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田中利典師の「役行者」(朝日新聞「人生あおによし」第12回)

2023年12月27日 | 田中利典師曰く
今日の「田中利典師曰く」は、「役行者(えんのぎょうじゃ)」。2014年の朝日新聞奈良版「人生あおによし」第12回である。役行者は、修験道の開祖と言われる。
※トップ写真は、吉野山の桜(2022.4.7撮影)

修験道の基本的な考え方は、「体を使って心をおさめる」。それは役行者の遺訓とされる「身の苦によって心乱れざれば、証果自ずから至る」にも、現われている。では、以下に全文を紹介する。

役行者
修験道の開祖は役小角(えんのおづぬ)、尊称して役行者と呼びます。飛鳥時代後期に大和・葛城山麓に住んだ山林行者です。空を飛んだとか、鬼神を使役したとか超人的な伝説が残っていますが、架空の人ではありません。続日本紀にも正しく名前が残っています。

その役行者が根本道場と定めたのが大峯山であり、開いたのが修行道が大峯奥駈道です。大峯の峰中には役行者が金剛蔵王権現を祈り出した霊地山上ケ岳をはじめ、役行者由緒の場所や伝承が数多く伝わっています。

遺訓と伝わるものに「身の苦によって心乱れざれば、証果自ずから至る」(役行者本記)という言葉があります。体の苦痛に屈せずに心を磨けば、自然に成果が得られるということでしょう。その究極は自らの心の高みを得ることです。

山に入って修行に明け暮れ、滝に打たれて痛みを感じる。体で体験して精神を高めてゆく。その修行のありようは、実は万人向けのものです。実体感を失いつつある現代社会に大きな問いかけを与えてくれます。

肉体の快楽を求めすぎ、心のあり方が置き去りにされがちな文明社会にあって、実践性を重視する修験道は、大いに現代的な役割を感じます。精神と肉体の正常な関係は、自らの実践と体験の中でしか取り戻し得ないと私は考えています。そこが修験道の新しい使命と可能性なのです。
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