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tetsudaブログ「どっぷり!奈良漬」

万博も開幕し、これからが観光シーズン、ぜひ奈良に足をお運びください!

お経は日本語で

2009年10月03日 | 意見
以前(9/9)、当ブログ記事「『奈良を大いに学ぶ』講義録(4)南都仏教PARTⅡ.」のコメント欄で、常連コメンテーターの畳薦(たたみこも)さんから、以下のコメントをいただいた。
http://blog.goo.ne.jp/tetsuda_n/e/048088be2e8c8f6af04e63c656e64036

《中国人はサンスクリットを中国語訳したのに、わが日本人はそれを、そのまま音読して「呪語」にしてしまった。(かつての日本人の中には)中国語訳で理解したり、サンスクリットで読んだエリートもいるだろうが、「お経」にしてしまった。「経」は真理のことだから中身を分からせて欲しかった。仏典、お経の現代語訳を望む》《仏像そのものを拝み、お経を呪文のごとくありがたがる。お坊さんは仏教の哲学を法事のおりにでも短くスピーチすべきだ》。

これには全く同意見で、法事の時など、お坊さんによっては2時間近く平気でお経を上げる人がいる。それも「般若心経」程度なら、私もいくつかの解説本を読んでいるので、意味はほとんど類推できるのであるが、その他のお経となると全くチンプンカンプン(珍紛漢文)である。

今思い出すと、子供の頃に少し通ったプロテスタントの教会では、日本語で聖書を読み、日本語で賛美歌を歌った。祖母に引かれて行った天理教の教会でも、分かりやすい日本語の「みかぐらうた(御神楽歌)」を歌った。なぜ仏教だけが、呪文のように漢訳仏典をそのまま音読するのだろう。かつてのエリート意識の残滓(ざんし)なのだろうか。

そう思っていたら朝日新聞の「オピニオン」欄(9/24付)に、お寺のご住職がこんなことを書いておられた。タイトルは「お経は日本語で 意味不明でありがたいのか」だ。筆者は真宗大谷派南溟寺(なんめいじ・大阪府泉大津市) 住職の戸次公正(べっき・こうしょう)氏である。一部を引用すると

《私は20年ほど前から法事の場で、お経を現代日本語で読む試みをしています》《寺に生まれ育ちながら、子ども心に「珍紛漢文(ちんぷんかんぷん)・意味不明」の読経に疑問を抱いてきました》。

仏教聖典(文庫)

仏教伝道協会

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《大学で仏教を学び始めた頃、たまたま木津無庵という人が編纂した本邦初の日本語訳のお経に出会いました。大正時代に作られた『新訳仏教聖典』という本です。現在、復刻もされています。それをもとにして形を変えたものが、今では主要なホテルの客室に聖書と並んで常備されている仏教聖典となりました。それらを資料にして私は独自のお経の本を作りました。内容は『浄土三部経』を抄出意訳したものと、親鸞聖人がつくった宗教詩『正信偈』や『三帰依文』(仏教徒の誓いの言葉)の拙訳などで構成しています。これらを私は法事の場で朗読しています》。
※『仏教聖典』の全文が読めるサイト
http://butto.j-7.net/seitentop2.htm

《たとえば回向文の「願以此功徳/平等施一切/同発菩提心/往生安楽国」は、「み仏の願いの大きなはたらきが、すべてのいのちに平等に恵まれて、めざめを求める心をひとつにして、共に生きる世界に向かって終わりのない歩みを続けていくことを」と読みます》《私は日本の仏教徒の忘れ物は、すべてのお経(一切経・大蔵経)の日本語訳が未完のままであることだと考えています。それは江戸時代の檀家制度で習俗化され、宗派意識で儀式化されてきた仏教が、お経を漢文で読誦する伝統のみを荘重なものとして保守し、固執しつづけているからではないでしょうか》。
※「お経を日本語で」という提案をされている真宗大谷派良覚寺(りょうかくじ)のサイト
http://www.cable-net.ne.jp/user/ryoukakuji/06new_butuji/gendaigo.html

《抵抗が一番強いのは宗門の僧侶たちです。中には賛同者もいますが、多くは「ありがたみがない」「漢文でないと深い意味が伝わらない」などと言います。これでは仏教は迷信と変わらなくなってしまいます。お経とは、目覚めた人・仏陀の教えです》《読んでわかり、聞いてうなずけるお経に遭うことが機縁となってこそ、より奥深い仏典の世界へのアプローチが広がるものと確信しています》。

これには全く同感である。『仏教聖典』は、ビジネスホテルなどで流し読みしたことがあるが、とても分かりやすい本である。広く読まれているものでは、瀬戸内寂聴さんの『美しいお経』(嶋中書店刊)がある。例えば《花の香は風の流れに逆らわない 栴檀(せんだん)も伽羅(きゃら)もジャスミンも けれども善い徳のある人々の香は 風に逆らっても進む 四方八方にその徳は流れていく》(法句経54番)。この意味を知っていればこそ、お経が有り難くなるというものではないか。

美しいお経
瀬戸内 寂聴
嶋中書店

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般若心経にしても、「この世は移り変わっているだけだ。生じても滅してもいない。汚れもせず、汚れを離れることもなく、増えも減りもしていない」(拙訳)と説けば、よく分かるだろう。

もちろん、以前ももんがさんが指摘されていたように、玄奘の「五種不翻(ごしゅふほん)」に該当するものは日本語訳すべきではない。それは、1.インドにあって中国にはない物の名前、2.たくさんの意味を含んでいて一言では訳しにくいもの、3.意味を解釈するより、原語の音感を保つ方が、神秘的な効果も加わり適切と思われる場合、その4.昔から使われていた音写で、すでに一般化していたもの、5.あえて翻訳すると真意が失われる恐れのあるもの、の5つである。

なお仏教の声明(しょうみょう)をゴスペル(Gospel music)にたとえる人がいる。確かに大勢のお坊さんが唱える声明は素晴らしいが、言葉の意味が分からないところが、ゴスペル(原義は福音、神の言葉)とは違う。

お坊さんから提起された「お経は日本語で」という提言、大きな声となって広がることを期待している。

※参考:戸次公正氏の「オピニオン」(朝日新聞)が全文掲載されたブログ記事。
http://kose99.blog32.fc2.com/blog-entry-956.html

※トップ写真は、興福寺仮金堂で行われた法要の1シーン(04.6.13 撮影)。10/17日(土)~11/23(月・祝)、ここで「お堂でみる阿修羅」が開催される。

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8 コメント

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奈良のお寺の法要 (ikaru(尼御前))
2009-10-03 22:50:28
こんばんは。
奈良のお寺の法要に限ってお話させていただきます。
私は法隆寺や興福寺・薬師寺などの法要に
参列することがあります。
法要の中身の殆どは日本語です。
それも古い時代の文句で語られています。
時代劇を見ているようで、
面白いと思うこともあります。

宗派によっても異なりますが、
奈良のお寺の法要は二月堂のお水取りなど
ロマンを感じることがあります。
それなりに予習は必要ですが、
奈良のお寺の魅力の1つです。
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古語の語り (tetsuda)
2009-10-04 07:22:36
ikaru(尼御前)さん、コメント有り難うございました。

> 法要の中身の殆どは日本語です。それも古い時代の文句で語られて
> います。時代劇を見ているようで、面白いと思うこともあります。

そうでしたか。読経以外の部分が古い日本語で語られているのですね。それは良い工夫ですね。今度、ちゃんと聞くようにします。
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坊さん頑張れ! (畳薦)
2009-10-04 15:23:11
 仏教の聖典、すなわちお経にはきっとものすごい世界観、宇宙観、人間観が詰まっているに違いない。仏像やガンダーラのレリーフの解説を学習するたびに自分の、その方面の知識の無さにあきれる。様々な本があるようだから、これからぜひとも視野に入れておきたい。
 同時にお坊さん達は、我々在家のものに説教をして欲しい。キリスト教の教会なら我々に読めるバイブル
(中心はイエスの伝記だ)の一節を取り上げて、信仰の立場からの説教がある。讃える歌もある。
 拝観料を払って観光のためにお寺に行くのではなく、信仰のために行きたいものだ。お寺はセレモニー産業、観光産業に発展するのも結構だが、信仰の入り口を開いて欲しい。さもなくば、お寺は習俗儀礼の企業、観光企業に過ぎなくなる。課税対象にすべしだ。
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聞いてうなずけるお経 (tetsuda)
2009-10-05 06:47:42
畳薦(たたみこも)さん、コメント有り難うございました。

> お坊さん達は、我々在家のものに説教をして欲しい。

> お寺はセレモニー産業、観光産業に発展するのも
> 結構だが、信仰の入り口を開いて欲しい。

法事で「大無量寿経」などの一節を唱えていたお坊さんが、向き直って説教をされると、とたんに俗な道徳談義に堕してしまう、という場面に何度も遭遇しました。その橋渡しとして、日本語でお経を唱えることの意義が見出せそうです。
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お久しぶりです (蔵武S)
2009-10-05 09:43:53
 父親の法事で住職さんが一度『正信念仏偈』を現代語訳で唱えてくださいました。面白い試みだな、と思いましたが住職さん帰られたあと「重みがなかったなぁ」という声が親戚からあがりました。こちらからはどうこう言わなかったのですが、現代語訳はその時だけで次の年からは原語どおりに戻りました。
 ところで奈良町物語館で「鹿男あをによし」のアートディレクターの個展(洋画)を開催中です。なんとあの鹿ロボットも陳列しています。今月12日まで。入場無料です。
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興福寺の散華写経 (ももんが)
2009-10-05 14:32:12
興福寺の仮金堂の法要写真が掲載されているのを見て「お経」関連で思い出したので、投稿します。

興福寺が今、「散華写経」というのを受け付けているので、私もしてみました。
中金堂再建のためらしいですが、花びらの形をした用紙2枚に4行のお経(七仏通戒偈)を書いて郵送します。納経料2000円は別途郵便振込みです。

毎月の仮金堂での法要の際に、納経分も祈願して、残り1枚の写経分は、金堂再建のあかつきに実際に仏さまの前で散華して供養するということです。

私がこれを知ったのは、ちょうど3年前の今頃、興福寺は国宝特別公開をしていて、あの有名な仏頭や阿修羅像を見に行き、入館受付で散華写経の封筒をもらったからです。

たまたま部屋の整理をしていて、この3年前の封筒を見つけ、思うところもあり、納経しました。

4行のお経(七仏通戒偈)なので、そんなに時間はかからないので、気軽に書けました。(筆は難しいので、筆ペンにしてしまいましたが・・・)

納経料も安い?ので、また気が向いたら気楽に何度でも納められそうです(^^;)

今も継続して受け付けているらしいので、新しい用紙も取り寄せました。

般若心経を書こうと思うと、お経のボリュームにちょっと構えてしまう人も多いでしょうが、これなら気楽でリピーターも増えそうな感じで、これを考え付いた人はえらい!!と思いました。

4行のお経(七仏通戒偈)は、仏教のエッセンス中のエッセンスという感じです。説明書には簡単な訳がついていました。



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七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ) (tetsuda)
2009-10-05 22:30:09
蔵武Sさん、ももんがさん、コメント有り難うございました。

> 面白い試みだな、と思いましたが住職さん帰られたあと
> 「重みがなかったなぁ」という声が親戚からあがりました。

うーん、そうでしたか。「慣れ」の問題だと思うのですが…。

> 「鹿男あをによし」のアートディレクターの個展(洋画)を開催中です。

では明日にでも、当ブログでも紹介させていただきます。こういう場合に備え、最近「Topic」というカテゴリを作りましたので。

> 「散華写経」というのを受け付けているので、私もしてみました。

> これなら気楽でリピーターも増えそうな感じで、
> これを考え付いた人はえらい!!と思いました。

散華に写経ですか。これは手軽だし、キレイです。「七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ)」とは、諸悪莫作(悪い事はしない)、衆善奉行(善い事をする)、自浄其意(すると心は清らかになる)、是諸仏教(これが仏様の教えです)、の4つですね。ヨソのお寺の「いろは写経」より、こちらの方が有り難みがあります。
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お便り拝受 (tetsuda)
2009-10-18 09:12:11
ももんがさん、散華写経の一式拝受しました、深謝です。これは手軽だし、お洒落ですね。お手本の文字は「天平写経より集字」とあり、これも有り難いことです。

《興福寺の仮金堂の法要写真が掲載されているのを見て「お経」関連で思い出したので、投稿します》とお書きでしたが、この法要は、某社創立70周年を記念して行われた物故者慰霊の式典です。

これからも、当ブログをどうぞよろしく。
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