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田中利典師の「修験道の本義」

2025年02月10日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、〈修験道の本義〉(師のブログ 2017.9.12 付)。カタい文章だが、これは師が行う「夏期大学講座」のテキストからの抜粋だそうだ。

修験道の本義は、1つは修行によって呪験力(神仏の妙なる力)を得ること、もう1つは、行者が自己の持つ本有の仏性を修行によって悟る(修行することによって悟りを得る)ことだという。では、以下に全文を紹介する。

「修験道の本義」
修験とは先学者において、「修呪得験」、「修密得験」、「修行得験」など様々に解釈されていますが、大きく別けて2つの意義があります。1つは修行によって呪験力を得るという意味の解釈。これは要するに山林修行や護摩法などの修法によって、神仏の加護をこうむり、神仏の妙なる力を獲得するという意味です。この解釈は修験の第一義のように考えられがちですが、むしろ第二義的な浅い解釈(方便門)と言えます。

もう1つは、即ち、修は修行によって悟ること、験とは本来自分自身が持つ仏性を指し、この両者を兼備することを修験とする解釈です。これこそが修験の第一義の解釈(真実門)と言えるでしょう。つまり、行者が自己の持つ本有の仏性を、修行によって悟ること、これが修験なのです。そしてここに本宗修験の本義があります。

修験とは、単に修行によって神仏の妙なる力、即ち呪験力を得ることのみを目的とするのではなく、行者自らが修行することによって悟りを得るという即身成仏の達成を目的としているのです。

しかも、我々衆生はもともと悟りを得る種子、言い換えるならば仏となることが出来る種子、一般にこれを仏性と呼んでいますが、この仏性を具えた存在であり、修行によって真に目覚めたならば、我々は正に悟りを得ることができるのだ、と説くのです。ここのところをよく肝に銘じて衆生済度の実践に赴かなければなりません。

**********:

16日(2017年9月)から本山研修で夏期大学講座が開かれます。本宗教師が対象です。そのテキストからの跋文(ばつぶん)…。テキストっぽい文章です。若き日、書いた文章ですが、龍谷大学の仏教学の影響がにじみ出ているかもしれません。

こういう理解は私なりの独創の部分がはいっています。よそでは、同じような認識はあるでしょうけど、方便門・真実門という言い方では解説してないかも…。でも25年を経ても、私の中では色あせないですね。
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