/10撮影)

東大寺二月堂の「お水取り」の茶粥がよく知られているので、てっきり奈良時代から食べられていたと勘違いしていたが本書を読み、江戸時代に始まったと知ってとても意外な気がした。

「茶飯」もよく炊く。研いだ米を炊飯器に入れ、既定の分量の水の代わりにほうじ茶を入れる。上にパラパラと炒った大豆(節分によくスーパーなどで見かけるもの)を載せ、スイッチ投入。20分ほどたつと香ばしい香りが漂ってくる。簡単で美味しいご飯である。ブログで紹介したところ、東京の出版社から「茶飯の写真を使わせてほしい」と言って来られ、3,000円の写真使用料をいただいたことがある。

本書のグラビアでは「奈良茶碗」(蓋のついた陶磁器の茶碗)が紹介されていて興味を持ち、奈良市内の古道具屋などで買い求め、愛用している。一冊の本から、いろんなことが学べるものである。では、記事全文を紹介する。

わが家ではよく朝食に茶粥を炊く。水1㍑に半合の米、そこへ使い捨てのお茶パック(Lサイズ)にほうじた番茶を詰めて投入、吹きこぼれに注意しながらガスコンロで約20分、最後に塩をひと振り。これで大人の2食分だ。最近買い替えたコンロには「お粥モード」があるので、一層美味しく炊き上がる。かつてはお茶パックのかわりに、布製のチャンブクロ(茶袋)を使っていた。

私の勤務先が東京に支店を出したとき、借り上げ社宅(集合住宅)の物干し場に、ずらりとチャンブクロが並んだそうだ。関東のからっ風に吹かれてチャンブクロが舞う情景を想像すると、何とも爽快な気分になる。

茶粥は「奈良茶粥」がよく知られているが、私の故郷・和歌山県でも日常的に食べるし、大阪府岸和田市の友人宅でもごちそうになったことがある。NHKの朝ドラ「おちょやん」でも、茶粥を炊くシーンがあった。浪花千栄子の実家(大阪府富田林市)でも食べていたのだろう。手軽に作れて美味しくて消化も良い茶粥、ところがその由来がよくわからなくて長年、疑問に思っていた。

そこに登場したのが、鹿谷勲著「茶粥・茶飯・奈良茶碗」(淡交社刊 税込み2420円)だ。帯には《奈良の茶粥は、明暦の大火後の江戸で、「奈良茶飯」となって流行し、それを食べるための「奈良茶碗」も生まれて全国に広がった。その過程を民俗、史料、文学などから多面的に追跡》とある。鹿谷氏約15年に及ぶ研究成果が凝縮されているので、ぜひ本書をお読みいただきたいが以下、私が思わず膝を打ったところをかいつまんで紹介する。

「奈良茶粥」の起源としてよく知られているのが「大仏建立助力説」だ。聖武天皇が東大寺の大仏を建立する際、民が米を食い延ばして助力したという説で、いかにも良くできた話ではあるが、根拠はないそうだ。また「平景清転害門潜伏説」、つまり東大寺の大仏供養に参詣する源頼朝を討とうと、景清が転害門の2階に隠れていたとき、消化の良い茶粥を作らせたという説だが、これにも根拠はないという。

本書が最も信頼性の高い説として挙げているのが「井戸屋弥十郎創始説」。河内屋五兵衛著「河内屋可正旧記(かしょうきゅうき)」(元禄~宝永年間)に登場する話で、南都の弥十郎(または弥二郎)という貧しい男が、米を食い延ばすために作り始めたという。他の文献の記述と総合すると、弥十郎は江戸時代の初め頃に茶粥を作り始めたようで、その屋敷は現在の奈良市小西さくら通り商店街の西側にあったそうだ(石﨑眼科医院のあたりか)。

「奈良茶飯」は、江戸時代の1657年(明暦3)に起きた「明暦の大火」からの江戸復興事業のさなかに出現した。茶飯、豆腐汁、煮染め、煮豆などがつく定食メニューとして登場した。隅田川のほとり浅草金龍山(待乳山)の麓茶屋で始まり、「飯屋の元祖」つまりわが国外食産業のルーツと位置づけられる。

「奈良茶碗」とは「(奈良茶飯に用いたところからいう)蓋つきの飯茶碗(「日本国語大辞典」)。奈良茶飯の流行は、当時の新しい食器である磁器を使った蓋つきの奈良茶碗を生み出した。形式や産地ではなく、用途から生まれたネーミングというところが珍しい。当初は九州の有田で、のち美濃の多治見などで作られるようになった。

本書を読み進む途中で、しきりに茶粥が食べたくなり、何度も作っては食べた。茶粥はわれわれのソウルフードなのである。(てつだ・のりお=奈良まほろばソムリエの会専務理事)


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