今日の「田中利典師曰く」は、〈蔵王供正行50日目・満行式 「父母に感謝して…」〉(師のブログ 2015.6.23 付)である。師の50日間にわたる「化他行蔵王供千願祈祷行」は、6月19日にめでたく満行となった。師はその4日後に、この日を振り返り、また亡きご両親への感謝の気持ちをブログに記された。ご参拝者・ご協力者は約40名だった。
※トップ写真は利典師の近影。吉野大峯世界遺産登録20周年記念シンポ(2024.7.6)で撮影
「父母に感謝して…」
蔵王供正行50日目(6月19日)。雨のち曇り。今日の一日・・・再掲載。
3時半に起床。
4時半、第99座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
6時、第100座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時半、本堂法楽・法華懺法 於本堂
8時から、お手伝いのお弟子さん達が集合。めずらしく雨が降り止まない。
10時半、金峯山寺管長猊下一行到着。陸続と参拝者、随喜者参集。
12時半、水行 於風呂場
13時、満行式衆が行列 於憩いの家
13時10分、満行法楽護摩供修法 於脳天堂
13時50分、満行挨拶・乾杯 *参拝者40名
14時10分、蔵王供千願祈祷行満行式 於本堂
14時30分、式典
14時50分、記念写真撮影 於境内
・・・車で移動
15時30分、満行祝賀会 於綾部ホテル
17時20分、終了
19時30分、憩いの家にてお弟子さんと二次会
21時30分、解散。
22時30分、就寝。長い長い一日でした。
****************
「父母に感謝して…」
6月19日に無事満行しましたが、満行式後の祝賀会、そして翌日からの後の行と慌ただしい日が続き、この日をゆっくり振り返ることが出来なかったので、改めて書きました。
満行式は新任の五條良知金峯山寺管長猊下以下、有縁の人々が約30名、お集まりいただきました。新管長は私の実弟。6月1日に上任したので、管長として初めて実家に帰ってきたことになります。
兄の満行祝いに、故郷に錦を飾るという、いわば田中家にとっては二重のお祝いともいえる記念の一日となりました。驚いたのはこの席に、京都・清水寺の森清顕師に随喜頂いたことでした。こんな田舎の、山伏寺にはあり得ないご縁でもありました。
私の父はこの綾部で生まれ、国鉄の職員をしながら、山伏の道に入り、趣味が高じて、その後、祈禱師専職になり、師匠の教会で師匠なき後25年間、教会長を務めてから、自坊を建立しました。昭和49年のことでした。
その父の発心により、私達兄弟もこの道に導かれることになります。ボロ寺とはいえ、父一代で成し遂げた林南院があったからこその、私であり、また弟であったと思います。
父と母は苦労して、ここまでの道を切り拓いてくれました。私も弟も、その恩恵の上に、その後の職責や生活を得たと思っています。それはまた、父母にとってなによりの親孝行となった道の継続であり、そしてその成果としての、管長の帰山、私の満行式であったと思いました。
正行中の50日間、ほとんど雨らしい雨が降らなかったのに、満行日は朝からの雨。でも父母のまさに甘露の涙とも思える柔らかな雨でした。ホテル綾部でも和やかな祝賀会を開催出来ました。
※トップ写真は利典師の近影。吉野大峯世界遺産登録20周年記念シンポ(2024.7.6)で撮影
「父母に感謝して…」
蔵王供正行50日目(6月19日)。雨のち曇り。今日の一日・・・再掲載。
3時半に起床。
4時半、第99座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
6時、第100座目蔵王権現供養法修法 於脳天堂
7時半、本堂法楽・法華懺法 於本堂
8時から、お手伝いのお弟子さん達が集合。めずらしく雨が降り止まない。
10時半、金峯山寺管長猊下一行到着。陸続と参拝者、随喜者参集。
12時半、水行 於風呂場
13時、満行式衆が行列 於憩いの家
13時10分、満行法楽護摩供修法 於脳天堂
13時50分、満行挨拶・乾杯 *参拝者40名
14時10分、蔵王供千願祈祷行満行式 於本堂
14時30分、式典
14時50分、記念写真撮影 於境内
・・・車で移動
15時30分、満行祝賀会 於綾部ホテル
17時20分、終了
19時30分、憩いの家にてお弟子さんと二次会
21時30分、解散。
22時30分、就寝。長い長い一日でした。
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「父母に感謝して…」
6月19日に無事満行しましたが、満行式後の祝賀会、そして翌日からの後の行と慌ただしい日が続き、この日をゆっくり振り返ることが出来なかったので、改めて書きました。
満行式は新任の五條良知金峯山寺管長猊下以下、有縁の人々が約30名、お集まりいただきました。新管長は私の実弟。6月1日に上任したので、管長として初めて実家に帰ってきたことになります。
兄の満行祝いに、故郷に錦を飾るという、いわば田中家にとっては二重のお祝いともいえる記念の一日となりました。驚いたのはこの席に、京都・清水寺の森清顕師に随喜頂いたことでした。こんな田舎の、山伏寺にはあり得ないご縁でもありました。
私の父はこの綾部で生まれ、国鉄の職員をしながら、山伏の道に入り、趣味が高じて、その後、祈禱師専職になり、師匠の教会で師匠なき後25年間、教会長を務めてから、自坊を建立しました。昭和49年のことでした。
その父の発心により、私達兄弟もこの道に導かれることになります。ボロ寺とはいえ、父一代で成し遂げた林南院があったからこその、私であり、また弟であったと思います。
父と母は苦労して、ここまでの道を切り拓いてくれました。私も弟も、その恩恵の上に、その後の職責や生活を得たと思っています。それはまた、父母にとってなによりの親孝行となった道の継続であり、そしてその成果としての、管長の帰山、私の満行式であったと思いました。
正行中の50日間、ほとんど雨らしい雨が降らなかったのに、満行日は朝からの雨。でも父母のまさに甘露の涙とも思える柔らかな雨でした。ホテル綾部でも和やかな祝賀会を開催出来ました。
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